昨年の九月、書店がオープンしたときから常に、二種類の名刺を携帯している。
一枚は「カニジルブックストア店長」としてのもの。お店に来てくださった方に挨拶するたびお渡ししているので、使用頻度はかなり多い。
もう一枚の名刺は、肩書が「小説家」となっている。デビュー作『櫓太鼓がきこえる』が刊行された昨年春、お祝いとして友人が作ってくれたものだ。薄桃色の手漉き和紙に、原稿用紙と万年筆の絵がプリントされたかわいらしいデザインで、とても気に入っている。
それにもかかわらず、私はしばらくこの名刺を使えずにいた。
そもそも「小説家」とは何なのか。『デジタル大辞泉』によると「小説を書くことを職業としている人。作家」と定義されるらしい。
なるほど、小説を書くことを職業に……できてないじゃん、まだ本を一冊出しただけなのに。
今の自分を正確に言い表すなら、「小説家」ではなく「小説家になりたくて新人賞に応募したらたまたま受賞してしまい、本を出した人」だ。それだと長いから、略して「小説家」という肩書がつけられたのだ。
そう自らに言い聞かせ、友人作の名刺は机の引き出しにしまっていた。これは「小説家になりたくて(以下略)」ではなく、本物の「小説家」になれたときのためにとっておこう。今の自分じゃ、おこがましくて使えない。
そして季節が変わり、暑い夏を迎えた。『櫓太鼓がきこえる』が発売されてから四ヶ月が経とうとしていたけれど、私はまだ新作を発表できていなかった。それどころか、四十~八十枚の短編ですら書きあぐねていた。
デビューした直後が勝負だと、編集者から口酸っぱく言われていたのに。過去に同じ賞を受賞された先輩方はみな、一年目からバリバリ原稿を書いていたのに。私はいったい何をやっているんだろう。
焦って短編の続きを書いてみるけれど、やっぱりうまくまとまらない。結局時間ばかりが過ぎ、ますます焦る。そんな悪循環に陥っていたあるとき、思いもよらないオファーが舞い込んできた。とりだい病院内に書店を作る計画が持ち上がっているのだが、そこで小説家兼店長として働かないかという。それも医療関係者、作家や編集者など、さまざまな知識人・文化人がおすすめする本ばかりを集めた、今までにない書店だ。
面白そう、と思ったけれど、不安の方が勝った。
店長なんて、自分には荷が重すぎるのではないか。社会人としても「小説家」としても、さしたる実績はないんだし……。
カニジル編集長であり、株式会社カニジル代表の田崎健太さんに会って話を聞くことになったものの、最初は断るつもりでいた。念のため「小説家」の名刺も持って行ったが、使うことはないだろうと思っていた。しかしそんな決意と予感は、いとも簡単に覆された。
「私には無理だと思います」と申し出たところ、こう返ってきたのだ。
「あなたはまだ若いんだし、大丈夫。執筆活動をサポートしてくれそうな人だって紹介するし、うちで働きながら、作家として大きく育ってくれたらいい」
肩の力が抜けた気がした。
ちっともうまく書けない自分は、今後も「小説家」としてやっていけないのだろう。そう思い続けていたから、「大丈夫」のひと言が胸に沁みた。
それと同時に、今まで自分は本気で小説を書いていたのか? という疑問も湧き上がってきた。
振り返ってみれば、私はずっと言い訳をしていた。
まだ「小説家」ではないから、思うように書けなくて当然。大して実力もないんだから、自分の小説を読みたがる人なんていない……。そうやって、書くことに正面から向き合おうとしていなかった。
このままではだめだ。れっきとした「小説家」になるために、きちんと覚悟を持たなければ。経験を積んで、もっともっと自分の可能性を広げなければ。
帰り際、最初は出せなかった名刺を田崎さんに渡した。人前で「小説家」を名乗ったのは、このときが初めてだった。
早いもので、それから半年が過ぎた。
相変わらず原稿を仕上げるのに四苦八苦しているし、店長としてはかなり頼りないけれど、今日も私は、二種類の名刺をポケットに入れて働いている。
「小説家」と「カニジルブックストア店長」。
どちらも私にとって、大切な仕事だ。
前置きが長くなりましたが、本号からコラムを書かせていただくことになりました。小説家で、カニジルブックストア店長の鈴村ふみです。米子生まれ境港育ち、そして今も境港市在住と、完全なる鳥取県民です。
医療に関してはまったく明るくないのですが、新人作家としてのこぼれ話、書店の日常など、私にしか書けないことを綴っていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
鈴村 ふみ
1995年、鳥取県米子市生まれ。立命館大学文学部卒業。第33回小説すばる新人賞受賞作「櫓太鼓がきこえる」(集英社)でデビュー。小説家であり、とりだい病院一階のカニジルブックストア店長。