カニジルブックレビュー
医療従事者は「話題の本」をこう読む
第7回
『夢を叶えるために脳はある「私という現象」、 高校生と脳を語り尽くす』

(池谷裕二 講談社)




「話題の本」をこう読む
評者 鳥取大学医学部附属病院 脳神経内科講師 河瀬真也


 本書は高校生向けに3日間の対話式講義を通じて「脳は何のために存在するか」という問いに対して多角的に迫る1冊である。

 私が専門としている脳神経内科は脳・脊髄・末梢神経などの神経系や筋肉の病気に対応する診療科だ。脳神経機能が何らかの原因で障害が起こると、様々な症状を呈する。その原因検索や治療・ケアを行なっていく。本書は、脳神経内科が扱う疾患の病態理解やリハビリテーション、患者とのコミュニケーションも含め相通じる部分が多い。約670ページと膨大なスケールではあるが、対話形式の記載方法も相まってどんどんと読み進めることができる。

 タイトルにある「夢を叶える」という言葉を聞くと、「自分の将来を実現させる」というような一見哲学的な観点が主体となる内容かと思える。しかし本書は、「何のために脳があるのか」という問いに対して、脳科学関連の膨大なエビデンスに基づき、脳の可塑性、学習、意志決定の神経基盤に対する知見、さらに昨今話題になっているAIやディープラーニング、そこからさらに哲学的な観点に関する洞察も含めて話を進めていく。そして、最終的に表題に戻っていくという流れである。このプロセスを経ることで「脳」というものに対する理解が深まり、様々な観点から自分を未来志向的に眺めることができる。

 脳では「記憶」「可塑性」「情報処理」そして「意識」が重要視されており、これらの機能が正常に働いた上で「夢を叶える」ことができる。ただしこれらは加齢と共に衰えていく。さらに我々の脳神経内科で診療する疾患、特に高齢者に多い認知症や脳卒中等に罹患することで、脳機能は加齢の要素以上に低下する。

 脳卒中は血管が詰まる脳梗塞と血管が破れる出血(脳内出血やくも膜下出血)に大別される。脳卒中を発症すると麻痺や感覚障害、言語障害(失語、構音障害)、障害部位によっては失行、失認、遂行機能障害等の症状を呈することがある。脳卒中は再発することがあり、再発の度に脳機能が低下してしまう可能性が懸念される。

 また、認知症疾患で頻度の多いアルツハイマー型認知症では、海馬萎縮による短期記憶障害が症状の中核を成す。認知機能の低下に加えて不安感や焦燥感、不穏等の行動心理症状が生じることもあり、介護者の負担を増やす要因にもなる。このような状態は、まさに“夢を叶えるための脳”の機能障害として捉え直すことができる。

 こうした脳神経内科の病気=「治らない病気」と思われてしまうところもあるが、医学の進歩により治療の選択肢は徐々に広がっている。脳卒中の中でも特に脳梗塞超急性期においては、発症4.5時間以内の血栓溶解療法(薬で血栓を溶かす治療)や、脳主幹動脈閉塞に対する機械的血栓回収術(カテーテルを用いて血栓を除去する治療)により神経症状の改善が期待できる場合がある。

 またアルツハイマー病による軽度認知障害または軽度認知症の場合は、これまでの抗認知症治療薬に加えて病気の根本的な原因を改善する疾患修飾薬が登場している。こうした薬品は、病気の進行を遅らせて認知機能低下を緩やかにすることが見込まれている。他にも治療法が次々に登場している。

 本書は、多くの事例を紹介することで、科学研究にあまり接したことのない方々にも問題点を分かりやすく解説しています。そして、私たち研究者にとっても、改めて確認すべき多くの教訓を得ることができました。研究者、あるいは研究者を目指す学生、そして科学研究を支えるすべての方々におすすめしたい一冊です。

 本書を読みながら、このような疾患の治療に加えて患者さんの療養に関することや、家族の方々へのケア等、全人的に対処していくことで、少しでも「夢を叶える可能性」を残していけるよう、脳神経内科医として診療にあたっていくことの重要性を改めて感じた。

 本書は、脳の働きについての理解を深めるだけでなく、人間の可能性を再認識させる力をもった一冊である。神経学的知識と臨床実践のあいだに立つ、“架け橋”としての役割も期待できる。病に直面する患者が「未来を信じる力」を持つことの重要性を考えたとき、本書のメッセージは一層深く胸に響くだろう。




河瀬真也 (かわせ しんや)
1981年島根県松江市生まれ。鳥取大学医学部を卒業後、松江市立病院、島根県立中央病院などを経て、2018年にとりだい病院助教となる。2020年より現職。
日本内科学会認定医、総合内科専門医、指導医。日本神経学会専門医、指導医。日本頭痛学会専門医。