Tottori Breath 米子で受け継がれる
本田美奈子.さんの思い



Tottori Breath

「楽しいですかー?」「はーい」ステージと観客が一体化。ステージの上に立っているのは、漫才師ダイノジの大谷ノブ彦さんと大地洋輔さん。客席からは、拍手と笑顔が弾ける—。

本誌のグラビアでも紹介しているように、7月21日「病院をみんなの遊び場に!」を合言葉に、地域に開かれた病院を目指し、2年連続でとりだい病院でフェスが開かれた。

ダイノジが登場したのは、私が総合司会を務めたメインステージ。抱腹絶倒の漫才に続き、DJダイノジへ。リズムに合わせ踊る踊る。その中には楽しそうに身体を揺らせる武中 篤病院長の姿も。外来ロビーは熱狂の渦に巻き込まれた。

この他、メインステージでは、ガイナーレ鳥取クラブアンバサダーの長谷川アーリアジャスールさんと、カニジル編集長でノンフィクション作家でもある田崎健太さんの、ここでしか聞けないサッカーの深い話。そしてトランペットを吹きながらキーボード演奏する音楽芸人・こまつさんのライブ。

フェスと銘打つだけあって、同時多発的に盛りだくさんのコンテンツ。その他のイベントについては、本号のフォトルポルタージュを見てほしい。

私にとって一番心に残ったのは、外来玄関横のゲストハウス棟多目的ホールで行われた1980年代にアイドルデビューした本田美奈子.さんの追悼展。

本田さんは、アイドルからミュージカルの世界へ活躍の場を広げ、急性骨髄性白血病と闘いながら音楽の力と希望を訴え続けた。2005年に力尽きた本田さんの遺品や舞台衣装、レコード、ポスターなど貴重な品々を展示する特別展である。西日本初の開催となる。

準備に奔走したのは、鳥取大学医学部統合生理学分野の檜山武史教授。

カニジルラジオ出演時にも本田美奈子.愛を力説したので、ご存じの方も多いかもしれない。本田さんの大ファンであり今回のフェスで骨髄ドナー登録を訴えるため、長年集めた本田美奈子.コレクションを自ら陳列した(大量のコレクションのため準備は前々日から行なったそう)。本田さんが実際乗った愛車(檜山さん所有)も外来入り口に展示されていた。

檜山さんの熱意に応えて、本田さんのお母さん、そして本田さんを発掘し、アイドル、ミュージカルへ飛躍する彼女に伴走した芸能プロダクション社長・高杉敬二さんも米子入り。

高杉さんと言えば、松崎しげるや、杏里、松本伊代、大場久美子、高岡早紀らを育てた大物プロデューサー。昭和のテレビマンで彼を知らない人はいない。本田さん亡き後はNPO法人「LIVE FOR LIFE」の発起人となり骨髄ドナー登録活動を行なってきた。

今回、私はこの多目的ホールのトークライブも頼まれていた。ただ、聞かされていたのはトークの相手がNPO法人代表というだけ。会場に向かうエレベーターで高杉さんとばったりと会い、思わず、「なぜ、ここにおられるのですか」と大きな声を上げてしまった。

高杉さん、檜山さんとトークしながら、本田さんの「ミス・サイゴン」日本初演、「レ・ミゼラブル」「屋根の上のバイオリン弾き」など本田さんの舞台を数多く見てきたことを思い出した。彼女の力強く響きのある声や表情が頭の中で甦った。

38歳で夭逝したスターの闘病。

「才能と努力が美奈子のパワー。病気を克服すると信じ続け彼女は逝った。骨髄バンクで救える命があるなら、私は彼女の意思を継ぎつづける」

本田さんの生前の姿を語る高杉さんの言葉は、すべての患者や医師・看護師を勇気づける言葉だった。



結城豊弘
1962年鳥取県境港市生まれ。テレビプロデューサー。鳥取大学理事と本誌スーパーバイザーを務める。鳥取県アドバイザリースタッフ。境港観光協会会長。