病院長が時代のキーパーソンに突撃!
対談連載「たすくのタスク」
サッカー指導者 李 国秀

写真・中村 治


たすくのタスク

サッカーの名門 桐蔭学園高等学校で通算11年監督を務め、数多くのJリーガーや日本代表選手を育て上げた李さん。サッカーはもちろん、スポーツに対する視点、考え方は型破りで「李哲学」とも称されています。一方、1900人の職員を率い、学生や若手医師を教育する立場でもある原田病院長。この二人の共鳴やいかに…。

サッカーの練習は1日1時間で十分

原田 今回、李さんには高気圧酸素治療室を体験して頂きました。以前にも利用されたことはありますか?

 いえ、初めてです。存在は知っていましたが、(天井を見上げて)こんなに大きな施設だとは思いませんでした。

原田 日本で最大級です。自衛隊に同様の大きさの施設が一つありますが、これよりも小さい。現在は難治性潰瘍や放射線性膀胱炎などに使用されています。怪我の治りが早くなるというデータもあるので、今後はアスリートにも使用してもらいたいと思っているんです。

 聞いてみると、知り合いのスポーツドクターたちも使っているみたいです。色々と使い道はありそうですね。

原田 さて、李さんといえば、ヴェルディ川崎の監督の他、進学校でもある桐蔭学園のサッカー部を全国レベルまで引きあげ、Jリーガーを次々と輩出した名伯楽です。やはり猛練習で選手たちを鍛えあげたんでしょうか?

 (笑いながら)ぼくの練習は1日1時間です。

原田 たった1時間で強くなるんですか?

 長時間の練習は、指導者がこれだけやったという自己満足に過ぎないとぼくは考えています。大切なのは時間の長さではない。そもそも、ぼくの練習を1時間もやれば頭がへとへとになって、それ以上はできないです。

原田 李さんのトレーニングというのは、高度な戦術トレーニングのようなものですか?

 いえいえ、ほとんどは基礎技術です。やっていることはそんなに難しくない。でも頭がついていかないんです。ぼくはサッカーの「1+1」ということをいつも考えているんです。四則計算では、1+1は2という答えしかありえません。でもサッカーの場合は、そうした共通認識が存在しない。選手、指導者によって、「1+1」の答えが違ってくる。

原田 少し分かりにくいです(苦笑)。李さんにとって「1+1」とはどういう意味なんでしょうか?

 ボールを大切にすることです。敵が来たら、パスをする。敵が来なければボールを持って、ドリブルして前に進めばいい。

原田 言葉にするとごく当たり前に聞こえます。

 その当たり前のことがなかなか出来ないんです。先ほど、病院見学で手術室を見せて頂きました。手術室にいる医師、看護師さんたちの緊張感ある表情が印象的でした。手術室内には、共通言語があるはずです。それが医療の1+1です。

原田 なるほど、そう言われると分かりやすい。手術室で共通認識がなければ手術はスムーズに進まないです。トレーニングを重ねて共通認識を作っていき、次はどうするんですか?

 試合です。では、原田先生に質問しましょう。試合でぼくは何を大切にしていると思いますか?

原田 (腕組みをして)何が大切だろう……勝つことですか?

 試合、つまりトレーニングマッチを、ぼくは〝評価戦〟と位置づけています。練習でやったことがちゃんと出来ているかという確認の場という意味です。

原田 評価戦ですか?初めて聞いた言葉です。勝敗はどうでもいいということですか?

 その通りです。勝とうが負けようが、練習でやったことが出来ていればOKです。例えば、さっき言った、相手選手が近くに来れば、味方にパスを出す、こなければドリブルする、というようなことです。これが出来ていればOK、出来なければ交代です。

原田 その選手が活躍して得点を挙げたとしても、練習でやったことが出来なければ交代させるんですか?

 関係ないです。大切なのはチームの中に基準を作ることなんです。その基準を選手たちが理解すればおのずと一つのチームになっていきます。歯の噛み合わせが悪いって言い方がありますよね。チームも一本一本の歯、つまり選手同士の噛み合わせを良くすることが大切なんです。



たすくのタスク
アスリートも医師も「社会性」が大切

原田 勝敗にこだわらないとおっしゃいましたが、李さんの監督時代、桐蔭学園、ヴェルディは好成績を残してきましたよね。

 勝負事で大切なのは、勝利の女神に好かれること。勝利の女神が好きなのは、洋服をTPOに合わせて着こなすことができ、沢山本を読んで、いい香りのするスマートな選手。ゴルフでパットが一センチずれて(ホールに)入らなかったとします。そのとき悔しいとクラブを叩きつけるんじゃなくて、勝利の女神に愛されるには、読書が足りなかったとか、自分に何か欠けていたんじゃないかと反省すべきではないかと(笑)。

原田 ぼくもゴルフ好きですけれど、そんな風に考えたことはなかったです(笑)。

 ぼくは1993年に桐蔭学園の選手達を連れて、ドイツで行われた国際大会に参加。バイエルン・ミュンヘンやボルシア・ドルトムントなどのユースチームと対戦したことがあります。

原田 バイエルンやドルトムントは欧州の名門クラブ。そのユースチームというのは、何年後にトップチームに昇格するプロ予備軍ですよね。高校生チームである桐蔭学園が対等に戦うことはできたのですか?

 (にっこりと笑って)ええ、優勝しました。優勝したことでほっとした面もあったのですが、それよりも重視していたのは、選手たちが現地でどのように振る舞うか、でした。

原田 現地での振る舞いとは?

 例えば、ホテルでどのように過ごすかです。ぼくは宿についたらタオルが足りているかなど、自分たちが快適に過ごせるようになっているのかをまず確認するように言いました。そして、朝食をとるときはジャージなどではなく、きちんと服を着ること。

原田 日本人はパジャマのような格好で食事の席に行きがちですよね。

 去り際、宿の人たちから桐蔭の選手はマナーがいいと褒められました。それが優勝したことよりも嬉しかった。ぼくはチームが勝つため、あるいはプロ選手に育てるために監督をしているのではない。選手たちの大切な十代の時間を預かっているんです。スマートな社会性のある大人に育てなければならない。

原田 社会性という言葉はぼくたちにも突き刺さる言葉です。医学部を出て、国家試験に通れば二十四、五才で医師となって、先生と呼ばれる。医者という職業は、患者さんが人生で一番大変なときに、心を通わせて一緒に治療しなければならない。そのためには社会性、人間性が必要です。それは色んな経験をしなければ身につかない。しかし……

 医学部に入るには難しい。受験勉強に没頭して、社会性がないがしろにされがちということですか?

原田 その通りです。加えて、中身は全く「先生」ではないのに二十代半ばから、何十年も先生と呼ばれ続けると勘違いしてしまう。ぼくたちにとっては頭が痛い部分です。

 そこでスポーツの存在価値が出て来るかもしれません。ぼくはスポーツをやることで三つの能力を得られると言い続けてきました。一つは指導者の言葉を聞く能力、二つ目は観察する力。三つめは反省する力。スポーツとは、規律、社会性を身につけ、少年を大人の男性に、少女を大人の女性にするものです。

原田 確かに体育会系の人たちは礼儀正しいという印象があります。

 ただ、社会性はどうかとも思うんです。日本では体育、あるいは軍事教練のような特訓とスポーツが混同されてきたような気がします。スポーツの本来の意義を考え直さなくてはならない。



たすくのタスク
大切なのは「サッカーを両手で扱うこと」「病院愛」

原田 李さんは、「噛み合わせ」という言葉を使われました。医療もチームプレイなんです。李さんのおっしゃることは医療にも通じます。チームの中で理解度の差がある場合もある。

 桐蔭学園の場合、年間十人の中学生を獲ることができたんです。ぼくがいいと思った選手を十人集めても、どうしても理解度、力量は上中下に別れる。ただ面白いもので、試合に出られる選手はきちんと理解しているんです。大切なことは公平にチャンスを与え、依怙贔屓(えこひいき)をしないこと。そして試合での基準はトレーニングでやったことを再現できるかどうか。

原田 つまり基準がぶれなければ、チームとして機能すると。その意味では、練習は1時間。大切なのはそれ以外の時間をどう過ごすか、ですよね。

 いい指摘ですね(笑い)。確かに練習は1時間です。隣りの野球部は長時間練習。(桐蔭学園出身で元読売ジャイアンツの)高橋由伸君は、練習の短いサッカー部が羨ましかったそうです(笑い)。しかし、時間内でぼくの与えた課題ができない選手たちは居残って練習していましたね。サッカーというスポーツは個とグループの二つの視点が大切です。まずそれぞれの選手の個の技術とサッカー観を揃える。次にグループでやってみて、滑らかに動かなければ、個のトレーニングに戻ればいいんです。

原田 個とグループという観点に立つと、サッカーは不思議なスポーツです。ブラジル代表など各国の代表選手は日頃、違うクラブで練習をしている。ところが数日、ときに数時間の練習で一つのチームになり、ワールドカップなどで驚くような連動性を見せることがありますよね。

 1+1を共有できる選手同士を集めれば、簡単な決まり事だけ確認するだけでいいんです。あとはメンタルとフィジカルのコンディションだけ整えればいい。

原田 李さんの話を聞いていると、サッカー、そしてスポーツを非常に大切にしていることが伝わってきます。

 (指で弾く仕草をして)サッカーを指で扱う人、片手で扱う人、両手で扱う人がいます。ぼくは両手で扱う人でないと付き合いたくない。

原田 サッカーを大事にするということですね。ぼくも似ているかもしれません。病院長として何を重視するかというと、病院愛を持っているかどうか。病院愛っていうと少々大仰に聞こえるかもしれませんが、自分が働いている病院が好きで、少しでも良くしたいと思っているかどうか。それをみんなに求めたい。

 とりだい病院、さらに言えば医療を両手で扱うべきということですね。ぼくはこれまで日本全国に行ったことがあったのですが、山陰の二県、鳥取と島根だけは訪れたことがなかった。とりだい病院に来て、想像以上に設備が整っていて、みなさんが生き生きと前向きに働いていることに驚きました。

原田 (笑顔で)ありがとうございます。

 ぼくなりにとりだい病院をもっと良くするにはどうすればいいのかとも考えました。病院の方々の話を聞き、半日ほど米子の街を歩いてみました。そこで思ったのは、タキシードやドレスを着て出かける場所がないんじゃないかと。

原田 (首を傾げながら)タキシードとドレス?

 社会性にも繋がるんですが、人間というのは、おしゃれをして出かける場所がないと、どんどん楽な方向に流れていってしまう。普段はカジュアルな場所でTシャツで食事していいんです。でも時には日常から切り替えて、正装して出かけるべき。そうすれば間違いなく、生活が豊かになる。なにより子どもの大人に対する見方も変わるはずです。そうした場所に出入りできる、おしゃれ、モラル、TPOをわきまえた大人になりたいと考えるようになる。

原田 横浜中心部で育った、おしゃれな李さんらしい発想です。

 (微笑みながら)それはともかく、もう一つは、折角、韓国や中国に近いのだから東アジア全体を視野に入れるべき。その意味でここに高気圧酸素治療室のような医療機器があることは大きい。米子には皆生温泉もある。韓国のサッカー選手たちにとっても魅力的な場所なはずです。

原田 なるほど、今後のキーワードは社会性と汎アジアかもしれません。今後もとりだい病院へ色々と意見をお願いします。




李 国秀 株式会社エル・スポルト 代表取締役
1957年横浜市生まれ。16才で読売クラブとプロ契約。1981年に横浜トライスターサッカークラブに入り、選手そして実質的な監督として四年間で神奈川県リーグから日本リーグ一部に昇格させる。1987年に桐蔭学園高校サッカー部監督に就任。清水商業、帝京高校でも指導者として活躍。1999年から2年間ヴェルディ川崎の総監督を務める。教え子には、元日本代表の森岡隆三、戸田和幸、山田琢也、小野伸二らがいる。

原田 省 鳥取大学医学部附属病院長
1958年兵庫県出身。鳥取大学医学部卒業、同学部産科婦人科学教室入局。英国リーズ大学、大阪大学医学部第三内科留学。2008年産科婦人科教授。2012年副病院長。2017年鳥取大学副学長および医学部附属病院長に就任。患者さんと共につくるトップブランド病院を目指し、未来につながる医学の発展と医療人の育成に努めながら、患者さん、職員、そして地域に愛される病院づくりに積極的に取り組んでいる。好きな言葉は「置かれた場所で咲きなさい」