境港在住、駆けだし小説家の独り言 ふみ日記 第五回 祖父にまつわる記憶


ふみ日記


桜が散る頃になると、決まって祖父のことを思い出す。

彼は15年前の4月、この世を去った。


私の実家と、父方の祖父母の家は、徒歩数分圏内にある。気軽に会えるのが嬉しかったのか、祖父は私たち姉妹を、やたら構いたがった。当時近所にあった大型スーパー(ゲームセンターやアイス屋さんも入っていて、そこに寄るのが楽しみだった)に何度も連れて行ってもらったり、毎月のように子ども向け雑誌を買ってもらったりした。妙なアレンジを加えた昔話を披露して、楽しませてくれたこともあった。そうして私はごくごく自然に、おじいちゃん子として育っていった。

いつだったか、母に言われたことがある。

「あなたたちは『友蔵とまる子』みたいだね」

そのときはピンと来なかったが、今となっては、なかなかぴったりな表現だと思う。

実際祖父は「友蔵」のように、日常的に俳句を詠む人だった。一つ、「友蔵」との決定的な違いがあるとすれば、それは作句のスタイルだ。祖父が詠むのは「心の一句」なんて奥ゆかしいものではなく、推敲して投稿まで行う、かなり本格的なものだった。そしてそのライフワークは、孫の私にも伝授された。

当時は文字の読み書きすら怪しかったのに、面白そう、と思ったことは鮮明に覚えている。たぶん、たったの十七音で自由に詩を表現できることに感動したのだろう。さっそく真似しようと、五・七・五の言葉を並べて遊んだ。気ままに単語を列挙するのは楽しかったが、いざ句にしようとすると、なかなかきれいにまとめられなかった。自分の句のひどさに呆れる一方で、ちゃんとした俳句を作れる祖父が誇らしかった。いつしか私は、おじいちゃん子かつ、国語の時間(特に俳句の授業)になると血が騒ぐ子どもに成長していた。


祖父にはなるべく長生きしてほしかったが、それは望み薄な願いだった。彼は親族の中でも一番と言っていいくらいに、体が弱かったのだ。

膀胱がんに糖尿病。およびそれに付随する数々の不調を抱え、いつ何が起こってもおかしくなかった。やがて入院を繰り返すようになり、一時は水もまともに飲めなくなった。

そんな状況下でも、祖父は投句を続けた。手に力が入らないから、清書は私の姉が担った。大事な仕事を任された姉を羨ましく思うのと同時に、そこまでして俳句を詠もうとする祖父に、ふたたび尊敬の念を抱いた。やっぱりじいちゃんはすごいんだ、と。

その後驚異の回復を見せ、自宅に戻れるくらい元気になったが、別れは突然訪れた。

棚の上にあったものを取ろうとして、誤って転倒。打ち所が悪く、祖父は緊急入院することになった。

「今度こそだめだろう」

両親がそう話しているのを、ある晩たまたま聞いてしまった。部屋に籠って布団を被り、声を出さずに泣いた。翌日、祖父は静かに息を引き取った。

しばらくは抜け殻状態で、何もかもが幻のようだったけれど、火葬場でオレンジジュースを出されたことは、やけに記憶に残っている。一口飲み下したそれは、適度な酸味とかすかな苦みがあって、はっとするほどおいしかった。

私、生きてる。唐突にそう実感した。けれど祖父はもう、おいしいものを食べることも、飲むこともできない。心に空いた穴がますます広がっていく気がして、また涙が出そうになった。


それから歳月が流れ、いちおう私は大人になった。オレンジジュースを飲んでも感傷に浸らなくなったし、俳句ではなく小説に興味を持つようになった。実は祖父が、悪い意味での自由人だったことも判明した。だからといって祖父を忘れたり、嫌いになったりするようなことは、決してなかった。

そんなあるとき、ひょんなことから、祖父が俳句の雑誌に寄稿していたことを知った。その雑誌は、国立国会図書館で保管されているという。翌月、上京する用があったので、さっそく足を運んでみた。

諸々の手続きを経て対面したそれは、辞書ほどの厚みがあった。その中で、祖父が寄稿したのはたったの一ページ。隠岐の島に配流された後鳥羽上皇を詠んだ句と、それにまつわる短い随筆だった。詳細は伏せるが、かなりローカルな情報が盛り込まれていて、これは紛れもなく祖父が書いたものだと、胸が熱くなった。有料で複写が可能だったので、一枚コピーして持ち帰った。以来、小説をうまく書けないときには、それを読むことにしていた。読んで、いつか私の文章も雑誌に載せてもらうんだと、自分を奮い立たせていた。

この連載で散々、「これがなければ作家になっていなかった」エピソードを挙げてきたが、「書きたい」という思いのルーツは、間違いなく祖父だ。

国立国会図書館の検索システムで祖父の名前を入力すると、4件の結果が表示される。

「鈴村ふみ」の検索結果も、同じく4件。

いつか祖父の2倍、3倍―欲を言えば、もっと多くの結果を表示させるのが、今の私の、一番の目標だ。



ふみ日記

鈴村 ふみ
1995年、鳥取県米子市生まれ。立命館大学文学部卒業。第33回小説すばる新人賞受賞作「櫓太鼓がきこえる」(集英社)でデビュー。小説家であり、とりだい病院1階のカニジルブックストア店長。