リハビリテーション部 言語聴覚士
玉川友哉
盲・聾・唖の三重の障がいを持つヘレン・ケラーと家庭教師アン・サリバンについては、たいていの人が子供の頃に読んだ伝記本や、映画や舞台で度々上演される『奇跡の人』で知っているはずだ。7歳でサリバンに出会うまで教育も受けず、わがまま放題に育ったヘレンと激しい格闘を繰り返しながら彼女の言葉の獲得に尽力するサリバン。井戸端で流れる水を触り「water」が水を表わす言葉だとわかって喜ぶ感動的なシーンが印象的である。しかし、この『ヘレン・ケラーはどう教育されたか―サリバン先生の記録―』には、そういったドラマチックな要素はない。冗長とさえ感じられるほど淡々とした日々の記録である。
リハビリテーション部に所属する言語聴覚士・玉川友哉は、山陰で唯一人の聴覚障害を専門とする言語聴覚士である。現在38歳の玉川は、高校生の時に通っていた塾で耳の聞こえない同級生に数学を教えた経験がある。その時にどうコミュニケーションをとったらいいかわからなかったことが、言語聴覚士という職業を目指したきっかけだった。生まれ育った大阪を離れ、宮崎県にある九州保健福祉大学言語聴覚療法学科に進学。大学2年生のある授業で映画『奇跡の人』を観た。そして、レポートを書くにあたって教授に薦められたのが、この本だった。
「この本には、ヘレンが言語を獲得していくステップが一つひとつ細かく書いてある。具体的なエピソードは教科書では学ぶことができない知識になりました」
本の大半は、サリバンが親友に宛てた書簡である。まるで日記のようにその時々のエピソード、サリバンの思いが詳しく書かれている。この本から得た知識が仕事に活かせているか尋ねると、「形容詞の教え方って難しいんです。目に見えないものをどう教えるか。その辺りはこの本がとても参考になった」と本を開いて指差した。
「甘い/すっぱいものを食べたときに表情が変わった瞬間を見逃さず〝甘い/すっぱい〟という言葉を伝える。これは今でも親御さんにアドバイスしています」
とりだい病院を選んだのは、山陰で唯一、人工内耳手術を行っている施設だからだ。玉川が国家試験に合格し、大学卒業を控えていた時期、とりだい病院では術後のリハビリや検査、指導ができる聴覚障がいを専門とする言語聴覚士を探していた。恩師の勧めで鳥取に来たけれども、専門が同じ先輩もいない。指導をする子供の親は自分よりずっと年上で、気が引けてしまった。そんな時よくこの本に書かれているエピソードを思い出したという。
「この本は、言語聴覚士として一人の人とどう向き合うべきかをおしえてくれた。サリバンもヘレンも境遇は違えど孤独だったと思う。孤独をぶつけるしかなかった。そこに向き合ってくれる人がいたから光が見えてきたんです」
とりだい病院での仕事のほかに聾学校での指導にも通う玉川。幼稚園児から高校生まで100人近くの子供たちに関わっている。アン・サリバンが生涯をかけてヘレン・ケラーに寄り添ったように、玉川も聴覚障がいを持つ子供達の成長を見守りたいと考えている。その時々にこの本が気づきを与え、自信を強めてくれるのだ。