大学病院は24時間体制で治療にあたっている。そんな医療者を支えるために設置されたのが院内保育所だ。職員の勤務時間を優先し、子どもたちを温かく引き受ける。「真夜中の陽だまり ルポ・夜間保育園」(文藝春秋)の著者、ノンフィクションライターの三宅玲子がすぎのこ保育所に密着取材した。
雨あがり、湿り気を帯びた暗がりに木々の濃い匂いが立ち込めていた。
病棟や研究棟を抜けた南の端、城山の木々を背中に、すぐ目の前には湊山公園。
山のふもとの保育所には今夜、小さな明かりが灯り続ける。
ももちゃんはつき組のお部屋でぐっすりと眠っている。隣で寝息を立てているのは妹のみゆちゃん。
ここはすぎのこ保育所。鳥取大学医学部附属病院の職員の子どもたちを預かる院内保育所だ。
ももちゃんのママは看護師。
ももちゃんは1歳からこの保育所に通っていて、お泊まりもその頃から。前は悲しくなってお布団でしくしくしてしまうこともあった。でも、3歳になったももちゃんはお泊まりを楽しみにするようになった。「ママと離れるの、さびしくないの?」とママが心配してしまうくらいに。
張り切るのは、妹のみゆちゃんもいっしょだから。みゆちゃんは1歳半、保育所に通い始めて半年ほど。お支度も帰りの準備も、ももちゃんはみゆちゃんの分まで手際よくやっている。
(だって、おねえちゃんだもの)
ももちゃんは心の中でいつも思っている。
この日、ももちゃんとみゆちゃんがママに連れられて登園したのは15時半。ママは敷地内のとりだい病院2A病棟に出勤する。翌朝9時までの勤務が始まるのだ。
ママとお別れした二人は担任の先生に連れられてそれぞれのクラスに向かった。
つき組ではお昼寝がすんで、おやつの準備をしていた。
「ももちゃん、まってたよー。きょう、ももちゃんはおとまりなんだよね」
お友達がももちゃんに話しかけた。
「そう、きょうね、ももちゃん、おとまりなんだよ」
ちょっと得意そうだ。
担任の中村亜希子先生が声をかけた。
「ももちゃん、工作をしよう」
午前中、つき組のみんなはペットボトルに水性マジックで絵を描いた。ももちゃんは隅っこのテーブルでマジックを広げて水色や黄色でカラフルな模様を描き込んでいく。ずいぶん遅れて登園したのに、ももちゃんはすっとクラスに溶け込んでいる。それを見た私がおや?という顔をしていたのだろう、先生はこう説明してくれた。
「朝の会で、今日はももちゃんはお泊まりの日だから、お昼寝の後に来ると子どもたちに伝えてあります。みんな、よくわかっているんですよ」
同じ頃、妹のみゆちゃんは、そら組の畳が敷かれたコーナーにいた。先生が14人のお友達と歌遊びを始めている。
立ち上がって踊り出す子や体を揺らす子に混じって、みゆちゃんはじっと先生の歌う口元を見つめている。みゆちゃんはたくさんお話するほうではない。でも、いろんなことがわかっている、そんな表情だ。
鳥取大学医学部附属病院には1900人近い職員が働いている。未就学児を育てながら働いている人は珍しくない。すぎのこ保育所は看護師や医師を中心に63世帯の子どもたちを引き受けている。
産後数カ月で復職する女性医師もいるため、勤務中に授乳できるよう保育所には授乳室が設けられている。
こうした恵まれた環境が整うには50年近い積み重ねがあった。
昭和40年代、女性が働くことに社会の理解がない中、看護職は女性に開かれた数少ない専門職だった。育児休暇制度はまだなく、8週間の産後休暇を終えると職場復帰しなければならない。赤ちゃんを預ける先がないために優秀な同僚が職場を去っていくことに危機感を持った看護部が声をあげ、1972年、敷地内の看護学生寮の一室で1歳までの赤ちゃんを預かる授乳室が始まった。子どもたちが楽しく過ごせるようにと、親たちが自宅からおもちゃを持ち寄り、父母会では資金集めのためにバザーを行なった。
その後、平成の半ばを過ぎてから、民間企業に委託し、現在の保育所運営が整った。お泊まり保育が始まったのはその頃だ。
お泊まり保育で育った園児が小学校に入学したことから学童保育のお泊まりも行なっている。
副看護部長の大東美佐子さんは、大学病院で働く魅力のひとつは、意欲さえあれば専門性の高い仕事や先進医療など成長する機会に出会えることだという。そのために大切なのは継続である。働き続けられるよう、ワークライフバランス環境の整備が必要だ。
「子育てや介護など、人生の大きな出来事を個人で解決するのではなく、職場が支えている、大事にされていると実感してもらえたらと思います」
開園は朝7時。7時台は医師を中心に登園ラッシュが続く。医師は始業前に準備や調べものをするために、早めに出勤することが多いという。9時ぐらいまでが看護師の家庭の登園ピークだ。
夕方は16時頃からぽつぽつとお迎えが始まり、17時頃がいちばん賑わう。
患者の病状が急変するなど、親たちは常に突発事項と背中合わせで働いている。そのため、予定のお迎え時間より遅くなることがある。
「うちの園では、早くお迎えに来てください、と保護者にお願いしたことはありません」
園長の重高直美さんが話した。
「しっかりお預かりしていますので安心してお仕事してもらいたいという気持ちです」
医療職の親から子どもの体調のことで相談されることがある。そんなときは、医療従事者である前にひとりの親なんだなと微笑ましく思う。
「お医者さんや看護師さんでも、ご自身のお子さんのことになると不安になられるんですね」
17時、玄関からつながったホールに子どもたちが集まった。この時間は大きな子から小さな子まで広い部屋でいっしょに過ごす。
若い男性保育士の膝に、小さな男の子がぴったりと胸に顔をくっつけて座っている。カンガルーの親子みたいだ。聞けば、昨年、0歳児クラスで担任だったという。
「今日はおとうさんのお迎えが遅くなるみたいで。ぼくのこと見つけて、だっこーって来たんですよ。めっちゃかわいいです」
畑田真基先生は27歳。保育短大で学んだが、卒業後は別の仕事に就いた。それでも保育の仕事が諦めきれずにいたところへ、この保育所に就職がかなった。
「毎日、めっちゃ楽しいです。やっぱり自分のしたい仕事ができるってうれしいです」
お天気の日は目の前の湊山公園に散歩に出かける。中海は歩いて10分とかからない。年長組になると、釣りが好きな主任保育士の岩崎慎也先生が手作りした竹の釣竿で魚釣りをする。子どもたちは米子の豊かな自然を満喫している。
18時になった。ホールにいるお友達は少なくなった。
残っている20人ほどの一人ひとりの名前を先生が呼んだ。
ももちゃんは「はーい」と手をあげると、妹の手を引いて自分のお膝に抱っこした。
小さな保育室でお夕食が始まった。両親が医師で今日のお迎えはおとうさんという姉弟、おとうさんは会社員、おかあさんは助産師で、おかあさんのお迎えを待っている女の子など、遅くまで保育所にいる子たちだ。家で夕食を食べる子も、おにぎりなどの補助食をとることができる。
夕食は米子市内の仕出し屋から届いたお弁当だ。
大きい子と小さい子が一つのテーブルで同じものを食べる。みんな、ゆったりと箸を進める。若い先生が二人、小さな子の口元を拭き、スプーンを口元に運んでいる。西本礼奈先生と永井智子先生。永井先生は保育士の専門学校を卒業して4月に入職したばかりだ。
ホールにお泊まり担当の二人の保育士がやってきた。姿を見つけたももちゃんがさっと立ち上がってリュックを背中に背負うと、植田節子先生と一緒に歩き出した。植田先生は昼間の保育所で長く働いてきたベテランだ。
お泊まりのお部屋に移動する。今日のお泊まりはももちゃんとみゆちゃんの二人。
ももちゃんのつき組がお泊まり保育のお部屋だ。いつもの部屋が夜になると広々としている。
そこへ、もう一人の保育士、庄司美穂先生に抱っこされてみゆちゃんがやってきた。庄司先生は病児保育やお泊まり保育の経験が長い。みゆちゃんはホールから移動するとき、一瞬、おうちに帰るのかと勘違いして泣いてしまった。
おねえちゃんを見つけて安心したのか、ももちゃんに手を伸ばしたみゆちゃんに「だいじょうぶだよ」とももちゃんが声をかけた。
ももちゃんはままごとを始めた。木製の野菜をお皿に盛り、お人形を抱っこして「あらー、ねんねしちゃったのね」と話しかけた。お人形を抱いてこれからお使いに行くらしい。かと思うと、「あらいもの、するわねえ」と、おかあさん役のももちゃんは忙しい。見守る植田先生は、お野菜を集めたり、お人形の服をたたんだりしながら、脇役で参加している。
みゆちゃんは生きものの写真絵本が好き。昆虫の絵本を本棚から取り出してふたつの手で抱えて庄司先生のところへ運ぶと、彼女の膝にすっぽりと座った。
かまきりさん。
かぶとむしさん。
てんとうむしさん。
一つひとつを指でさしながら、庄司先生が昆虫の名前を読み上げる。みゆちゃんは虫の絵をじっと見ている。
20時、お風呂の時間だ。
つき組の隣に設えてある小さな浴室で、ももちゃんがまず体と髪を洗ってもらう。お湯が顔にかかってもももちゃんは平気。
先にきれいになったももちゃんがお湯につかると、洗い場でみゆちゃんが体と髪を洗ってもらう。おねえちゃんのお手本を見ていたみゆちゃんは泣かない。
ももちゃんはみゆちゃんがいるから頑張れる。みゆちゃんはおねえちゃんの姿があると安心する。
きれいになって、おねえちゃんと並んでお湯に浮かんだおもちゃに手を伸ばした。温まって、二人ともいいお顔。
パジャマに着替えて洗面台で歯磨きをすると、おやすみの支度が整った。
みゆちゃんは庄司先生のお膝で絵本の続きを読んでもらっているうちに眠りに落ちた。
ももちゃんはアニメ「プリキュア」の65ピースのパズルを広げている。端っこから一つひとつ、黙々とピースを埋めていく。向かい合って座る植田先生が、ああ、そのピースはまったねえ、と声をかけながら見守っている。30分ほどでパズルは完成した。ももちゃんは充足した表情でパズルを棚にしまった。
みゆちゃんはお布団で眠っている。
ももちゃんはお人形ふたりをお人形のお布団に寝かせて、みゆちゃんと自分のお布団の間に置いていた。少しの間お人形を眺めていたももちゃんは、お人形をお布団ごと動かして、自分のお布団をみゆちゃんのお布団にくっつけた。
おやすみなさい。
おやすみ。
植田先生がお部屋の灯りを落とした。
ももちゃんはしばらくすると目を閉じた。
「前はお布団でしくしくすることもありましたし、添い寝もしていました。でも、みゆちゃんと一緒にお泊まりするようになってからは、トントンはしなくていいの、と言われます。すっかりおねえちゃんになられて」
植田先生がささやいた。みゆちゃんが寝つくまで、ももちゃんがトントンすることもあるという。
植田先生は、夜の間のおかあさん的存在でいたいと考えている。
「それぞれの子の体調や気分を理解するようにしています。例えば、お風呂に入りたくないと言ったら、まずはその気持ちを受け止めるようにしています。そうか、わかったよ、入りたくないんよね。そう言葉をかけると、案外、自分からお風呂に行くこともあります。気持ちを受け止めることが大事かなと思います」
お泊まり保育には小6と小5の兄妹もいる。おかあさんは救命救急センターで働く看護師だ。思春期に差しかかったこの兄妹がお泊まりの日は、主に庄司先生が関わる。ほとんど対等の関係です、と庄司先生が笑った。
「お兄ちゃんがちょっと機嫌が悪いような日は妹さんがきちんとしているとか、兄妹で支え合っているんですよ」
庄司先生は子どもとの約束を守ることを大切にしている。
「お兄ちゃんがかくれんぼが好きなんですが、寝るまでにできなかったことがありました。明日の朝やろうと約束して、朝起きたら真っ先に三人でかくれんぼしました」
小さな灯りで植田先生と庄司先生は二人の連絡帳に今日の様子を記していく。合間に呼吸を確認して記録する。呼吸の確認は5分ごとに記録するため、3時間交代で仮眠をとりながら行う。
同じ頃、姉妹の母・西村萌夢さんは一般病棟2Aでリーダーとして夜勤についていた。眼科、口腔外科、脳外科を担当するフロアだ。20分ほどナースステーションで話を聞くことができた。
――看護の仕事に就いたのはなぜですか?
きっかけは、小さい頃、妹が喘息で入退院を繰り返していて、看護職の人たちの力を感じたことです。人の役に立てる看護師になりたいと思いました。
――お子さんを育てながら仕事を続けています。
お迎え時間の延長を受け入れてもらえること、土日保育が可能であること、お泊まりができること、そして病児保育があること。この4つがあるおかげで成り立っています。
子どもとの生活もありながら勤務していることで、自分の責任感や仕事への誇りを確認できるところもあります。仕事をがんばっていられるから子どものことも大切にできるというのはあるような気がします。
――大変だったことはなんでしょう?
一人めのときはひっきりなしに風邪をひくので、月の半分は病児保育にお世話になったり、早退したりしていました。子どもからもらう風邪で自分も体調が悪くなることはしょっちゅうでした。
――それでも仕事を続けるのはなぜでしょう?
患者さんが治るにしろお亡くなりになるにしろ、その過程に一人のナースとして傍らでお役に立てていることでしょうか。患者さんから「あなたの顔が見られてよかったわ」などと声をかけていただけるのはほんとうにうれしいことです。
会社員の夫も夜勤のある仕事のため、平日の生活は西村さんが中心になって回している。西村さんの夜勤は月に三回ほど。多忙な看護師と育児の両立は綱渡りの毎日だ。
できる限り規則正しい生活を送るようにしている。夜勤のない日は帰宅するとすぐにお夕飯を食べ、お風呂に入り、絵本を読んで21時には子どもたちと一緒に寝る。翌朝は4時起きで朝食と夕食の準備。食材は宅配で注文し、平日は買い物には行かない。
「どうすれば、子どもたちがお泊まりのときに不安にならないでいられるかなって考えたんです。お泊まりの夜もうちで過ごすときも同じような時間の過ごし方をすれば、子どもたちが混乱しないで受け入れられるんじゃないかなあと思って」
西村さんは笑顔できびきびと病棟の現場に戻っていった。
朝6時、辺りはもう明るい。ももちゃんとみゆちゃんは一度も目を覚まさずに朝を迎えていた。先生が「おはよう」と呼びかけ、二人が起きた。
顔を洗ってお着替えをして、二人で朝ごはん。二人分のパジャマをももちゃんがリュックにしまった。
7時、ホールに行くと、朝担当の先生が二人を迎えた。植田先生と庄司先生は12時間の勤務を終えて帰途につく。
8時、子どもたちでホールはあふれている。
9時、みゆちゃんのそら組がお部屋に移動し始めた。何があったのか、みゆちゃんが泣きじゃくっている。ももちゃんが気づいて駆け寄った。ももちゃんがみゆちゃんの手をとって、お部屋へと歩き出したそら組のお友達に続いた。ももちゃんが中まで送り届け、ハイタッチをして手を振った。みゆちゃんは泣き止んで、おねえちゃんをじっと見送った。
ももちゃんもつき組へ移動する。
登園時にパパとお別れが悲しくて涙が出てしまったお友達がいた。
「かなしかったねえ。だいじょうぶだよ」
平野智啓先生が声をかけた。小さな声で、赤ちゃんが生まれておかあさんと赤ちゃんが家にいるからちょっとさびしくなったのかもしれません、と事情を話してくれた。
楽しい気持ち、さびしい気持ち。子どもたちのいろんな気持ちを先生たちは受け止めている。
10時、夜勤を終えた西村さんがお迎えにきた。ママに抱きとられたみゆちゃんがむっくりとしたふたつの足をぐんと伸ばした。
ももちゃんはみゆちゃんと二人分のリュックを持った。最後までおねえちゃんだ。
病棟では朝方に緊急対応の仕事もあったという。責任の重たい仕事をやり終えた充足と開放感、子どもたちと会えたうれしさ。西村さんに美しい笑顔が浮かんだ。
「まま、おしごとがんばって、はやくむかえにきてね」
ももちゃんの言葉はなにより西村さんを力づける。
ももちゃんは家では聴診器で遊ぶのが好き。将来の夢はママと同じ看護師さんになること。 きっとママみたいな笑顔のすてきな看護師になるね、ももちゃん。
文 三宅玲子
1967年熊本県生まれ。「ひとと世の中」を中心にオンラインメディアや雑誌、新聞にて取材、執筆。近著『真夜中の陽だまり ルポ・夜間保育園』(文藝春秋/2019.09)は、福岡・中洲に近いどろんこ保育園に4年近く通って書いた。
https://www.miyakereiko.com