GO TO 素敵な BOOKSTORE 本の「王国」山陰を歩く

文・三宅玲子 / 写真・中村 治


BOOKSTORE

鳥取県が本読みにとって実は恵まれた環境であることは県民自身も気付いていない。 日本に限らず、世界中で多くの書店が看板をおろす時代にあって、わずか人口55 万人の鳥取県では、公立図書館も老舗大型書店から個性的な独立書店までもが、今も本読みを魅了し続けている。

半径百キロ圏内から客が足を運ぶ本屋

店頭に「本」とサインが掲げられているものの、そのすぐ横には「焼き芋」の旗がはためいている。洒落た雑貨屋のようにも見える店構えだ。一歩足を踏み入れると、文化人類学、経済、自然科学、建築、アートなど、ジャンルによって緩やかに分けられた本が整然と、本を求める人の訪れを待っていた。

ここは東西に細長い鳥取県のほぼ真ん中に位置する東郷湖のほとり。書店名を「汽水空港(きすいくうこう)」という。東郷湖は真水と海水が混じり合う汽水湖である。汽水のように、異質のものが出会うことによって起こる揺らぎに価値があるというのが店主の考えだ。訪れた人が本と出会い、思索を深めてまた飛び立つ場であるように願って名付けた。

古典や名著から新しい書き手まで区別はなく、また古書と新刊が分けずに並べてある。今となっては新刊書店では出会いにくい思想書やエッセイも棚に収まっている。

ビジネス書はないけれど、宇沢弘文の『社会的共通資本』をはじめ、資本主義を問い直す経済学の本は何冊もある。自己啓発書はないけれど、坂口恭平の『自分の薬をつくる』を見つけることができる。ここに並んでいる本はどれも、結論を急ぐ人には満足できないかもしれない。その代わり、立ち止まって考えることを必要としている人には心強い道連れとなるだろう。

読書人にとっては、実に魅力的な本屋だ。しかし、人口1万6千人の湯梨浜町の住民を意識した選書ではない。いったい誰が此処へわざわざ本を買いに来るというのだろう。

「山陰(地方一帯)や岡山などの半径100キロ圏内からわざわざ足を運ぶ人がほとんどです」

店主のモリテツヤさんが言った。

モリさんがこの場所で「汽水空港」を始めて6年になる。空き店舗を地元の人から安く借り受け、大工や左官の現場で仕事を覚え、自分で改修し、今の形に整えた。農地と空き家を借りて畑で作物を育て、自給自足しながら本屋を営んでいる。農業と書店という組み合わせは20歳の頃に持った夢だ。1986年生まれのモリさんは、大学卒業後に農業を学び、東日本大震災がきっかけで関東から鳥取へと流れ着いた。開店当初は何日も客の来ないこともあった。畑仕事をし、工事現場で現金収入を得ながら、少しずつ思う形に近づけてきた。

ほとんどゼロの状態から体を動かし、手を動かし、場所を拓く。大きな組織でシステムとして回る経済とは意識的に距離をとった。店の近くで借りた畑は「食える公園」と名付けた。金銭的よりも精神的な豊かさを願う人たちと体験を分かち合う場にしたい。そんなモリさんのやり方を支持する人たちが、アマゾンでも買える本をわざわざ買いにここにくる。

昨年は、作家でアーティストの坂口恭平、今年は思想家・内田樹がブックトークに訪れ、約20人の読者が膝(ひざ)詰めで濃厚な時間をともに過ごした。

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