病院長が時代のキーパーソンに突撃!
対談連載「たすくのタスク」
ノンフィクション作家 佐々涼子

写真・中村 治


たすくのタスク

在宅医療の現場を7年にわたり追った『エンド・オブ・ライフ』の著者、ノンフィクション作家・佐々涼子さんが登場。
原田 省病院長は医師として、佐々さんは作家として
「死と向き合う人々」を見続けてきた。
2人が語る、終末期医療、死の迎え方ー。

「病気を診ずして、人を診よ」

原田 もしかして、他の方々と少々違った感想かもしれません。佐々さんの『エンド・オブ・ライフ』を読み終わったとき、最初に思ったのは、日本も豊かになったなということでした。

佐々 (首を傾げて)豊か、ですか?

原田 ぼくが医者になった頃、年齢、症状に関係なく、患者の容体が危なくなってきたら、とにかく救命措置を執るというのが常識でした。90年代にベストセラーになった『病院で死ぬということ』(山崎章郎)という本があります。そこでは若手医師が亡くなった老人に強心剤を入れて、顔つきが変わってしまうほど強引に心臓マッサージをするという話がありました。亡くなることが明白であっても、延命処置を繰り返すのは当たり前でした。そして、医師はそれに疑問も持たなかった。一方、『エンド・オブ・ライフ』に出て来る訪問看護師、医師たちは患者の死を前にして患者一人ひとりの希望や気持ちに寄り添っている。隔世の感があります。

佐々 (微笑んで)なるほど、そういう意味ですか。

原田 この本の取材を始めるきっかけを伺ってもいいですか。

佐々 当時、私は『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』という本で『開高健ノンフィクション賞』を受賞した、駆けだしのノンフィクションライターでした。

原田 エンジェルフライト、読みました。面白かったです。海外で客死した人たちの遺体を運ぶ仕事を描いた作品ですね。

佐々 ありがとうございます(笑)。その頃、ある編集者から在宅医療の医師について取材をしないかと声を掛けられたんです。京都に彼の担当する作家がいて、原稿を取りに行くと、いつもお茶を飲みながら、世間話をしている医師がいると。志のある、すごい先生だからちょっと会ってみたらと言われたんです。

原田 それが渡辺西賀茂診療所の医院長、渡辺康介さんだった。冒頭で、渡辺さんのスタッフが在宅治療している末期がんの女性の〝最後の希望〟を叶える話が出てきます。

佐々 はい、彼女は家族と潮干狩りするという約束をしていたんです。

原田 潮干狩りに渡辺西賀茂診療所の訪問看護師たちがボランティアとして同行する。医師や訪問看護師が患者さんの気持ちを分かって、その最期を大事にしてあげたいと考えている。そこまでスキルフル(技能のある)人が、どれだけいるだろう、京都という街だから出来ているのかと思いました。

佐々 ええ、京都は進んでいると思います。昨今は緩和ケア=終末期医療〝緩和ケア〟一つとっても地域差がありますよね。私自身、この取材を始めるまで、身体の痛みや不快感を緩和する、〝緩和ケア〟についてほとんど知りませんでした。患者さんの痛みって、数値化できない。(薬物投与で)痛みを止めるかというのは、医者のさじ加減みたいなところがあります。本当に痛みをとってくれる先生に当たれば、最期までいい状態で過ごすことができる。

原田 緩和ケアは本当に難しい。とりだい病院でも強化しなければならないと思っているんです。緩和ケア、終末期医療を考えると、〝病気を診ずして、(病)人を診よ〟という言葉が浮かんできます。特に大学病院では高度医療に集中しがち。病気を治すことに注力して、人を診るという境地まで到達するのは難しい。人を診るには、患者の日常生活まで見通さなければならない。医師だけでは無理です。そこで、とりだい病院では訪問看護をやっています。

佐々 大学病院では全国的にも珍しいのではないですか?

原田 ええ。看護師たちが、ご自宅を訪れると発見もあるんです。例えば、トイレが洋式でなかったりする。用を足すときに足腰に負担が掛かりますよね。そうした要因も考慮しなけれはばならない。ぼくたち、医師はどうしても自分と同じような生活をしているという思い込みで患者さんを診る傾向がある。でも患者さんにはそれぞれの生活があるんです。

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