かつて血液がんは、5年生存率が低く、不治の病と言われていた。
しかし近年、その認識は大きく変化している。
目覚ましい勢いで研究開発が進むなか、「無知は罪」と新たな治療法の導入に取り組んでいるのが鳥取大学医学部附属病院の河村浩二だ。
河村を中心とした、血液がんの最前線とは―。


教授として医局を率いつつ、臨床の最前線で主治医としても患者を受け持つ、とりだい病院血液内科教授の河村浩二に休息の時間はない。日々の仕事が忙しいことはもちろんだが、少しでもまとまった時間ができればジャーナルを手に取り、論文に目を通すからだ。
「常に病気や治療に関する論文は読むようにしていますが、きりがありません。学会や講演会には遠くても足を運ぶし、気になる薬があれば製薬会社に連絡して情報収集しています。医師―とくに血液内科医が知識をアップデートするのは当然のこと。私たちにとって〝無知は罪〟です」
今や医療界にも働き方改革の波が来ており、残業は容易にできない。しかし、河村は「仕事じゃない。自己研鑽です」といって夜中まで仕事をする。時代に逆行するハードワーカーぶりだ。
ただ、血液がん治療の変化を知れば、知識のアップデートにこだわる姿勢は納得できる。血液がんはかつて不治の病と言われていたほど治療が難しい病気だったが、新しい薬の登場で近年は助かる命が増えてきたのだ。
血液がんは、血液細胞ががん化して増加する非固形がんである。一部を除き、他の固形がんのように生活習慣や遺伝の影響はなく、子どもから高齢者まで誰もが突然に罹患する可能性がある。
発生段階などからさまざまな分類ができるが、なかでも三大血液がんとされているのが「白血病」「悪性リンパ腫」「多発性骨髄腫」だ。
白血病は急性と慢性、さらにリンパ性と骨髄性に分けられ、急性白血病は進行が早い。通常の健診では見つからず、貧血や発熱、出血傾向などの初期症状が出て白血球の異常が見つかれば直ちに入院して治療を受ける必要がある。慢性骨髄性白血病は健診で異常が見つかることがあるが、万一放置すると5~6年で急性転化する。
悪性リンパ腫は組織型によって進行速度が異なり、なかには週単位で悪化するものもある。多発性骨髄腫の初期症状は、骨折や貧血による動悸息切れなど。勘のいい医師なら健診や骨折時に見抜くこともあるが、現実にはもっと進行してから発覚することが多い。
いずれの血液がんも治療は化学療法が中心で、再発や難治例では造血幹細胞移植を行うことがある。ただ、移植しても成功するとは限らない。90年代、白血病の5年生存率は男女とも30%強に過ぎなかった。
その不治の病は様変わりした。
「慢性骨髄性白血病は2001年にチロシンキナーゼ阻害薬が登場して治療成績が一変。日本では飲み薬だけで約95%の患者さんが長期生存、つまり亡くならない病気になりました。また、急性骨髄性白血病はFLT3阻害薬、多発性骨髄腫はボルテゾミブやレナリミドなどの新薬が次々に登場し生命予後は改善されています」
ここにきてなぜ治る病気になってきたのか。河村はこう解説する。
「分子生物学の基礎研究が進み、分子標的薬が開発されたことが大きい。もちろん多くの疾患がその恩恵を受けています。ただ、血液がんは固形がんと比べて細胞がばらばらかつ比較的均一で、検体も採血で簡単に得られる。他のがんと比べると研究しやすく、基礎研究が進展した影響を最初に受けた分野の一つになりました」
医師にとって無知は罪。河村がそれを痛感したのは、研修医を終えてとりだい病院の血液内科に入ったときだった。当時は教授、准教授、そして河村の3人体制で、1年目からフル回転した。
「研修医のころまで、自分は最小限の努力で要領よく世の中を渡るタイプでした。でも血液内科に来たら、自分の知識量が患者さんの生死を左右する場面に直面して……。自ら勉強しなくてはいけないと強く思うようになりました」
ただ、当時の体制は必ずしも勉強に向いた環境ではなかった。以前はたびたび行われていた同種造血幹細胞移植は2年で1例だけ。新しい治療法どころか、すでにある治療の経験を積むことも難しかった。
ここで河村はいったん外に出る決断をする。移植で全国的に有名だった自治医科大学に移ったのだ。
「今診ている患者さんたちを残していくわけですから葛藤はありました。でも自分が成長して移植できるようにならないと未来の患者さんたちが困るし、次の世代の血液内科医を育てることもできない。単身赴任で家族にも迷惑をかけることになりますが、行かせてもらいました」
自治医大では移植の経験を積むだけでなく、博士課程に進んで臨床研究・基礎研究にも精を出した。研鑽を積んだうえで、20年、とりだい病院に9年ぶりに講師として復帰。当時の教授は血液内科の強化を打ち出しており、そのミッションは河村に託された。
まず動いたのは施設認定の取得だ。造血幹細胞移植は、患者本人の造血幹細胞を使う自家移植と、自分以外のドナーの造血幹細胞を使う同種移植がある。さらに同種移植は、血縁者をドナーとする血縁者間移植と、骨髄バンクや臍帯血バンクに登録されたドナーから移植する非血縁者間移植に分けられる。
このうち非血縁者間移植は、学会の移植施設認定基準を満たして認定を受けないと実施できない。また、その前提として骨髄を採取するための施設認定がいる。もともととりだい病院はそれらの認定を受けていたが、移植をやらなくなったために失効していた。
「骨髄採取は、私に実績があったので認定をすぐ受けられました。一方、非血縁者間の施設認定は認定医がいるだけではダメ。施設として血縁者間移植の実績を積まなくてはいけないし、看護師やHCTC(移植コーディネーター)にも条件を満たしてもらう必要があります。幸いとりだい病院はみんな協力的で、勉強会に積極的に参加してくれた。21年にはカテゴリー3の施設認定を受け、非血縁者間の移植も可能になりました」
この流れに巻き込まれた看護師の一人が、血液内科の副師長(取材当時)、武田紗知だ。武田はとりだい病院に入職後は小児科病棟での勤務を希望。小児科病棟にはさまざまな病気にかかった子どもが入院している。担当になったのは血液がんだった。
「白血病の抗がん剤は強くて、痛みや吐き気で夜眠れないお子さんも多かったですね。血液がんは入院期間が長めです。それだけ私たちとも関係が深くなりがちで、一緒に遊んだり写真を撮ったりもします。治療の甲斐なく患者さんが亡くなり、号泣した夜もありました」
自分には、もっとできることがあるのではないか。そう考えていた頃に小児医療に特化した静岡県立こども病院を見学して刺激を受け、がん化学療法の認定看護師の資格を取得することを決意。1年間休んで学校に通った。当時をこう振り返る。
「小児がんの経験はありましたが、胃がんや大腸がんなど成人のがんは何の知識もない。勉強がたいへんで、何度やめてしまおうと思ったことか……」
卒業して病院に戻ると、予想外の辞令が出ていた。血液内科や消化器内科、腎臓内科の病棟に異動が決まったのだ。もともとやりたかったのは小児医療。最初の数年は小児科への転属希望を出していた。覚悟が決まったのは、河村が来て移植が本格的に再スタートしてからだ。
「小児も含めて移植の経験が病棟でもっとも多いのが私でした。そうすると自分が動かざるを得ない。仕方なくです」
まるで本意ではないような口ぶりだが、けっして受け身でいたわけではない。後述するCAR-T細胞療法という新療法の視察で他の病院を訪問しときは、本来のテーマとは異なる移植の看護についても積極的に質問した。「仕方なく」は武田なりの照れ隠しだ。
「小児病棟に戻りたい気持ちは今でもあります。ただ、そのためにも後進を育てないといけない。血液がんの看護は、がんの種類やドナーによっても意識すべきことが違う。今は若い看護師と一緒に担当を持っていろいろ伝えているところ。血液がんや移植看護にもっと興味を持ってくれるといいなと思います」
予想外に血液がんと関わるようになったのは、HCTC(移植コーディネーター)の織田佳奈も同じだ。織田は大学卒業後、渡英して動物の応用行動分析学を学んだ。帰国後、専門学校で講師を務めていたが、結婚と出産を経て、時短勤務ができるとりだい医学部の教室秘書に転職。教室の編成が変わったことを機に血液内科の医局秘書になった。
「異動したタイミングで河村先生が戻られて移植が活発になりました。移植を行うにはさまざまな調整業務が必要です。最初は秘書としてそれを手伝っていましたが、先生からHCTCの認定を取ってみないかと声をかけていただきました」
多少の迷いはあったが決断した。子どもが成長して手がかからなくなり、自分にしかできないことに挑戦してみたいという気持ちになっていたからだ。
ただ、織田は事務方であり、医療現場は未経験。認定講習を受けたら、まわりは看護師や社会福祉士などの経験者ばかりで、「場違いなところに来た」と後悔した。
「血液内科には、すでに看護師さんが一人、HCTCの認定を取得していました。私は無理だと思いましたが、先輩HCTCが励ましてくれて、なんとか最後まで続けられました」
諦めずに続けられたのは、HCTCの存在意義に気づいたことも大きい。
非血縁者間の造血幹細胞移植では、HCTCが患者の意思を確認した後に検体を採取。骨髄バンク・臍帯血バンクから白血球の型であるHLAが適合しているドナーをピックアップして、バンク側にドナーとのやりとりを依頼する。
神経を使うのは、HCTCがドナーと直接やりとりをする血縁者間移植だ。同じ両親から生まれたきょうだいはHLAが25%の確率で完全一致する有力なドナー候補だが、移植にはドナーにも負担がかかる。「家族のためでも嫌」と本音を言えないドナーがいることもありうる。
「先生は治療する側なので、どうしても患者さんのそばに立ちます。中立的な立場でドナーに寄り添えるのはHCTCだけです。そう理解してからは勉強に身が入りました」
認定を取得したのは25年2月。移植は年間十数件のペースで実施されており、現在は関係者間を飛び回る日々だ。
「私の仕事は患者さんが退院すれば終了です。でも、患者さんにとって治療は移植して終わりではありません。そのせいか、自分の仕事が終わっても達成感はないですね。私自身、HCTCになったばかり。移植後5~6年して元気にして復帰している患者さんが現れれば、充実感を味わえるのかもしれません」
看護師やHCTCを巻き込んで体制を整えてきたとりだい病院血液内科は、移植実績を積み上げたことで、23年には施設認定のカテゴリー1を取得した。その結果、可能になった新しい治療法がある。CAR-T細胞療法だ。
人体は異物を攻撃するT細胞を備えている。これを患者本人から取り出して、がん細胞の表面にある抗原を特異的に認識できるよう遺伝子を改変したのち患者に戻す免疫療法だ。従来の治療では困難だった症例でも高い奏効率が報告されているが、特有の副作用があるため、以前はカテゴリー1の施設でしか実施できなかった。
ただ、認定を取ってもCAR-T細胞療法が自動的に実施できるわけではない。河村は導入に向けて精力的に動いた。
「CAR-T細胞療法の製薬会社は外国企業。じっとしていても声はかからないので、こちらから会社にメールして交渉しました。患者さんから採取したリンパ球はすぐに海外に輸送し、CAR-T細胞が作られ凍結した状態で日本に戻ってきます。投与直前まで凍結保存する必要があるので、病院と交渉して液体窒素の冷凍庫を買ってもらいました。まあまあ高いのですが、病院執行部の理解があって助かりました」
とりだい病院でCAR-T細胞療法を始めたのは24年。現在、鳥取県内でこの治療ができるのはとりだい病院のみで、導入後は月平均1例の症例がある。
新しい免疫細胞治療法は他にもある。薬剤投与でT細胞を活性化させる二重特異性抗体は悪性リンパ腫の一部や多発性骨髄腫に適応が可能で、これもとりだい病院では導入済みだ。
新しい治療法の情報にアンテナを張り、可能なかぎり早く導入することが血液がんの患者を救うことにつながる―。
河村のその信念は、体制が整ってきた今も変わらない。
「血液内科は若手が増え、現在は10人になりました。時代が違うので、私のように家庭を顧みずに働けとは口が裂けても言えません。実際、チーム制や当番制を敷いて負担は多少軽くなっています。ただ、自己研鑽はしてほしい。それを強いることはできませんが、私自身が自己研鑽を続けることで、医師にとって無知は罪であることが伝わってほしい。ひそかにそう思っています」

村上 敬
フリーランスライター。ビジネス誌を中心に、経営論、自己啓発、健康、エンタメなど、幅広い分野で取材・執筆活動を展開。スタートアップから日本を代表する大企業まで、経営者インタビューは年間100本を超える。