「うつ」と「性格」の関係「認知行動療法」「rTMS療法」 現代人が知っておくべき
うつ病の基礎知識

取材・文 村上 敬
写真 七咲友梨


いつもやっていた洗顔や入浴が面倒になってきたり、 好きだった趣味に関心が薄れてきたら、「自分も年齢を重ねたから、そんなものだろう」と早合点してはいけない。
気分の落ち込みや興味・喜びの著しい減退があると、うつ病のおそれがある。 うつ病は、非常に身近な病気なのだ。


うつ病の基礎知識

 うつ病は長らく「心の病」として扱われてきた。しかし、病態研究の進歩により、認識が変わってきたというのは。とりだい病院精神科教授の岩田正明だ。

「うつ病になった人の脳を細かく見ると、神経と神経の接続が少なくなったり神経そのものが萎縮して、情報が伝達されにくくなっています。部位としては、感情や思考をつかさどる前頭葉、そして脳のネットワークの中では海馬や扁桃体にも異常があると言われています。突き詰めると、うつ病は脳の神経機能障害といえます」

 うつ病は脳の神経機能の低下により、気分の落ち込みや興味・喜びの喪失といった症状が出る。いずれかの症状があることがうつ病診断の絶対条件だが、それらの症状に加えて、不安感や焦燥感、※希死念慮に襲われたり、思考力が低下することもある。

「うつ病で身体的な症状が出ることもあります。食事をしても味を感じず砂を噛んでいるような感覚に陥る。あるいは食欲がなくなったり、頭が締めつけられるように痛いとか、背中が痛いと訴える患者さんもいます。他の科で異常が見つからず、精神科にきてはじめてうつ病だと判明したケースは少なくありません」

 高齢者の場合、認知症と見分けがつきづらい問題もある。うつ病の症状の一つに思考力の低下があげられるが、思考力の低下は認知症の代表的な症状でもある。加齢ととともに活動量が落ちたり体の機能が低下していくため、うつ病になっても本人、周囲が気付きにくい。

「認知症は脳の神経が壊れてしまうため、進行するともとには戻りません。一方、認知症に見えるうつ病は『仮性認知症』と呼ばれています。仮性という表現からわかるように、認知症に見えるうつ病は一時的なものであり、適切な治療をすれば回復します。そこが大きな違いですね」

 

※死にたいという気持ちが繰り返し浮かぶこと

うつ病の基礎知識精神的疾患は検査数値や画像でわかるものではないため、患者の言葉や表情などから読み解くことが大切。



うつになるかどうかは
「性格」が関係する

 なぜ、人はうつ病になるのか。

 岩田は、「大雑把にいうと、うつ病は『なりやすさ』と『ストレス』の組み合わせで起きる」と解説する。

 なりやすさは「遺伝的背景」と「もののとらえ方」の2つがある。まず遺伝だが、実はうつ病において遺伝は強い因子ではない。まったく同じ遺伝的背景を持つ一卵性双生児がいて、片方が躁うつ病の場合、もう片方も躁うつ病である確率は7~8割だが、うつ病の場合は同条件で約3割だ。

 なりやすさでは、「もののとらえ方」を注意したいと岩田は言う。

「たとえば上司に叱られたときに、『自分はダメな人間だから叱られた』ととらえるか、『自分は見込みがあるから厳しく指導された』と受け取るか。前者のように物事を悲観的にとらえればストレスは増大します。一方、後者のように楽観的にとらえるとストレスはほとんどありません。もののとらえ方は、性格と言い換えてもいい。同じ条件でも、性格によってうつ病のなりやすさは変わってきます」

 とりだい病院・脳とこころの医療センターでさまざまな患者のカウンセリングを行う公認心理師の古瀬弘訓は、意外な出来事が引き金になるという。

「長時間労働など過酷な環境で働いてうつ病になるのは比較的わかりやすいケースです。案外多いのは、出産や昇進など、本来なら喜ばしいライフイベントを契機に発症する患者さんですね。出産はホルモンバランスが崩れるし、育児疲れでストレスを受けやすい。昇進は部署が変わったり部下ができたりで、負荷がかかりやすいようです」

 退職や身近な人の死、病気による身体的機能の低下など、人生の終盤戦にもさまざまな転機が訪れる。これらを新しい出発ではなく喪失体験としてとらえれば、ストレスが増大してうつ病のリスクが高まるので要注意だ。

 厚生労働省の「患者調査」によると、2023年時点で精神疾患を有する総患者数は約603万人。そのうち「気分(感情)障害(うつ病・躁うつ病を含む)」は約155万人とされている。国民の5.7パーセントに相当する。

 しかし、これはあくまでも診察を受けた方の数である。ストレスフルな情報社会の今、潜在的患者はもっと多いと考えられる。



いかに認知と行動のパターンを
変えるか

 すでに触れたようにうつ病は認知症と違い、治療が可能だ。

 治療の基本は大きく分けて「環境調整」「精神療法」「薬物療法」「ニューロモデュレーション」の4つ。これらを重症度に合わせて選択する。

 まず検討されるのが、環境調整である。

 うつ病の引き金となるストレスから遠ざかれるように生活環境を調整することを指す。たとえば仕事がストレスになっているなら、しばらく休職して職場から離れることが治療になる。難しいのは、家庭でストレスを受けているケースだ。

「高齢の配偶者や親の介助が辛くてうつ病になる患者さんは少なくありません。まずは介助をやめてゆっくりしてもらうのですが、家にいながら何もしていない自分に罪悪感を抱いてしまう患者さんもいます。思い切って一時的に入院することも選択肢の一つです」(岩田)

 2番目の精神療法はストレスではなく、もののとらえ方にアプローチする治療法だ。

 うつ病は思考力の低下を伴う場合がある。重度になると考えること自体が難しくなるため、精神療法は初期の段階、あるいは回復後に再発防止のために行われることが多い。

 精神療法は、「認知行動療法」(Cognitive Behavioral Therapy=CBT)が中心になる。

 人は経験を重ねる中で、認知の枠組み(スキーマ)を持つようになる。たとえば「人と話すと緊張する」というスキーマができていると、人と話すことがストレスになってしまう。そこで認知と行動のパターンを変えて、否定的な認知に陥らないように働きかけていく。

 公認心理師の古瀬は、ある病気になったことを機にうつ病になった50代の男性患者を例に解説する。

「患者さんは病気が完治したあとにうつ病を発症しました。カウンセリングをしたところ、患者さんは『以前と比べて体力が落ちている。病前の生活ができない自分はダメだ』という強い思い込みがあることがわかりました。

 ただ、『認知を変えましょう』と働きかけても簡単にはいきません。そこで筋トレから始めてもらい、趣味のサイクリングができる状態に。昔のような長い距離は困難ですが、ふたたび好きな自転車に乗れるようになったことでうつ病が改善しました。患者さんは『昔に戻れないことが辛い』という認知を持っていましたが、自転車に乗るという行動と、それが楽しいことだという認知のパターンを新しくつくることで、認知が変わっていったのです」



患者の負担が軽い
rTMS療法

 精神療法としては、他に認知に焦点を当てた「認知療法」、行動から認知を変える「行動活性化療法」などがある。

さらに新しい精神療法として、「アクセプタンス&コミットメント・セラピー」(ACT)にも注目したい。

「従来の認知行動療法は、問題が起きている認知と行動のパターンを分析してそれを崩すアプローチです。それに対してACTは、問題より、次の一手をどう打てば有意義になるかに焦点を当てて患者さんと一緒に考えます。まだ症例は少ないですが、ACTが適した患者さんがいればいつでもできる準備はしています」(古瀬)

 うつ病が中等症以上になると、3番目の薬物療法が視野に入る。

 脳の神経の機能回復を促す抗うつ薬が薬物療法の中心になり、一時的に不眠がある場合は睡眠薬や、不安が強い場合は抗不安薬を処方することもある。

 抗うつ剤で不安視されるのは依存性かもしれない。「吐き気や眠気などの副作用はありますが、依存性はない」と岩田は言う。

 従来の治療法で改善が見られなかったり、薬の副作用で薬物療法の継続が困難な場合は、脳に直接刺激を与えるニューロモデュレーションが選択肢になる。

 ニューロモデュレーションではこれまで脳全体に電気を流す「電気けいれん療法」が一般的だった。電気けいれん療法は全身麻酔が必要で、身体的に負担がある。そこで注目されているのが、「反復経頭蓋磁気刺激療法」(rTMS療法)だ。

「rTMS療法はコイルで強い磁気を発生させて、脳の特定領域だけにピンポイントで作用させます。電気けいれん療法ほどの治療効果はありませんが、麻酔が不要なので、病棟で治療が可能。患者さんの負担も軽いです」(岩田) 

 とりだい病院は中国地方で初めてrTMS療法を導入している。

「rTMS療法は急性期治療であり、本来は治療開始から6~8週間までしか受けられません。しかし、とりだい病院は先進医療として、条件を満たせばそれ以降も維持療法ができる医療機関に指定されました。ニューロモデュレーションでは国内でも先頭を走っている病院の一つだと自負しています」(岩田)

 うつ病治療は現在も多様なアプローチで開発が続けられており、将来への期待は大きい。

 最後に岩田はうつ病に悩む人に向けて次のようにアドバイスをしてくれた。

「うつ病は脳が一時的に疲弊して起きる病気であり、けっして本人の努力不足や弱さが原因ではありません。大切なのは、一人で抱え込まないこと。精神科は敷居が高いイメージがあるかもしれませんが、早く発見して早く治療したほうが回復も早くなります。おかしいと思ったら、気軽に相談していただきたいですね」

うつ病の基礎知識rTMS療法の1回の治療時間は30分程度。