病院長が時代のキーパーソンに突撃!
対談連載「たすくのタスク」
吉本興業 代表取締役会長 大﨑 洋

写真・中村 治


たすくのタスク

ダウンタウンを育てた男——吉本興業の大﨑洋会長がカニジルに登場。意外に思われるかもしれませんが、大﨑さんは最新刊『吉本興業の約束——エンタメの未来戦略』で地方創生を熱く語っています。病院は地方創生の核という原田病院長とすっかり意気投合!

東京でずっと暮らしていると「バランス」が悪くなる

原田 大﨑さんが坪田信貴さんと出された『吉本興業の約束』を読ませて頂きました。この本では〈吉本が考える地方創生〉と一章を割いて、地方創生に触れられています。そこで是非、大﨑さんに米子と病院を見て頂きたいと思ったんです。大﨑さんが〝地方〟を気に掛けるようになったのはいつ頃からなんですか?

大﨑 ぼくは大阪の堺で生まれて、なぜか吉本興業(以下吉本)に入りました。入社して6年目に会社が東京で事務所を作るっていうので、レンタカーを借りて布団とか積んで東京に行ったんです。

原田 漫才ブームの頃ですね。

大﨑 ええ。それでバタバタして気がついたら、もう何十年も経っていた。あるとき、新宿の(JR)ガード下で電車の通る音を聞いて、突然、昔を思い出したんです。こんな音、子どもの時以来、聞いていなかったなぁって。なんか東京でずっと暮らしているとバランス悪いなと思うようになったんです。

原田 私は出張でしばしば東京に行きます。東京は便利で魅力的な街ですが、日本の中で特別な場所。東京を標準に考えることはできないと思います。

大﨑 それで十年前の(2010年)12月頃に、東京の下町の本郷で、今の社長の岡本(昭彦)君と銭湯に行って、サウナに入っていたんですよ。するとNHKで、地方が疲弊していて若者が働く場所がないというニュースが流れていた。隣りに座っていた岡本君に「お笑いって産業にもならへんし、沢山の雇用を創出するわけではないけれど、47都道府県に契約社員一人ずつ雇って、地方から大阪や東京に出てきている芸人を住まわせたら、おもろいんちゃうか」って話したんです。

原田 それが「47都道府県住みますプロジェクト」となった。

大﨑 (2011年)1月4日に吉本のホームページに、プロジェクトを始めます、契約社員募集しますって載せました。そうしたら、5千人ぐらい募集があったんです。その中から面接して47人採りました。4月1日、(通常採用の)新卒の子たちと一緒に入社式をしました。そうしたら、〈住みます社員〉の子たちが、胸張って、地元のため、故郷のために頑張りたいと言うんです。その思いと熱量に驚きました。

原田 ここ米子もそうですけれど、地元に熱い思いを持つ若者は多いです。とはいえ、吉本も民間企業。彼らを雇うことで、大きな赤字が出れば経営者としてはまずい。

大﨑 (大きく頷いて)実家に住むという芸人はともかく、契約社員には給料を払わないといけない。財務(担当)に相談したら、2億2、3千万ぐらい赤字が出るっていうんです。それだったら、まあいいかと始めました。ところが、一年経ってみたら、百何十万なんですけれど、黒字でした。芸人の若い子たちが、昨日来て明日帰りますではなくて、本当に住んだのが大きかった。その決意が伝わったのか、地元の方々に可愛がってもらったんですね。

原田 ただ、地方は東京や大阪と違って、芸人の仕事は多くないと思うのですが……。

大﨑 大きいのはなくても小さいのがあるんです。町役場や村役場に、「ぼくたち吉本から来ました、ここに住んでます」って挨拶に行って、コミュニティFMのラジオの仕事をもらったり、村祭りの司会をして一日何千円の世界。それを積み重ねての黒字でした。芸人って、一人ひとりが個人事業主なので、気合いが入っている。喋りだけで、一生食っていこうという連中なので、ぼくらみたいなサラリーマンよりも生きる力があるんです。

原田 文字通り、舌先三寸(笑)。

大﨑 地方に行って、住みます芸人とか住みます社員にたまに会うんです。そうしたら、老いたら子に従え、じゃないんですがその子たちに教わることが多い。この生き残る力っていうのは、ぼくらのエンタメ(業界)、吉本の原点じゃないかなと思うようになりました。

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