―とりだい病院&楽天メディカルの挑戦
2人に1人はがんにかかると言われる今、がんは常に新たな薬や治療法が求められる疾患(=アンメット・メディカル・ニーズ)として、
日々、世界中で研究が続けられている。
そうした中、頭頸部がん領域では再発したがんに対する治療の模索が続いていた。
その停滞を破るようにあらわれたのが「光免疫療法」である。
可能性を秘めたこの新しい治療を、一日でも早く患者へ届けたいと願い、奮闘する関係者たちの努力を追った。

手術室と聞けば、灯りが煌々とついて医師の手元を照らす様子を思い浮かべるかもしれない。しかし、2022年2月、とりだい病院のIVR(血管内治療)を行う手術室は真っ暗だった。わずかに光るのは、患者の手術部位に刺した針状のデバイスのみ。ここで行われていたのは、頭頸部がんへの光免疫療法だった。
手術室には緊張感が漂っていたが、それは明るさがいつもと異なることだけが原因ではない。光免疫療法は2020年11月に薬価収載され、翌年1月に保険治療が開始されたばかりの新しい治療法であり、とりだい病院としても初の手術だった。頭頸部外科教授の藤原和典はその日をこう振り返る。
「光免疫療法の手技のコンセプトはシンプルです。もちろん適切な照射領域を定めたり、ニードルを刺す行為はトレーニングが必要ですが、メーカーから研修を受けて事前に繰り返し練習します。それでも初めてだと肩に力が入る。大事な部分にきちんと光が当たるかどうか、慎重に進めました」
光免疫療法とは、いったいどのような治療法なのか。それを説明するには、頭頸部がんの治療法から解説したほうがいいだろう。
頭頸部がんは、顔や首、口、のどなど、鎖骨から上の脳と目を除く部分に発生するがんの総称だ。全がんのうち約5%で他のがんに比べて患者数は少ないものの、頭頸部には人が生きるための機能――食べる、呼吸する、話す、飲み込むなど――が集中しており、がんでそれらの機能が損なわれると生活の質が大幅に低下しかねない。治療自体の難しさに加え、いかに機能を維持するかが問われるがんである。
頭頸部に限らず、がんの治療法は、外科手術、放射線治療、薬物治療の3つ。頭頸部がんの場合、初めての発症なら、3つの中から最適な治療法を選択できる。しかし再発や転移、重複がん(頭頸部がんは約30%で新しいがんが発生する)の場合、選択肢は限られる。
「外科手術でがんを切除するとその部分を形成外科で再建します。二度目は再建が難しく、生活に必要な機能が失われる場合もあります。放射線治療も認められているのは同じ部位には1回目だけ。残るのは抗がん剤で、十分な効果が得られない場合もあります」(藤原)
それ以外の治療法となるのが、光免疫療法である。
頭頸部のがん細胞の表面にはEGFRというたんぱく質が多くあらわれる。患者にアキャルックスという薬を投与すると、EGFRと結合。そこに波長690ナノメートルのレーザー光を当てるとアキャルックスが反応し、結合していたがん細胞が破壊される。海外で行われた治験では、がんの奏効率(がんが消滅あるいは30%以上減少する率)は43.3%という結果が得られた。
「光を外から当てたり針を刺して中から当てるので、外科手術と違って治療で機能が損なわれるリスクは低い。根治に向けた治療法がほぼなくなった状態の患者さんにとって、まさに福音となる治療法です」(藤原)

再発した頭頸部がんへの光免疫療法は、20年9月に厚生労働省より製造販売が承認され、21年1月に保険適用下での提供が開始された。いずれも日本が世界で初めてである。
日本が世界をリードしているのには理由がある。治療法開発を推進した立役者が楽天グループ創業者の三木谷浩史だったのだ。
光免疫療法の生みの親はNIH/NCI(米国立衛生研究所・国立がん研究所)主任研究員の小林久隆である。11年に米医学誌『Nature Medicine』に光免疫療法の論文を掲載。アメリカの医療ベンチャー、アスピリアン・セラピューティクス社がこの治療法の実用化に取り組んでいた。がんを発症した父親のために、あらゆる治療法の可能性を探っていた三木谷は知人を通じて、光免疫療法に出会い、13年に個人的な出資を決断。思いに賛同する投資家を集めて臨床試験をスタートさせ、19年には社名を楽天メディカルに変更した。
現在、日本法人の楽天メディカルの代表取締役社長を務める小玉裕之は、光免疫療法の可能性に魅せられた一人だ。小玉は元商社マンで、アメリカに赴任して医療分野に投資するファンドを運営。有望な投資先を探しているとき、楽天メディカルに出会った。
「仕事柄さまざまな先端技術に触れていましたが、光免疫療法は他の技術と毛色が違いました。新しいだけではありません。外から投資するより、自分でやりたいと思って門を叩きました」(小玉)
楽天メディカルに入社後、三木谷の科学センスには舌を巻いたという。
「三木谷は起業家や投資家のイメージが強いかもしれません。私も転職前はそうした印象を持っていました。しかし私が新しい医療論文を送ると、10~20分後には電話がかかってきて、『論文をこう解釈すると、次はこうかな』とサイエンスの議論が始まっていく。私は生物化学で博士号を持っているのですが、技術のネクストステップを見抜く目ではたびたび後れを取ってしまう」
悔しいやら、頼もしいやらですよと笑う。
19年、楽天メディカルに追い風が吹いた。
医薬品は厳格な臨床試験を行い、安全性や有効性が確認されてはじめて承認される。承認までにかかる時間はおおよそ10~20年。
17年、厚労省はより早く患者に薬を届けるために一定の条件を満たした医薬品に、臨床試験の一部を省略する「条件付き早期承認」制度を創設した。20年5月に頭頸部がんへの光免疫療法が、その制度の対象品目に指定された。
「残念ながら三木谷のお父様の治療には間に合いませんでした。ただ、新しい治療法を必要としている患者様は世の中に少なくない。一刻も早く届けるためにこの制度で申請しました」(小玉)
ただし、乗り越えなければならない壁にぶつかる。世界に先駆けた新しい治療ゆえ、治療現場の反応が鈍かったのだ。

20年1月に楽天メディカルに転職して、現在はアルミノックス統括本部本部長兼西日本エリア責任者を務める神田悟史は、医療者にコネクションがなかったため、病院の代表番号に電話を入れ、頭頸部外科の医師につなぐように頼んだ。
「治療法以前に『楽天グループが医療?』と驚かれることが多く、取り次いでもらうことすら難しかった。手紙を書いたり、話を聞いてくださった先生に紹介をお願いしたりして、認知を少しずつ広げていくしかなかった」
とりだい病院と縁がつながるのは、20年1月末のことだった。楽天メディカルは沖縄で開催された日本頭頸部外科学会にブースを出展。藤原との面談にこぎつけた。
藤原は光免疫療法についての第一印象をこう語る。
「もともと、従来の治療法がある程度出尽くした中で何かブレイクスルーがあるなら腫瘍免疫だと考えていました。神田さんから理論を聞いたときは、これは時代を動かす可能性があるなと」
神田はこう振り返る。
「藤原先生は、こちらの質問にも丁寧に答えてくださった。ここまで熱量を持った先生は珍しかったですね」
藤原の熱は、とりだい病院の若手医師にも伝わる。頭頸部外科講師の小山哲史だ。
薬事承認や保険収載後、光免疫療法を可能にする院内手続きを着々と進める藤原を見て、小山も引っ張られるように新しい治療法の施術について研究を始めた。
その成果は、さっそく一例目にあらわれる。とりだい病院としての一例目は副鼻腔がんだった。
体表に近いところに発生する頭頸部がんの中では、比較的奥に発生した症例だ。臨床試験を一部省略して承認を得ているため、安全性を重視して「もっと手術しやすい症例を選ぶべき」という意見もあった。ただ、副鼻腔がんが再発して他に打つ手のない患者が目の前にいる。適用条件は満たしていたので、一例目からやや難易度が高い症例に挑むことになった。
奥に適切に光を当てるために藤原や小山が導入したのがナビゲーションシステムだ。
「手術の前にCTを撮り、どこにどの向きや深さで針を刺すかあらかじめプランを立てます。手術当日はその画像を実際に患者さんに重ね合わせて、システムがガイドするとおりに針を刺すと、必要なところに漏れなく光を届けることができる。もともと脳神経外科や整形外科の手術で使われているシステムですが、光免疫療法に応用しました」
この工夫で手術は計画通りに進み、一例目のがんは小さくなったという。
光免疫療法は進化の途上であり、工夫の余地は大きい。小山はその都度適切なやり方を模索。手術中にCT-Cアームという医療機器で撮影したり、開口器を使って下咽頭がんに光を当てるなど、新たなアプローチを開発していった。
「さまざま工夫ができたのは、とりだい病院の風土のおかげです。CT-Cアームは頭頸部外科で滅多に使わない機器で、使いたければ他の診療科に借りに行かないといけません。組織が縦割りで融通が利きにくい病院もあると思いますが、とりだい病院は新しいチャレンジを応援する文化があって進んで協力してくれる。そうした環境があるから新しい術式を試しやすい」
光免疫療法の実施に当たっては看護師らの協力も大きかった。光免疫療法は副作用として約4週間、光線過敏症になるおそれがある。当初ほぼ真っ暗な状態で手術していたのもそのためだ。
「手術が終わって看護師が患者さんを運ぶときも、最初は患者さんを布で覆ってガード。酸素濃度を測るサチュレーションモニターも赤い光を放つので、それが当たらないように細心の注意を払ってくれました」(藤原)
ちなみに直射日光は引き続き避ける必要があるが、症例を重ねるうちに蛍光灯程度の明るさなら問題ないことが判明。現在は夜に室内で生活するぐらいの照度で看護している。
楽天メディカルは、25年7月、光免疫療法と免疫チェックポイント阻害薬の併用療法を評価する国際共同治験を日本で開始すると発表した。免疫チェックポイント阻害剤は、がん細胞が免疫の攻撃をブロックする仕組みを阻害する治療法。光免疫療法との併用で免疫が活性化されて相乗効果があるのではないかと期待されている。
日本でこの国際共同治験に参加しているのは5施設。その中には、とりだい病院も名を連ねている。この国際共同治験は他にアメリカと台湾で実施されている。台湾の参加施設がとりだい病院の手術を見学に訪れるなど、光免疫療法分野においてとりだい病院は世界的に先頭グループにいる。
藤原はこの治療法にかける思いをこう語る。
「光免疫療法のメカニズムは理論上、他のがん種にも同じように働くと考えられます。他のがん種にも広げていくには、まず頭頸部がんで光免疫療法を完成させることが大切。その責任を感じながら今後も自分たちにできることをやっていきます」

村上 敬
フリーランスライター。ビジネス誌を中心に、経営論、自己啓発、健康、エンタメなど、幅広い分野で取材・執筆活動を展開。スタートアップから日本を代表する大企業まで、経営者インタビューは年間100本を超える。