ヒントは「現場にある!」 とりだい病院発「イノベーション」

取材・文 大川 真紀 / 写真 中村 治


ヒントは「現場にある!」
「生産から販売まで一つにつながったチーム」(写真左から山岸大輔、藤井政至、森 和美)

医療機器は他の工業製品と比較して二つの大きな壁がある。一つは高い安全性の担保、そして販売経路も限られていること。参入障壁が高いため、現場のニーズに応じる柔軟性、自由な発想が欠けがちになる。その現状を打破するため、とりだい病院は大学発ベンチャーという形でイノベーション(技術革新)を起こそうとしている。その現場をレポートする——。



はじまりは鳥取大学医学部出身の女性医師からの助けを求める声だったという。
新規医療研究推進センター助教の藤井政至はこう振り返る。

「マスクは花粉症用、ガウンはゴミ袋を被らなければならない。医療従事者を守るための資材が足りていないような状況だというんです。特に不足しているのはフェイスシールドでした」

東京在住の彼女は新型コロナの最前線で対応する病院に勤務していた。

「最初に頼まれたのは、3Dプリンタでフレームを作り、それにクリアファイルをつけてくれないかと。ところが、調べてみると(フレームの)素材である樹脂はこの時点で3か月待ち。もともと在庫を抱えない(流通の)仕組みなので、(納入時期は)さらに延びていくだろうという見通しでした」

また、3Dプリンタは大量生産に適していない。需要を考えれば、金型製作が必須だった。それにはコストや時間がかかる。そこで藤井は、フェイスシールドはプラスチック製でなければならないという既成概念を捨てて、紙素材で代用できないかと考えた。

「(サンパックの)森 和美会長に電話して、紙で作りたいんですけどって相談したんです」

それが4月10日のことだった。
パッケージや商品開発企業のサンパックは、月1回開催の看護部を中心とした「ものづくりワーキング」に参加していた。紙の専門家である森は、以前から殺菌や洗浄による使い回しの製品が医療現場に多すぎると感じていた。

「紙は手に入りやすく、安価で大量生産が可能。そしてディスポーザブル(使い捨て)なので、衛生的です」(森)

同時に藤井はメディビートの山岸大輔社長にも電話を入れている。医療機器の開発サポート、販売を目的として2019年に設立された鳥取大学発ベンチャー企業である。
開発前に販売ルートまで決めることが大切なのだと藤井は言う。

「案を出して試作して何かを作るのは楽しい。しかし出来上がった後、販売して現場まで届けて、さらに利益まで出すのは難しい」

企画、製作、販売――この三分野の担当者が初めて集まったのは、呼びかけの2日後、4月12日。場所は倉吉市にあるサンパックの5坪ほどの小さな事務所だった。

藤井たちの出した案を元に、森がカッターで紙を切り出した。作っては試し、作っては試しの連続だった。3日間で作った試作品は約100個にもなった。

ヒントは「現場にある!」

飛沫防御という機能に加えて、短時間で大量生産が可能であることも重要だった。そこでステープラーや糊など生産工程が増える要素は排除した。たどり着いたのは透明なポリプロピレンシートを貼った紙を手で折り、組み立てるスタイルだった。どうしても紙は弱い。そこで強度を持たせるために側頭部に細かい折りを入れた。

また、視界の歪みを防ぐため、透明シート部分が垂直になっている。これは医師である藤井のこだわりだった。顔と製品の隙間を広く取ることによってN95マスクをしていても干渉せず、フィルムが曇らない効果もあった。

製品名はORIGAMI(オリガミ)と名付けられた。本号の表紙で感染制御部の千酌が装着している。4月25日に初回3万枚の量産が開始。4月28日、鳥取県と東京都に1万枚ずつ寄贈し、残り1万枚が販売された。現在までに(2020年8月)30万枚以上を出荷している。

短期間にORIGAMIを販売までこぎつけた背景には、とりだい病院のイノベーション支援体制がある。

時計の針を少し戻す。

2013年6月、第二次安倍内閣は「日本再興戦略」として金融政策、財政政策、成長戦略の「三本の矢」を掲げた。いわゆるアベノミクスである。成長戦略の中には「健康・医療産業」が含まれていた。医療機器開発を戦略産業として育成するというのだ。

この動きに当時のとりだい病院長、北野博也が反応した。とりだい病院では前年の2012年に新規医療研究推進センター(当時の名称は次世代高度医療推進センター)を立ち上げていた。センターの植木 賢教授が発案したイノベーション人材を育成する教育プログラム「発明楽」をベースに、地域を巻き込んだ医療機器開発を目指したのだ。植木は言う。

「とりだい病院は質の高い医療を行なっている。そういうコアコンピタンス(能力)を使って、プラスアルファの価値を出せないだろうかと考えました。そこで大学病院を開放して企業の方に現場に来ていただき、ニーズをもとに医療機器などの開発から製品化までを共にやっていくことに取り組んだのです」

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