今こそ知っておきたい がんの新常識

取材 文・編集部
©︎中村 治
がんの新常識
「がんは不治の病ではない。医療へのアクセスが重要である」(福田哲也)

がんは日本人の死因ナンバーワンを続けてきた、国民病である。ただし、医療技術の発達によって、がんは治療可能な疾患でもある。「免疫チェックポイント阻害剤」「プレシジョンメディシン」「がんゲノム医療」「遺伝性腫瘍」――。日進月歩のがん治療の「今」を正しく知ろう。


若いから細胞が活発でがんが進行しやすい、というのは誤解

「まず理解して欲しいことは、今や日本人の2人に1人ががんになるということ。ただ、がんにかかった方のうち、死亡率は男性で約4分の1、女性で約6分の1。がんは不治の病ではない」

と語るのは、鳥取大学医学部附属病院の血液内科教授であり、病院のがんセンター・前センター長の福田哲也である。

「がんになった患者をどのように治療するか、どんな風に生活していくかをサポートしていくのががんセンターの役割です」

福田は、がんには誤解が多いと感じている。

「がんの種類にもよりますが、消化器がん、乳がんなどは初期発見ならば治る確率はぐっと高くなる。早期のがんならば、内視鏡的な手術だけで治る方は多い」

1985年、女優の夏目雅子が血液のがんである急性骨髄性白血病により27歳で早逝したことは、多くの人の心にがんの恐ろしさを刻み込むことになった。近年、競泳選手の池江 璃花子が白血病を公表したことも記憶に新しい。

夏目や池江が罹患した、白血病――血液のがんは福田の専門分野である。

「白血病、リンパ腫というのは早期発見が難しい。ただし、早期発見でなくても治りうる病気です。悪性リンパ腫の場合、タイプによっては半分以上が抗がん剤治療で治癒が望める。悪性と聞くと怖い。ただ、治る方が多いのも事実なんです」

20代だった夏目は病名が判明してから約7か月で亡くなった。若いと細胞が活発なため、病気が加速するとされてきた。しかし、実際は違うのだと福田はいう。

「がんの種類にもよるが、高齢者で進行が早いこともあるし、反対に若い人で進行がゆっくりなこともある。白血病ですと、おおむね、若い人の方が治療成績がいいんです。骨髄移植などの造血幹細胞移植は、高齢になると合併症のリスクが伴うため行えないというのが現状です」

病気になった場合、どのように治療すべきか、インターネット、書籍、雑誌を参考にすることも多い。しかし、そうした〈情報〉や〈体験談〉が誤解を生んでいることも少なくない。

「患者さんが病気に対する知識を得ることは大切です。その知識の中で自分がどのような治療を選択するか。ただ、ネット上で氾濫している情報は正しいものだけではないです。病名が同じだからといって、体験談が必ずしも当てはまるというわけではない。がんの種類、ステージ(進行具合)、合併症など、患者さんそれぞれで違いがある。例えば、悪性リンパ腫でも70種類ぐらいあります。対処法、治療法、経過、治療成績も違います。私はこうでした、ということは必ずしも他人に当てはまるとは限らない」


免疫機能を保っていれば、理論的にはがんにならない?

厚生労働省の発表した〈死因順位〉では1981年以降、〈悪性新生物〉――がんは1位を続けている。最新の調査、2018年でも、27.4% ががんで亡くなっている。日本人の国民病だと言えるだろう。ただし、この数字に囚われると、その背後にある事実を見逃してしまう。

消化器外科教授の藤原義之は「がんの一番の原因は加齢です」と言い切る。

「年を取ることが一番の原因。その意味では、長生きすればがんになりやすくなる。非常に自然な病気なのです」

つまり、医学の進歩によって、治療可能となる疾病が増えた。しかし、長寿化が進み、加齢が主たる原因のがんにかかる割合が下がることはない。

そもそもがんとは何か――。

「私たちの身体を構成している細胞の遺伝子にキズが付くこと(遺伝子変異)により、がん細胞が発生します(図1)。年齢を重ねるごとに遺伝子のキズは増えていきます。だいたい80歳を超えると、どこかの臓器からがんが出てくる。胃がんでは80歳くらいが一番多い。ただ、高齢で出てくるがんはおとなしいものが多い。前立腺がんは、ほとんどの人が持っています。おとなしいまま、寿命をまっとうすることもあります」

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現在の研究によると、人間の身体には1日5000個程度のがんのもとになる細胞が生まれている。ただ、体内の免疫細胞がそのがん細胞を排除している。

「細胞にキズがついたら、それを修復する機能が人間には備わっています。ところが体調を崩しているなど、免疫機能が弱くなっているときに、がん細胞が生き残り、発がんする。あるいは、がん自体が免疫機能を抑制することによって発がんする」

我々の身体は、異物、特に病原体から自らを守るために高度に発達した免疫システムの監視下にある。体内にある病原体などの「異物(非自己)」は、激しい攻撃の対象になり排除される。免疫機能とは、体内の「自分」と「自分でないもの」を識別して、正常に保つ働きをする生体反応である。

福田は「がんはすぐにできるものではない」という。

「がんがあっという間に大きくなって進行がんになる、というのではないんです。遺伝子に変化が起きてから、進行がんになるまではかなり長い。5年、あるいは10年ぐらい掛かったりする。遺伝子の変化は常に体内で起き、その都度、修復している。修復の網の目からすり抜けたものががんになる」

生活習慣によって遺伝子異常の確率が変化することは研究で明らかになっている。なかでも喫煙と過剰なアルコール摂取である。

「喫煙と肺がんはもちろん、白血病でも煙草を吸っている人の方が発症率は高い。そのほか、食道がんなどでも発症率が高くなる。アルコールについては、肝臓がん、食道がんなどいくつかのがんに関して因果関係が証明されています」(福田)

細菌やウイルス感染を原因とした慢性炎症も、がんの温床となる可能性がある。

「胃の中にピロリ菌が感染していると、慢性胃炎の状態になっている。あるいはウイルス性の肝炎。炎症がある箇所は遺伝子変異が加速する。感染していない人と比較すると、遺伝子にキズがつく確率が高い。つまり、がんになりやすい」(藤原)

加齢、生活習慣により遺伝子にキズがつく。そのキズを修復する免疫機能を保っていれば、あくまで「理論上は」がんにはならないことになる。

この「免疫」という言葉は昨今の新型コロナウイルス対策でも耳にした方は多いだろう。ヨーグルト、あるいは納豆などの発酵食品を食べれば「免疫力」が高まるという〝説〞もある。これは本当ですかと藤原に問うてみた。すると、彼は苦笑いしながらこう答えた。

「そういうことは学術的には証明されていません」

がんの免疫療法として効果が証明されているのは「免疫チェックポイント阻害剤」である。2014年に発売された「オプジーボ」の名前は聞いたことがあるだろう。前述したように、本来、人間の身体は免疫機能によってがん細胞を排除する。ところがなかには、免疫機能が働かないようにブレーキを掛ける作用を持つがん細胞がある。「非自己」ではないと免疫機能をだますのだ。免疫チェックポイント阻害剤は、その〝ブレーキ〞を解除する薬である。ただし、免疫チェックポイント阻害剤を単独投与した場合、効果が得られるのは約2割程度とされている。また、非常に高価である。


©︎中村 治
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「がんの遺伝子異常を見つけて治療を選ぶ。今はその第一歩目」( 藤原義之 写真右) 
オーダーメイド医療――「がんゲノム医療」とは何か

がんの原因となる遺伝子異常に話を戻す――。

人間の身体はおよそ37兆の細胞からできている。それぞれ細胞の中には「核」があり、その核の中に染色体がある。この染色体には糸状のDNAが、らせん状に巻き付いている。DNAすべての遺伝情報をゲノムと呼ぶ(図2)。

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DNAの中でタンパク質の合成を司っている、いわば設計図が遺伝子だ。全DNAの中で1.5%に当たる。人間は約22000種類の遺伝子を保有している。この遺伝子の変異を検査し、がんの診断や治療に役立てるのが「がんゲノム医療」である。

前出の藤原は、とりだい病院のがんゲノム医療センター長でもある。

「我々の顔がみんな違うように、遺伝子のタイプは一人ひとり異なる。この遺伝子的背景、そして生活環境が違うため、国や地域によってなりやすい病気も違ってくるのです。欧米諸国や中国、そして日本も自分の国の遺伝子データを集めて、それに応じた新しい治療法を開発しようとしているんです」

この背景には「プレシジョンメディシン(精密な医療)」という考えがある。2015年、アメリカ大統領だったバラク・オバマが「すべての患者には個性があり、医師はその個々に適した治療をすべきである」と発言し広く知られることになった。

「これまでは胃がんならば胃がん、肺がんならば肺がんという臓器ごとの疾患に対して、より確実性の高い治療が、標準治療とされていた。がんは遺伝子の異常によって起きる。同じ胃がんであっても、その原因となった遺伝子の異常が違う。患者一人ひとりの遺伝子の変異に合わせた診断や治療をしていこうというのが、プレシジョンメディシンであり、ゲノム医療です。オーダーメイド医療、テーラーメイド医療とも言います」

遺伝子の変異というがんの本質を鑑みれば、理にかなった医療である。

遺伝子を調べる「がん遺伝子パネル検査」は、〝条件付き〞で保険適用が認められている。国立がん研究センターが開発したシステムを利用し、日本人のがんで多く変異が見られる遺伝子114個を調べるという。

しかし、と藤原の口は重くなる。

「はっきりいってこの医療は時期尚早。現時点では医療としては難しい」

その意味は保険適用が、〝条件付き〞であることに現れている。

条件は三つ。〈治療法のない固形がん患者〉〈希少がん患者〉〈原発不明がん患者〉である。原発不明がんとは、どこから発生したのか分からない転移がんのことだ。どれも治療の見込みが薄い患者でのデータを収集、将来の研究、創薬に役立てることが主たる目的となっている。

「年間1万人ほどのデータを何年間か集めれば治療に活かすことができる。将来的には、血液、腫瘍を調べて、この遺伝子ならばこの治療をしましょうということにはなるでしょう」

開発途中の治療法なのだ。


「がんになりやすい体質」を見つける「BRCA遺伝子検査」

加齢、生活習慣に加えて、もう一つがんの原因がある。それは遺伝である。

婦人科腫瘍科講師である大石徹郎は、近年、HBOC(Hereditary Breast and Ovarian Cancer :遺伝性乳がん卵巣がん症候群)の診察に注力している。

「〝がん家系〞という言葉が使われることがありますよね。特定のがんになる人が、血縁の中に何人もいるというケースがたまにある。遺伝子レベルでがんになりやすい体質と判明しているものを遺伝性腫瘍と呼んでいます」

大腸がんでは30%程度が、家族の内に罹患歴があるという。なぜ同一家系内に特定のがんが発生するのかは完全に解明されていない。ただ、この中に、親から引き継いだ特定の遺伝子変異が原因になっている場合がある。それが遺伝性腫瘍だ。

「乳がんの場合、約10%が遺伝性腫瘍。その中の半分、つまり5%は、親からBRCA1、あるいはBRCA2遺伝子の変異を受け継いでいる。がんになりやすい体質であるHBOCです。卵巣がんでは約10%がHBOCです(図3)。パーセンテージとしては卵巣がんの方が、遺伝性の割合が高い。ただ、乳がんは年間8万人、卵巣がんは年間1万人の患者さんがいます。そのため、数としては遺伝性の乳がんの方が多いことになります」

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生まれつきBRCA1、あるいはBRCA2遺伝子の変異を持っている場合、特定のがんになりやすい。乳がん、卵巣がんのほか、(まれ)ではあるが、膵臓がん、前立腺がんがそこに含まれる。

女優のアンジェリーナ・ジョリーはBRCA1の遺伝子変異が見つかり、生涯で乳がんが発症する可能性が87%あるという診断を受けた。彼女はがん予防のために、両側の乳房と卵巣、卵管を切除した。予防的切除である。彼女の決断が、世界中に大きな反響を引き起こしたことは記憶に新しい。

このBRCA遺伝子検査は、採血した血液のDNAを検査、約3週間で結果が明らかになる。すでにがんを発症しており、薬効、治療法を調べる際に限って、今年4月から保険適用となった。

検査の結果、BRCA1、2の遺伝子変異が見つかった場合はどうすればいいのか――。

「乳がんの早期発見に関しては、年1回のMRIとマンモグラフィの受診が推奨されています。片や卵巣がんに関しては超音波検査をしたり、腫瘍マーカーを調べます。しかし、こちらは推奨できるほどの精度はない。一番のお勧めは、アンジェリーナ・ジョリーのように予防的切除をすることです。卵巣がんの仲間には、卵管がん、原発性腹膜がんがあります。卵巣と卵管を切除すれば、卵巣がんと卵管がんになることはありません。ただ、原発性腹膜がんは防ぎきれない」

検査結果は一生涯変わらない〈不変性〉、疾患の発症を予測できる〈予見性〉、そして血縁者への影響という〈共有性〉の三つの特徴がある。

自分が遺伝子変異を持っている場合、親族も同様である可能性が高い。がんにかかりやすいということだ。

「結果が分かったとして、配偶者や子どもにどのように伝えるか、普段あまり付き合いのない叔父、叔母、いとこたちに伝えるべきか。非常に難しい」

そして、実際にがんが発症するのか、そして発症時期の予測は不可能である。


©︎中村 治
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「遺伝性腫瘍を見つける。その先には予防という目的がある」(大石徹郎)
DNAを調べることは難しくない。大切なのはデータの解釈

「遺伝子変異があることが分かったとしてもすぐに(切除を)決断できる人はいません。心理的なサポート、どのタイミングでやるのかなどの遺伝カウンセリングが必要になってくる。そしてこの遺伝子変異は男性にも引き継がれる。乳がんになる男性は少ないですけれど、可能性はゼロではない。男性だから安心できるというわけではないんです。膵臓がんや前立腺がんにもなりやすい。そしてその遺伝子変異は、息子、娘に引き継がれる可能性もある」

将来に対する、漠然とした不安を被験者に与える可能性がある検査であることは、がん遺伝子パネル検査とも共通している。

「がんゲノム医療は、その人のがんに効果が期待できそうな薬を見つけることが目的。そのためにたくさんの遺伝子の異常を検査する。そのときに、遺伝性腫瘍やがん以外の遺伝性疾患など、検査の本来の目的ではないものが見つかることがあります。治療法や予防法のあるものは積極的に伝えます。伝えなければ治療の選択肢を狭めることになりますから。検査を受ける前に、知ることのメリットを患者さんに説明します」

人体には未だ光が当たっていない部分が多い。そして、がんのメカニズムも完全には解明されていない。良心的な医療従事者は、無知の知を意識しているものだ。

一方、不明な部分は切り捨てて、分かりやすさを押し出している世界もある。

遺伝子は近年の〝医療ビジネス〞における、一つのキーワードでもある。血液、あるいは唾液を採取し、遺伝子、DNAを検査するという「遺伝子検査キット」の類いが売り出されている。体質、どんな病気にかかりやすいのかを知ることができるというのが、よくある謳い文句である。価格は3万円程度から、とお手軽だ。

「レベルもまちまち、何をどこまで調べるかも分からない。DNAを調べることはそう難しくはないんです。大切なのは、データの解釈なんです。そのDNAの配列がどのような意味を持つのか。データベースが小さければ、解釈ができない。そして、まだ分かっていないことも多い。答え合わせができないまま、試験を受けるようなものです。一つの目安は保険適用があるかどうか。しばらく検証してよさそうということならば、保険適用になるでしょう。もし親しい人間からどうかという相談を受けたら、安ければやってもいいけど、中にはおみくじのようなレベルに留まっているものもある。何十万円も掛けてやるものではないと答えますね」(大石)

医療は日進月歩である。ただ、最先端のがんゲノム医療にしても、暗中模索の中にいるとも言える。

がん治療の最前線に立つ3人の医師に、がんにならないためにどうしたらいいですかと尋ねると、同じ答えが返ってきた。

バランスいい食事、睡眠を十分に取ること。喫煙と過剰なアルコール摂取は避けること。ストレスを溜めないこと、だ。

拍子抜けするほど、当たり前で刺激がない。ただ、それが現実なのだ。