新型コロナウイルスとの戦いが続く今、この原稿を書いている。おそらく今号の「カニジル」が出版され、皆さんがこれを読まれている頃には、状況は変化し落ち着いているかもしれない。そうあって欲しいと願いながら文を続けたい。
『サピエンス全史・文明の構造と人類の幸福』(河出書房新社)という世界の歴史と文明を多角的目線で紐解いた名著で知られるイスラエル人歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリ氏が新型コロナウイルスの脅威に対して口を開き「人類はいま世界的な危機に直面している。おそらく私たちの世代で最大の危機だ」とし、ムニューシン米国財務長官は「これはウイルスとの戦争だ」と強調した。
報道現場で長年取材をしてきたが、これだけ出口の見えない取材は経験が無い。デマやフェイクニュース、真偽の定かではないネット上の心無い発信が市民を混乱に陥れる。トイレットペーパーが、街中から消える。即席麺や生活物資の買い占めが横行する。マスクの不正転売。正しい知識を持たず「緊急事態宣言」や「ロックダウン」をかつての戒厳令と勘違いし身震いしている人もいる。
正しい知識と冷静な判断、危機管理の備えこそが、結局は国や生活を守り、自分や家族を守ることだということを心に留めておいて欲しい。
今日時点(4月10日現在)では、鳥取県では新型コロナウイルス感染者は確認されていない(島根県では一人)。「だから安心だ」ということは決して無い。とりだい病院では、新型コロナウイルスが中国・武漢市で猛威を振るい始めた頃から、危機管理体制の見直しや日本でも発症事例が相次いだらどうするかなど、さまざまな事案をシミュレーションし、対応を何度も議論し備えてきた。感染症の専門医を中心にしての治療体制のチェック、連絡網の徹底、医師や看護師への指導やPCR検査機器の確保、ベッド数と隔離状況、検査や病気予防への発信や広報の指差し確認など多岐にわたる。早い段階からの備えが今の安定した現状に寄与していることは間違いないと思う。しかし、油断は禁物だ。危機管理で「備えすぎ」という言葉は存在しない。
「危機管理」という言葉を日本に知らしめた人物で、浅間山荘事件(1972年)の警察陣頭指揮や後藤田元官房長官の懐刀として知られた、初代内閣安全保障室長 故・佐々淳行さんの言葉を忘れられない。
東日本大震災発生から一週間後。「ウェークアップ!ぷらす」(読売テレビ系土曜朝8時〜)の放送当日。私は福島第一原発事故や津波被害をまとめる大仕事の陣頭指揮で、我を忘れそうになっていた。佐々さんは特別ゲスト。中継や生放送対応で声を荒げる私の肩を突然叩き、佐々さんが声をかけてきた。
「未曾有の大地震対応は大変だ。結城さんは、あの阪神淡路大震災でも取材しているのだろ。経験を思い出しなさい。リーダーとは、最悪の事態を想像しながらも、笑顔と自信を持って部下に接さないと駄目だ。もう一つ忘れるな。バットを常に振りなさい。危機管理者は三振を恐れてはいけないよ」と穏やかに、しかし真剣な口調で諭された。本番15分前の迷いと異様な緊張感が自然と消えた。
人類はこれまで多くの疫病を乗り越えてきた。14世紀のペストの大流行では約三千万人が亡くなった。しかし、19世紀末、北里 柴三郎によって原因菌が突き止められ、著しくペストの感染は減った。1918年に流行したスペイン風邪は、全世界で約六億人が罹患。四千万人以上の命を奪ったが人類は乗り越えた。天然痘は死亡率30パーセントに達する感染力の強い恐ろしい病気だったが、1980年、WHO(世界保健機関)から世界根絶宣言が出た。
冒頭に紹介したハラリ氏は新型コロナウイルスへの対応に「自国を優先し各国との協力を拒む道を歩むか、グローバルに結束するのか、二つの選択を迫られている」と指摘する。選択を間違えれば更なる荊棘の道が待ち受けている。冷静な判断、英知、他者への思いやりと優しさ、そして正しい情報を見る目を養うことが新型コロナウイルスの猛威に打ち勝つ、大切な処方箋なのだ。
読売テレビ 報道局兼制作局 チーフプロデューサー
結城豊弘
鳥取県境港市出身。駒澤大学法学部を卒業後、読売テレビに入社。アナウンサーを経て番組制作に転じ、「オウム真理教問題」の報道や『情報ライブミヤネ屋』の制作などを経験し、現在は『そこまで言って委員会 NP』を担当。
共著に『地方創生の真実』(中央公論新社)。鳥取県戦略アドバイザリースタッフであり、鳥取大学医学部附属病院特別顧問を務める。