日本では夫婦の約5分の1が何らかの不妊治療を受けているという。コラムニストの吉田 潮は自らの不妊治療体験を綴った著書『産まないことは「逃げ」ですか?』で産めないことは女性にとって〈拭えない不全感〉として心の奥底に沈殿すると表現している。確かに不妊の責任は女性側に押しつけられがちだ。しかし、男性側の「原因」が約半分であること、日本社会の〝不理解〟については目が背けられてきた――。
日本は不妊治療大国である――。
国立社会保障・人口問題研究所の「2015年社会保障・人口問題基本調査」によると、不妊の検査や治療を受診したことがある、あるいは現在受けている夫婦は全体の18.2%、子どものいない夫婦では28.2%に跳ね上がる。
大都市圏では不妊治療を専門とする医療施設も目に付く。とりだい病院でも週3日、不妊外来を開いている。
通常の不妊治療においては、段階的な治療が行われる。まずは排卵日を診断して性交のタイミングを合わせる「タイミング法」である。そして内服薬や注射薬で卵巣を刺激して排卵を起こさせる「排卵誘発法」、精子を子宮内に直接注入する「人工授精」。これらで妊娠しない場合、卵子と精子を取り出して体の外で受精 卵にしてから子宮内に戻す「体外受精」、受精が起こりにくい場合には、一つずつの卵子と精子を用いて「顕微授精」を行う。日本の不妊治療技術は、世界最先端のレベルにあると語るのは、女性診療科の谷口文紀准教授である。
「まだ妊娠成立のプロセスについては、分かっていないことも多いのですが、体外受精、顕微授精を含めて、わが国の不妊治療の技術のレベルは高いといえます。ヨーロッパでは保険が認められることもあり、不妊治療を受けるカップルが増えています。日本やアメリカは保険が効かない。それにも関わらず、日本は医療施設数も多く、治療実施数も世界一。しかし、体外受精による出生率はかなり低いのです」
原因の第一は、妊娠に関する情報不足にあると谷口は考えている。
「子どもが欲しくなれば、いつでも妊娠できると楽観的に考えている節がある。人間はほ乳類の中でも、妊娠しにくい生物なのです。流産率も低くはありません。近年の女性の社会進出により、夫婦ともに仕事が忙しくて、妊娠しやすい日に夫が家にいないということも少なくない。夫の仕事が忙しくて性交のタイミングがとれない場合には、精子を凍らせて保存するということもあります。しかし精子を凍らせると、そのあと融解しても生存率が低下してしまい、妊娠しにくくなる。そういった妊娠に関する知識が不足している」
何よりも、妊娠の障害となっているのは晩婚化である。厚生労働省の資料によると、2017年度の平均初婚年齢は男性が31.1歳、女性が29.4歳。女性の平均初産年齢は30.7歳と30歳を超えている。
「体外受精の成功率はおおよそ2割から3割。体外受精の場合、流産の可能性は通常よりも少し高くなって約2割。多額の費用をかけて治療しても、妊娠を得られない人がたくさんいるということです。その原因は卵子の加齢による遺伝子レベルの異常です。残念ながら、年齢とともに卵子も精子も徐々に衰えていく」
生物学的に、人間、特に女性には歴然とした妊娠適齢期がある。
「女性の卵巣に含まれる卵子の数は、思春期のときには、だいたい7万個ある。それが年齢とともにだんだん減っていく。女性が生物的に妊娠可能となるのは15歳頃から。社会的には結婚は20歳前後ぐらいからとして35歳までの15年間ぐらいが妊娠適齢期で、長いとは言えない。38歳あたりから妊娠率が低下することは分かっています。そして30歳と50歳では卵子の質が違うのです」
多産だった時代と比べて現代女性の月経回数、つまり排卵の回数は著しく増加している。それにより、ホルモン依存性疾患といわれる子宮内膜症や子宮筋腫にかかる可能性も高くなった。これらが妊娠成立の大きな障害となることも少なくない。」
谷口によると、女性が40歳を超えると、たとえ不妊治療を受けても妊娠率は約1割しかないという。
「40歳台になると妊娠しても、流産率が高くなる。妊娠が得られても、お産に関わる病気も増える。一度の治療で妊娠が得られることもあるが、年齢とともに、成功率は落ちる。45歳を過ぎて妊娠できた人も非常に稀にはいるが、残念ながら、お金をかけて、治療回数を重ねても、妊娠を得られる可能性はかなり低い」
不妊治療の難しさは、治療の終わりをどう判断するか、なのですと谷口は付け加えた。
不妊治療は経済的に加えて、身体的な負担も大きい。
「体外受精の場合、毎日来院して注射をしなければならない。値段は数倍かかりますが、都市部では、毎日の注射のための受診をしないかわりに自己注射を選ぶ人も多い。10〜20年くらい前は、治療に必要な注射の回数が多く、そのために、腕がひどく腫れたものです。度々の診察や、麻酔をして卵巣から卵子を採りだす採卵も必要であり、これらは女性ばかりに負担がかかる治療です。もし、男性も頻回の診察や、毎日の注射が必要ならば男性側の意識はずいぶん変わることでしょう」
また不妊の責任は、女性に押しつけられることが少なくない。不妊治療における男性側の理解不足を嘆くのは、泌尿器科の本田正史准教授である。
「一般的に不妊の原因が男女両方にあるのがだいたい4分の1。男性にだけ原因があるのがやはり4分の1。男性側に起因しているのが約半数。女性側のみに原因があるのは4割ぐらいしかない。それにも関わらず日本では、夫が妻とともに最初から不妊治療に来る場合はほとんどない」
男性側に起因する不妊の原因の9割は、妊娠に足る精子が作られていない「造精機能障害」である。これは精子の〈量が極端に少ない〉〈濃度が薄い〉〈運動率が低下〉〈奇形率が高い〉の四つが挙げられる。
「これらはだいたい連動している。どれか一つが悪い人は他も悪い。しかし男性が自分の精子に問題があるから調べてほしいという人は少ない。女性側の不妊治療がある程度進んで、どうも男性の側に原因があるのではないか、泌尿器科で相談したほうがいいということで初めて来院するパターンが多い」
残りの1割は精子の流れが悪い「精路障害」だ。これは幼児期、少年期に鼠径ヘルニア、脱腸の手術により精管が何らかの形で圧迫され炎症などを起こしている場合だ。
「造精機能障害のうち6割はなぜそうなったか分からない。原因不明です。残りの4割弱は精索静脈瘤という病気。精巣から心臓に戻る静脈内の血液が逆流し、精巣の周りに静脈の瘤ができてしまう状態を指します。瘤ができると血の巡りが悪くなって、精巣の温度が上がる。温度が上がると造精機能が落ちる」
統計的にみれば、一般成人男性のうち約15%は精索静脈瘤を抱えているという。
「睾丸の上に、もう一つ睾丸があるような感覚です。激しい運動をしたときに痛みが出やすい。休むと楽になるので、病院に行かない人が多い。若いうちに気がついていれば、将来的に造精機能が低下することを防ぐことができる。15%ですから、(とりだい病院のある)米子市でも相当数、該当する人はいるはず。山陰 地方で精索静脈瘤の手術をしているのは、とりだい病院と鳥取市の一つの病院だけ。しかしとりだい病院は年間10件にも満たない数です。どう考えても人口には見合わない。みんなだましだまし生活しているんでしょう。それが造精機能障害につながっていることを自覚していない」
日本の体外受精の成功率が、外国の成績よりも極端に低い原因がもう一つある。それは夫婦以外、第三者の配偶子、つまり他人の精子、卵子を使用できないことだ。
前出の谷口はこう指摘する。
「台湾で体外受精の成功率が高いのは、第三者の卵子が使えるからです。これは法律で認められています。インターネットで売買している国もある。日本で行われているのは、精子、あるいは卵子がない、または完全に機能しないと診断された人だけ。一般的ではなく、ごく僅かです」
日本生殖医学会や日本産婦人科学会は、第三者の配偶子使用に関する法整備の必要性を約10年前から訴えてきたが、国会での審議は滞り、現在も成立していない。もっとも法が整備されたとしても、国内で普及するかどうかは別問題である。
「日本文化の特徴と考えますが、自分たち夫婦でつくった子どもを育てたい。日本では、海外に比べて養子制度がなかなか根付かないのもその一つの現れです。卵子・精子の提供者が生まれた子どもに会いたいと言い出したとき、日本では快く会わせるでしょうか。難しい問題ですが、生まれてくる子どもの側の知る権利 もあります。妊活は国民の家族観とも関わってくるんです」
そして何より問題なのは、不妊治療を受ける患者の数が減少傾向にあることだと谷口は言う。
「そもそも、全国の夫婦・カップルの数が少なくなっている」
厚生労働省の発表によると2019年の出生数は、1899年に統計を開始して以来、過去最少の86万4千人だった。女性の社会進出、ライフスタイルの変化、あるいは結婚するための資金的余裕がないという若年層の貧困問題などがその背景にある。貧困問題はともかく、さまざまな生き方を許容できる多様化の社会は 歓迎すべきである。ただ、少子化は、将来の勤労人口と税収入の減少と直結する。さらなる若年層への税負担、医療では国民皆保険の維持困難につながる可能性がある。
妊活は夫婦だけの問題ではないと本田は憤る。
「女性に対して社会進出しなさいと言いながら、少子化の問題も押しつけているような感がある。社会進出するのならば、当然生殖年齢は上がっていかざるを得ない。卵子が古くならないうちに結婚しなさい、子どもを産みなさいっていうのは、もはや時代にそぐわない。この状況の中で打つ手を考えるべき。例えば、体外受精以上が必要になったら、現在ではすべて私費。軽自動車が軽く買えてしまうぐらいのお金が掛かる。それでも欲しい人はやっています。でもそこまでじゃなくても子どもが欲しいという人はいるはず。少しは負担を減らしてあげられないかと思うのです」
緩やかな婚姻制度の導入、妊活知識の啓発、コミュニティでの子育て、不妊治療の保険適用や公的な金銭的補助、そして新たな家族観の形成――妊活は我々が当事者として、社会全体で考えなければならない問題なのだ。