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第五回 祖父にまつわる記憶
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author: カニジル
description: 「カニジル」は鳥取県米子市にある「とり大病院」の広報誌です
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鳥取大学医学部附属病院 広報誌 トップ NEWS ラジオ カニジル宣言 特集 連載 鳥大の人々 病院長対談 その他 最新号 バックナンバー 15杯目 14杯目 13杯目 12杯目 11杯目 10杯目 9杯目 8杯目 7杯目 6杯目 5杯目 4杯目 3杯目 2杯目 1杯目 トップ 13杯目 連載 第五回 祖父にまつわる記憶 境港在住、駆けだし小説家の独り言 ふみ日記 第五回 祖父にまつわる記憶 桜が散る頃になると、決まって祖父のことを思い出す。 彼は15年前の4月、この世を去った。 私の実家と、父方の祖父母の家は、徒歩数分圏内にある。気軽に会えるのが嬉しかったのか、祖父は私たち姉妹を、やたら構いたがった。当時近所にあった大型スーパー(ゲームセンターやアイス屋さんも入っていて、そこに寄るのが楽しみだった)に何度も連れて行ってもらったり、毎月のように子ども向け雑誌を買ってもらったりした。妙なアレンジを加えた昔話を披露して、楽しませてくれたこともあった。そうして私はごくごく自然に、おじいちゃん子として育っていった。 いつだったか、母に言われたことがある。 「あなたたちは『友蔵とまる子』みたいだね」 そのときはピンと来なかったが、今となっては、なかなかぴったりな表現だと思う。 実際祖父は「友蔵」のように、日常的に俳句を詠む人だった。一つ、「友蔵」との決定的な違いがあるとすれば、それは作句のスタイルだ。祖父が詠むのは「心の一句」なんて奥ゆかしいものではなく、推敲して投稿まで行う、かなり本格的なものだった。そしてそのライフワークは、孫の私にも伝授された。 当時は文字の読み書きすら怪しかったのに、面白そう、と思ったことは鮮明に覚えている。たぶん、たったの十七音で自由に詩を表現できることに感動したのだろう。さっそく真似しようと、五・七・五の言葉を並べて遊んだ。気ままに単語を列挙するのは楽しかったが、いざ句にしようとすると、なかなかきれいにまとめられなかった。自分の句のひどさに呆れる一方で、ちゃんとした俳句を作れる祖父が誇らしかった。いつしか私は、おじいちゃん子かつ、国語の時間(特に俳句の授業)になると血が騒ぐ子どもに成長していた。 祖父にはなるべく長生きしてほしかったが、それは望み薄な願いだった。彼は親族の中でも一番と言っていいくらいに、体が弱かったのだ。 膀胱がんに糖尿病。およびそれに付随する数々の不調を抱え、いつ何が起こってもおかしくなかった。やがて入院を繰り返すようになり、一時は水もまともに飲めなくなった。 そんな状況下でも、祖父は投句を続けた。手に力が入らないから、清書は私の姉が担った。大事な仕事を任された姉を羨ましく思うのと同時に、そこまでして俳句を詠もうとする祖父に、ふたたび尊敬の念を抱いた。やっぱりじいちゃんはすごいんだ、と。 その後驚異の回復を見せ、自宅に戻れるくらい元気になったが、別れは突然訪れた。 棚の上にあったものを取ろうとして、誤って転倒。打ち所が悪く、祖父は緊急入院することになった。 「今度こそだめだろう」 両親がそう話しているのを、ある晩たまたま聞いてしまった。部屋に籠って布団を被り、声を出さずに泣いた。翌日、祖父は静かに息を引き取った。 しばらくは抜け殻状態で、何もかもが幻のようだったけれど、火葬場でオレンジジュースを出されたことは、やけに記憶に残っている。一口飲み下したそれは、適度な酸味とかすかな苦みがあって、はっとするほどおいしかった。 私、生きてる。唐突にそう実感した。けれど祖父はもう、おいしいものを食べることも、飲むこともできない。心に空いた穴がますます広がっていく気がして、また涙が出そうになった。 それから歳月が流れ、いちおう私は大人になった。オレンジジュースを飲んでも感傷に浸らなくなったし、俳句ではなく小説に興味を持つようになった。実は祖父が、悪い意味での自由人だったことも判明した。だからといって祖父を忘れたり、嫌いになったりするようなことは、決してなかった。 そんなあるとき、ひょんなことから、祖父が俳句の雑誌に寄稿していたことを知った。その雑誌は、国立国会図書館で保管されているという。翌月、上京する用があったので、さっそく足を運んでみた。 諸々の手続きを経て対面したそれは、辞書ほどの厚みがあった。その中で、祖父が寄稿したのはたったの一ページ。隠岐の島に配流された後鳥羽上皇を詠んだ句と、それにまつわる短い随筆だった。詳細は伏せるが、かなりローカルな情報が盛り込まれていて、これは紛れもなく祖父が書いたものだと、胸が熱くなった。有料で複写が可能だったので、一枚コピーして持ち帰った。以来、小説をうまく書けないときには、それを読むことにしていた。読んで、いつか私の文章も雑誌に載せてもらうんだと、自分を奮い立たせていた。 この連載で散々、「これがなければ作家になっていなかった」エピソードを挙げてきたが、「書きたい」という思いのルーツは、間違いなく祖父だ。 国立国会図書館の検索システムで祖父の名前を入力すると、4件の結果が表示される。 「鈴村ふみ」の検索結果も、同じく4件。 いつか祖父の2倍、3倍-欲を言えば、もっと多くの結果を表示させるのが、今の私の、一番の目標だ。 鈴村 ふみ 1995年、鳥取県米子市生まれ。立命館大学文学部卒業。第33回小説すばる新人賞受賞作「櫓太鼓がきこえる」(集英社)でデビュー。小説家であり、とりだい病院1階のカニジルブックストア店長。 鳥取大学医学部附属病院 広報誌 〒683-8504 鳥取県米子市西町36番地1 鳥取大学医学部附属病院 広報・企画戦略センター内「カニジル」編集部 TEL 0859-38-7039 / FAX 0859-38-6992 E-mail byouin-kouhou@med.tottori-u.ac.jp トップ NEWS ラジオ 特集 連載 最新号 バックナンバー お問い合わせ ©2016 Faculty of Medicine Tottori University. All rights reserved. ...
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