本は命の泉である
とりだい「人生を変えた一冊」
人は何で生きるか
レフ・トルストイ  訳・北御門二郎 あすなろ書房

文・大川真紀


人生を変えた一冊
©︎中村 治



脳神経小児科 助教
西村 洋子

2021年9月、とりだい病院にカニジルブックストアがオープンした。セレモニー直後の取材陣でごった返す店舗入口に目を輝かせて立つ白衣姿があった。脳神経小児科 西村洋子助教だった。

本が好きなのか尋ねると、「両親ともに本好きだったので家には本がたくさんあり、読書の習慣は自然と身に付いた」と話した。若い頃は著名な文学作品を読み漁り、最近では歴史小説や歴史書を楽しんでるそう。その西村が人生を変えた一冊として今回挙げたのがレフ・トルストイの『人は何で生きるか』だ。

トルストイといえば、19世紀のロシアを代表する文豪で『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』といった長編小説は、誰もが人生のどこかで巡り合う名著だ。そのトルストイは、子どもでも読めるくらい平易な文体で民話や童話も多く書いている。

西村と本書との出会いは13年ほど前、横浜市内の病院に勤務している頃だった。東京の実家に戻った折に父親と二人でふらっと立ち寄った書店で「この本いいよ」と父親に薦められたという。訳者の北御門二郎は熊本出身。熊本で高校生活を送った西村と父親も通った県立高校の大先輩だった。

「横浜に帰る途中、パーキングエリアに車を停めて何となくページをめくったんです。そうしたら、もう止められなくなって。5冊セットをその場で全部読んでしまいました」

舞台は冬のロシア。貧しい靴屋が辻堂の脇で凍える裸の若い男を助け、家に連れ帰る。寡黙な男が数年間で笑顔を見せたのはたったの3度。この3度の微笑みにはもちろん理由があった。不思議な縁や奇妙な偶然が重なっているのか、はたまたそれは全て神が為せるわざなのか―。

西村はもともと医師を志していたわけではなかった。高校生のとき、臨床心理士という仕事に興味を持った。その仕事に就く親戚から「同じ目指すなら精神科の医師になった方がいい」と言われ、筑波大学医学群医学類に入学。しかし、研修で精神科を回ったとき、精神科医は自分には向いていないと感じた。小児科を選んだのは消去法だったのかもしれない。

「でも、小児科医って子供の成長や発達をみていけるところが面白い」

脳神経小児科が扱う病気は治療したら治るものばかりではない。それどころか診断すらつかない場合も多く、子供たちや家族は一生涯その病気と付き合っていくことになる。

「子供たちってね、病気を受け入れるんです。それがその子たちの当たり前。そのうえで真摯に人生を歩んでいる」

『人は何で生きるか』の中に双子と母親のエピソードがある。自分が生んだ子供でなくても愛おしく育てる母親。西村はこのエピソードをよく思い出すという。

「私が関わる子ども達も、色んなところで助けられて成長していくんだろうって思う。医師として何とかしてあげなくちゃいけないという変な驕りから解放してくれるんです」

宗教色の強い作品ではあるが、説教臭さは微塵も感じない。

「生きていくなかでそっと支えてくれる本。嫌なことがあったとしても人間らしさを信じて生きてほしい」

西村はこれまで勤めてきた病院を去る時、いつもこの本を贈ってきた。西村にとってそうであったように、きっと子供たちにもこの本が寄り添ってくれることを願って。