大学病院の謎 第6回 内科や外科に第一、第二とついているのはなぜ?



大学病院の謎_01

起源については諸説ある

内科や外科に番号がついているのは大学病院だけではなく、総合病院でも見かけることがある。いわゆる「ナンバー診療科」である。

当院の先生方や事務職員に聞いてみたところ「日本の医学はすべてドイツからきたもの。だからこの事もしかり」とか、「東大をマネしたのでは」とか、「大学院の設置基準で必要だったから」など、バラバラな答えが返ってきた。どれもそれなりに当たっていると思われる…。

もともと内科学や外科学は、多くの領域に別れている。一人の教授がすべての領域の診療、そして教育を受け持つことは実質的に不可能だった。そこでもう一人の教授が配置されたり、細分化されたりして一や二、三という「ナンバー」が付されることになったのだ。

ただし、教授の専門分野が違っているとはいえ、内科・外科一般を扱っているのはどちらも同じ。そのため、例えば「第一内科」や「第二内科」の診療内容に重複があったという。



第一、第二は「学閥」の産物?

取材をしていくうちに、第一と第二の違いは、教授の専門分野だけでなく、「学閥」が少なからず関係していたことが分かった。日本全国の医学部の礎はいわゆる七旧帝大。それ以外の大学は、旧帝大より教授を招聘していた。だから第一と第二の教授は〝系統〟が違うこともあった。特に外科では、手技、手法にそれぞれの流派があり、門外不出だったという。同じ大学病院内でも第一と第二はライバル同士。お互いが切磋琢磨していたとも言えるが、同じ病気の患者さんは、かかったナンバー診療科によって違う治療を受けていた。かかりつけ医や関連病院の医師が、第一外科の所属またはOBであれば第一外科に、第二外科ならば第二外科に紹介するということがあったようだ。



とりだい病院が目指すのは「患者さんファースト」

このようなナンバー診療科のヒエラルキーや壁は、患者本位でないことや、それぞれが別々の器機や部屋を使うなど病院運営上、非効率であることが問題となってきた。そこで大学病院の在り方について検討がなされ、診療科再編が起き、現在の臓器・疾患別の診療体制に変わったのである。

当院でも旧第一内科や旧第一外科と表示に名残はあるものの、旧第一、二、三内科は循環器・内分泌代謝内科、消化器・腎臓内科、呼吸器・膠原病内科に、旧第一、二外科は消化器・小児外科、心臓血管外科、呼吸器・乳腺内分泌外科にと臓器・疾患別に分かれ、患者さんは病気の種類によって、その該当科に紹介され治療が行なわれている。

ただ、ナンバー診療科にも利点はあった。一つの診療科が多くの専門分野を有していたので、異なる病気を併発している患者さんの場合、科内で気軽に相談することができたのだ。臓器・疾患別となった現在は、横のつながり、すなわち診療科間の連携がとても重要となる。とりだい病院は、内科同士はもちろん、内科外科でも垣根なく、チームでの診療を目指している。

ナンバー診療科こそ、白い巨塔の象徴だったとは…とりだい病院広報も初めて知った事実であった。