3-3-18. 心理療法室

平成21年度の心理療法室の活動状況を報告致します.
心理療法室では,主として統合失調症圏の外来患者さんを対象に,鳥取大学大学院臨床心理学専攻の最上多美子教授のスーパーバイズを受けながら,認知矯正療法を行っています.認知矯正療法は認知機能障害を改善することに焦点を当てながら,認知機能の改善がQOLの改善に般化する(generalize)ことを目指す新世代の心理社会的療法です.平成19年1月に認知矯正療法を導入して以来,地域の関連病院(養和病院,米子病院,安来第一病院,渡辺病院)の積極的なご協力を頂き,参加人員は,修了者も含めて延べ100名となりました.また,平成21年10月,「脳とこころの医療センター」の開設準備に伴い,第2中央診療棟から精神科病棟内に会場が移転しました.設備面では,コンピュータを6台揃え,多様な神経認知機能に対応する様々なソフトウェアを課題として利用しています.ソフトウェアの選択に当たっては,個々のソフトウェアと関連する認知領域を詳細に検討し,個人に合った適切な組合せになるように努めています.他方,個人の内発的動機付けを重視する認知矯正療法の理念に沿って,個人の希望を最大限取り組むことにも注意を払っています.
山陰およびそれ以外の地域でNEARに関心を寄せて頂いた方々に対しても,最上教授と養和病院の池澤博士による「NEARワークショップ」が今年度から開催されるようになりました.その結果,北海道,関東,関西などの地域でもNEARが実践されるようになっています.
こうしたNEARの活動の拡がりとともに,研究成果も着実に生まれています.統合失調症圏の患者さんに認知矯正療法を実践して頂くことによって,対象とする神経認知機能6領域のうち,言語記憶,作業記憶,語流暢,注意機能・処理速度,遂行機能の5領域,および各領域の標準化得点の平均値であるcomposition scoreで,統計学的に有意な改善が認められました.この成果を精神医学誌に投稿し,論文として掲載されました(統合失調症の認知機能障害に対する認知矯正療法の効果に関する予備的研究,池澤聰他,2009,第51巻:999‐1008).現在,対象者を51名に増やした結果について英文誌に投稿中です(下記図をご参照下さい).今後は,認知矯正療法の効果を,より科学的に厳密に評価する必要があるため,無作為割付研究(RCTデザイン:期間6ヵ月)を用いた研究を予定しています.
しかし,認知矯正療法の神経認知と社会機能に対する効果検討を行うにしたがって,新たな課題も見え始めてきました.認知矯正療法を行うことで,患者さんの神経認知機能には全般的な改善が認められましたが,社会生活と密接に関係する,対人関係,日常生活の自立度,社会活動への参加等の社会機能は有意な改善には至りませんでした.これは,神経認知機能と社会認知機能が直接的な因果関係で結ばれる関係にないことを示唆しています.
この点に関しては,近年,関心を集めている社会認知機能が,両者の間に介在している可能性に関するエビデンスが蓄積されています.社会認知機能は他者の意図や感情を認知する諸機能の総称であり,対人関係において非常に重要な役割を果たすことが明らかになっています.広汎性発達障害の患者さんが社会認知機能の障害をもつことは確立した事実ですが,統合失調の患者さんにおいても,その障害が明らかにされつつあります.つまり,統合失調患者さんの社会機能を改善するためには,神経認知機能だけでなく社会認知機能に関する認知リハビリテーションを取り入れる必要性があります.そのため,中込教授の発案で,平成21年10月に,社会認知機能の認知リハビリテーションとして注目されているSCIT(Social Cognition and Interaction Training社会認知ならびに対人関係のトレーニング)の創始者の1人である米国ノースカロライナ大学のペン博士を招聘し,2日間のSCITに関するワークショップを当大学内で開催致しました.
SCITは,感情認知,原因帰属様式,心の理論(theory of mind)といった社会認知に重要なサブドメインをターゲットとする心理社会的治療法です.そのプログラムは,感情トレーニング,状況把握,統合の3段階から構成されています.トレーニングは種に1回50分,24週間にわたって施行されます.
はじめの感情トレーニングでは,感情がいかに思考や状況と関連するかという点の理解を深めながら,コンピュータを用いて感情認知を体験的に学びます.次いで,状況把握の段階では,結論への飛躍(jumping to conclusion)や曖昧さが苦手であることなど,統合失調症の患者さんの社会状況把握の困難さの要因を明らかにし,対人場面での認知の柔軟性を改善することを目指します.最後の統合の段階では,前の段階までに学んだことを活かし,感情の同定,事実と類推の区別化,結論への飛躍の回避などのスキルを,ロールプレイなどの実際的な練習を通じて身に付けることを目標としています.まだ,予備的な段階ですが,SCITによって,表情認知,社会知覚,心の理論などの社会認知が改善し,それが患者さんの行動の改善に反映されることが報告されています.
これらの結果を以下の学会において発表しております:12th International Congress on Schizophrenia research (平成21年4月,San Diego),第9回日本認知療法学会(同10月,千葉),第5回日本統合失調症学会(平成22年3月,福岡).
平成21年度は,NEARの参加者数が増えるとともに論文や学会での発表など研究面での成果が生まれています.今後はNEARの効果判定の精度を上げるとともに,社会機能,QOL,脳機能への影響を探る予定です.さらに,精神症状,罹病期間,薬物,内発的動機付け,メタ認知などの臨床的背景因子を用いて,NEARの治療効果の予測因子の同定も行っていきたいと思います.


(兼子幸一)