カニジルブックレビュー
医療従事者は「話題の本」をこう読む
第10回
『とりだい秘史』

(豊島良太 著   カニジルパブリッシング)




「話題の本」をこう読む
評者 鳥取大学医学部長・整形外科 教授 永島英樹


 高校生の頃、保阪正康氏の『大学医学部―80大学医学部・医科大学の実態―』(現代評論社)を夢中になって読んだことがある。全国の医学部にはそれぞれ歴史と伝統があり、「格」ともいえるものが存在するという世界に大きな衝撃を受けた。

 国立大学医学部は、旧帝大(旧帝国大学)、旧六(旧六医科大学)、新八(新八医科大学)、新設(新設医科大学)などに分類されると書かれていた。もちろん公式な分類ではないが、多少の例外はあったものの、基本的にこの順で偏差値が並んでいたと記憶している。

 私たちの母校――鳥取大学医学部は、第二次世界大戦終戦直前の1945年7月1日に、官立米子医学専門学校(米子医専)として開校。その後、国立米子医科大学を経て1949年に新制国立大学医学部になったので、「新八」の一つである。私が知っていたのは、「山陰地方に医学専門学校を設置することになったのだが、当初候補地であった鳥取市が戦時中の震災に見舞われ、代替地として米子市が選ばれた」という程度だった。

 さて、豊島良太元鳥取大学長による『とりだい秘史―なぜ鳥取大学医学部は米子市にあるのか―』が上梓された。

 豊島氏は先代の整形外科教授として私の先輩であり、鳥取大学医学部附属病院長、鳥取大学医学部長も務められた恩師でもある。文学や歴史をはじめ幅広い教養を備え、折に触れて私たちに多くのことを教えてくださった。時には、抜き打ち漢字テストもあって閉口したこともあったが、振り返れば、本職の整形外科よりもリベラルアーツを教えてもらったことが多かったようにも思う。私も六十を過ぎて人生を振り返ると、医学以外の学問への興味を育てていただいたことが、自分の大きな財産になっていると感じている。

 米子医専の成り立ちについても、折に触れて話をうかがっていたが、本書を読んでみると、初めて知ることばかりだった。当時の米子市長が元陸軍軍医総監であり、東条英機と同室起居の間柄であったこと、米子市が校舎や病院を提供するなど全面的な支援を行なったこと、鳥取県ゆかりの文部官僚が重要な役割を果たしていたこと、さらに鳥取大学医学部となったことで、本部のある鳥取市への移転も検討されたようだが、医学部出身の学長によって米子市での恒久存続が実現したことなど、いずれも興味深い内容であった。

 国立公文書館や国会図書館、鳥取県立公文書館などに残る膨大な一次資料を渉猟し、それらを丹念に検証しながら、これまで語られてきた「定説」に再検討を加えている点にこそ、本書の真価がある。本書を読み進めるにつれて、鳥取大学医学部の歴史がいかに多くの偶然と必然、そして先人たちの熱意の上に築かれてきたかを実感させられる。

 鳥取大学医学部が創立されて間もないころに入学した大先輩から、「俺たちの頃は、県立だった神戸医科大学より、新八の鳥取大学医学部の方が受験は難しかった。ところが、神戸医科大学(現神戸大学医学部)に、今では難易度でも後塵を拝するようになってしまった。お前は恥ずかしくないのか」といじられたことを覚えている。面白がっているような表情だったので、本意だったのかは今となっては確かめようもない。しかし、あの時代の卒業生にとって、「新八」という歴史は、母校への誇りを支える一つの拠り所だったのだろう。

 本書は、鳥取大学医学部の歴史を知るためだけの本ではない。戦後日本の医学教育史、地方大学の成立史、さらには大学が地域に育てられてきた歩みを描いた貴重な記録である。鳥取大学医学部に関わる人はもちろん、日本の医学教育の歴史に関心をもつすべての人に、ぜひ手に取っていただきたい一冊である。




永島英樹 (ながしま ひでき)
1988年鳥取大学医学部卒業。1998年マイアミ大学客員教授。2013年鳥取大学医学部感覚運動医学講座整形外科教授に就任。2017年病院長特別補佐(教育担当)。2019年病院長特別補佐(業務改善担当)、2023年副病院長(経営担当)。2025年鳥取大学医学部長に就任。豊島氏とは同門の先輩・後輩にあたる。

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