Tottori Breath vol.2 「とりだい病院に入院したら・・・?」

文・結城 豊弘

Tottori Breath

医師と看護師と患者の絆

入院して手術を経て病室でこの原稿を書いている。病院は、当然、鳥取大学医学部附属病院である。鳥取県米子市の病院に入院を決めた私に、東京・日本テレビや大阪・読売テレビの同僚らは、怪訝そうに「なぜ、鳥取の病院に入院するの?東京か大阪の病院の方が、設備も技術も上ではないのか」とあれこれ質問攻め。しかし、私は“とりだい病院”を敢えて選択した。その理由はいくつかある。

「結城さん、そろそろ手術のやりどきじゃないのかな。ボールペンを握れないでしょう。多分、歩いていてもよくつまずくよね」と声を掛けてくれた医師の存在も大きかった。とりだい病院の特別顧問を引き受け会議にいくつか出ている関係で、病院関係者との交流も多い。会議の一つで、隣の席から突然驚くべき指摘を聞いた。整形外科の永島英樹教授だった。内容にギョッとした。図星だった。

ここ数年、右足と右手に痺れと麻痺があり、段々悪化していたのだ。永島教授曰く、典型的な頚椎症性脊髄症。平たく言うと加齢などにより、首の椎間板が変化して、骨がトゲ状になってしまい、これにより脊椎管に有る脊髄が圧迫され運動障害がでる病気だ。結局、私は永島教授の執刀で手術をすることを決断。手術は成功し、現在、リハビリに励んでいる。

入院すると今まで見えなかったものが見えてくる。自分の弱さや不安もそうだ。普段あまり感じない人の優しさやありがたみ。友情や思いやり。これまでの人生や反省までもが、頭をよぎる。辛い手術後の痛みや闘病の日々も、人の温かい労いで軽くなると知った。「顔色がいい」と言われることがこんなに嬉しいことだったのか。普通に食べられることや、寝ること、そして排泄が、本当はとても大切なことだと思い知らされた。多くの人の励ましは、早く元気になろうというモチベーションにもつながった。医師の丁寧な経過説明と看護師の甲斐甲斐しい看病。感謝しかなかった。

ところがだ、少し元気になると今度は、病院のさまざまな綻びが気になりはじめる。毎日の食事や天井のシミ、病院の窓から見える景色までのが鼻につく。それこそが元気になってきた証拠だと友人に諭された。


入院して体験モニターになる!?

鳥取大学医学部附属病院に入院を決めた別の理由に、自らがモニターとなり、病院のいいところと、悪いところを見てやろうという気持ちや、米子市の病院なら見舞いも押しかけて来ないだろうし、仕事の喧騒から離れてゆっくり養生できるという安心感があった。しかし、病院の1番の目的は、病気が完全に治り元気になること。その上で、人はよりよい病院でのサービスや生活のしやすさを求めるのだという単純至極な答えを導き出すのに、実に3週間も入院が必要だった。

今は日常生活が送れるようにリハビリに気持ちを盛り上げている。衰えた基本的な運動機能を回復したい。入浴や食事、着替えなど普通のことを普通にしたい。看護師の1人が笑顔で言った。「もう治らないと思わないで。患者の皆さんが元気になって笑っていただくのが1番嬉しい」と。この言葉を聞くだけでも入院の意味があった気がする。そして同時に、病院の大切な役目を改めて噛み締める大きな経験となった。今回の入院経験を、きっと私は一生忘れることがないだろう。



読売テレビ 報道局兼制作局 チーフプロデューサー
結城豊弘
鳥取県境港市出身。駒澤大学法学部を卒業後、読売テレビに入社。アナウンサーを経て番組制作に転じ、「オウム真理教問題」の報道や『情報ライブミヤネ屋』の制作などを経験し、現在は『そこまで言って委員会 NP』を担当。
共著に『地方創生の真実』(中央公論新社)。鳥取県戦略アドバイザリースタッフであり、鳥取大学医学部附属病院特別顧問を務める。