病院長が話題の人物に迫る!
武に虎
大谷ノブ彦 武中篤

写真 七咲友梨 構成 カニジル編集部


武に虎

今回のゲストは、漫才師でありDJとしても、全国各地を飛び回る「ダイノジ」の大谷ノブ彦さん。
生まれ故郷を盛り上げたいと東京から九州へと拠点を移した大谷さん。
日本全国を回って気づいた地方創生の課題、そして米子やとりだい病院のポテンシャルについて武中病院長と熱く語り合いました。

とりだいフェスの 「踊る病院長」
武に虎

武中 昨年6月の『とりだいフェス 2024』ではお世話になりました。病院の中庭で行なったダイノジの〝キッズディスコ〟。大谷さんがDJとして曲をかけて、相方の大地(洋輔)さんたちダンサーが踊る。どんなふうになるんだろうって行ってみたら、大盛り上がりでびっくりしました。

大谷 最初はまず子どもたちが知っている、踊れる曲をかけます。今の子は自分の得意な曲があって、踊った映像をSNSに上げているんです。あっ、これは私の出番、みたいな感じで踊り出す。

武中 最初から子どもがノリノリで上手に踊っていましたよね。大谷さんたちが連れてきた子じゃないかと疑ったぐらい(笑い)。

大谷 仕込みじゃないです(笑い)。子どもが普段聴いている音楽も大事なんですが、ずっとそれだけじゃない。その後に、お父さんやお母さんの馴染みのある90年代の曲をかける。子どもに媚びない。そうした曲でも子どもの身体は動いているから、ついてくる。違った年代の曲を混ぜながら、ダンサーたちと平和な空間を作っていく。

武中 ダイノジのチームで印象的だったのが、大地さん、ダンサーの方々が楽しそうだったこと。あの女性の方はプロですか?

大谷 (大笑いして)プロは1人もいないです。

武中 えっ、そうなんですか? すごくキレのいい踊りでしたよ! そもそも大谷さんがDJを始めたきっかけはなんだったんですか?

大谷 2002年にダイノジとしてM-1グランプリの決勝大会に進出しました。しかし、そこで8位に終わってしまった。その後も出続けたんですが、M-1には〈結成10年以内〉のコンビというルールがあったんです。ぼくたちは出られなくなってしまった。ぼくたちは、これまでのお笑いの先輩たちがやらない何かをできないかとずっと探していたんです。そんなときDJを振られた。やってみたらものすごく盛り上がった。

武中 大谷さんは音楽評論を書くぐらい音楽には造詣が深い。その知見と芸人の盛り上げるという本能が合致した。

大谷 ぼくは(相方である)大地さんと一緒にやりたかったんです。それで大地さんにエアギターを教えたら、そのまま世界大会に出て世界一になってしまった(笑い)。ただ、ぼくがDJをやるときダンサーが大地さんだけというのは体力的にきつい。そこでリズム感がある、ちょっと売れていない芸人さんにバイト代払うからやらないって声をかけたんです。そして、ロックフェス(のステージ上)で、ぼくが考えた簡単な振り付けをみんなで一緒にやってみた。それがウケたんです。そのとき(関係者から)言われたのが、あんまりうまい踊り手ばっかりだったら、観る方に回ってしまう。これぐらいだったら自分でもできるんじゃないかって、踊りたくなると。病院長も踊っていただきましたよね(笑い)。

武中 (頭をかいて)いやー、ぼくが踊るとは思っていませんでした。

大谷 今のダンサーも本職は誰もいなくて、お笑いやっていたり、もともと裏方志望だったりという人です。下手でもいいからみんなで楽しんで、恥をさらけ出す。病院長が率先してやってくれた(笑い)。

武中 あとから考えると、親近感があって楽しそうだから、子どもたちも近寄っていったのかもしれませんね。



地元だけでやっていると 「内向き」になる

武に虎

大谷 ぼくたちが意識しているのは、主役はあくまでお客さんだということ。地方創生っていうと、タレントを呼んでそれで予算ほとんど使い切った、なんて話をよく聞きます。そのときに旬で人気あるタレントを呼ぶかで集客が決まる。でも、大事なのはそこじゃない。参加してくださるお客さんに楽しんでもらうこと。

武中 敢えて、ゆるくすることも大事。

大谷 ぼくたちは芸人ですから、その場を盛り上げるのは、ある意味簡単なんです。ただ、イベントを継続していくのは地元の人。とはいえ、地元の人たちだけで内輪にやっていると殻にこもってしまいがち。外部の人たちがその殻を叩くことも必要。

武中 外部の人でないと分からないことがある。それが大谷さんたちの役割。

大谷 イメージとしては、地元の意見に耳を傾けながら、異質な何かを混ぜ合わせて、今まで見たことがない、その町や村にしかできないものを作る。それに関わるのが楽しい。

武中 とりだいフェスもまさにその1つでした。大谷さんたちは、キッズディスコだけじゃなく、メインステージで漫才、(病院駐車場に集まっていた)キッチンカーブースに行き、みんなを盛り上げてくださった。

大谷 病院でのフェスというのはぼくも初めて。国立大学病院ってお堅いイメージがあるじゃないですか。800人ぐらい来たら成功かなと思っていたんです。当日の朝、車で到着したら長蛇の列ができていた。誰かのコンサートが近くであるんかなと、思ったんです。そうしたら、とりだいフェスのオープンを待っている。しかも、子どもがめっちゃいる。こんなすごいイベントに参加させてもらったんやって、嬉しくなりました。

武中 患者さんが病院に来るときというのは〝平時〟ではなく〝有事〟なんです。つまりかなり困った状態になって来る場所。ぼくは有事になる前、平時の時点でまず病院に来てほしい。トイレの場所が分かっているだけで、安心感がある。

大谷 あーなるほど、そんな考えがあったんですね。あと、とりだいフェスで印象的だったのは、ボランティアの方がたくさんいたことです。

武中 サポーター制度は、ぼくが病院長になってから力を入れています。ぼくは若い頃、兵庫県の田舎の病院にいたことがあります。地方は医師が足りません。小児科のお医者さんが激務に耐えかねて、辞めると言い出したことがありました。そのとき地域の人たちから、我々が病院を守るという市民活動が起きた。米子はまだそこまでいっていませんが、このまま人口減少が続けば同じようなことが起こるかもしれない。我々も頑張りますが、やはり住民の方々にも伴走してほしい。また、平時のときにボランティアとして来ていただければ、病院のことがよく分かる。



「とりだい病院には 人の温度が感じられる」

武中 2023年4月、ダイノジのお2人が生まれ故郷である九州の「福岡よしもと」に移籍したことは話題になりました。

大谷 若いときはとにかく東京で成功したいと思っていました。それで一生懸命お笑いをやっていて、ふと辞めようと思ったときがあったんです。1999年だから、26、7歳のときでしょうか。それで実家のある大分に帰ったら、意外と応援してくれる人がいた。そういう方の存在がまずあって、改めて眺めてみると、東京にない、いいところがたくさんある。大分、すげぇなって思ったのが始まりですかね。

武中 大谷さんは全国を飛び回って、様々なイベントを仕掛けています。地方が地盤沈下していると言われている中、踏ん張っている場所もあります。そうした都市の共通点ってありますか?

大谷 (腕組みして)うーん、トップの緩さ、ですかね。例えば、俺が市長なんだ、とふんぞり返っているのではなく、軽く見られているんだけれど、やるべきことはやっているみたいな。いろんな既得権益がある中、やりたいことを貫き通すには柔らかな物腰が必要なのかなと。 

武中 ちょっとぼくに足りないところかも(笑い)。

大谷 いやいや、ぼくはとりだい病院の緩さがいいと思うんです。とりだい病院に着いて、廊下を歩いたら写真ギャラリーなどがあった。あれっ、病院なのに居やすいぞ、緩いぞ、って感じました。

武中 とりだい病院は2029年着工で、新病院建設を計画しています。ハードとしては、手術ロボット、AI(人工知能)など先進の技術を駆使した病院になるはずです。ただ、いくらいい病院を作っても、患者さんに選ばれなくては意味がない。山陰地方は10年後まで人口は徐々に減少し、その後、がくんと落ちるという予想がある。移住者、あるいは大谷さんのような2拠点、多拠点生活者をいかに呼び込むか。

大谷 ぼく、米子むっちゃ好きなんですよ。とりだい病院と縁ができる前から米子でイベントをやっていました。羽田空港から米子(鬼太郎)空港まで約1時間20分。米子空港からとりだい病院まで車で30分ぐらい。意外と近い。

武中 やろうと思えば日帰りもできます。ぼくもだいたい週に1回ぐらいは飛行機に乗っています。山陰ってご飯も美味しくて、人も優しい。米子に人が来るという仕掛けをしていきたい。

大谷 新型コロナで、リモート会議などの技術が一気に広まりました。便利になりましたよね。そして収束後、対面する価値が上がったとぼくは思うんです。若い子にスナックが人気。リモートでもコミュニケーションは取れるようになって、人の温かさに改めて気がついたというかね。とりだい病院には人の温度が感じられる。終の棲家という言葉が頭に浮かぶんです。

武中 そう言われると本当に嬉しい。

大谷 ぼく、最近毎日歩いているんです。そうしたら体重も落ちて、むちゃくちゃ身体の調子がよくなった。ウォーキング大会を病院でやりませんか。あっ、でもみんなが健康になったら病院が困るか(笑い)。

武中 いやいやそんなことないです。今後、我々の病院の鍵になるのは、病気になりにくいという「未病」だと考えています。ロボット手術のような高度医療の恩恵を受ける地元住民の人の数は限られている。どのように地元の人々に認められて、愛される病院にするか。それは未病であったり、文化発信であったりすると思います。大谷さん、今後ともとりだい病院をよろしくお願いします。また面白いことやりましょう。

大谷 ぜひぜひ!


武に虎



武中 篤 鳥取大学医学部附属病院長
1961年兵庫県出身。山口大学医学部卒業。神戸大学院研究科(外科系、泌尿器科学専攻)修了。医学博士。神戸大学医学部附属病院。川崎医科大学医学部、米国コーネル大学医学部客員教授などを経て、2010年鳥取大学医学部腎泌尿器科学分野教授。2017年副病院長。低侵襲外科センター長、新規医療研究推進センター長、広報・企画戦略センター長、がんセンター長などを歴任し、2023年から病院長に就任。とりだい病院が住民や職員にとって積極的に誰かに自慢したくなる病院「Our hospital~私たちの病院」の実現に向けて取り組んでいる。

大谷ノブ彦 吉本興業所属
大分県佐伯市出身。明治大学政治経済学部卒業後、1994年中学校の同級生でもある大地洋輔とダイノジを結成。2005年よりDJダイノジとしてDJ活動を開始。2017年から立命館アジア太平洋大学(APU)にて講師を務る2023年、地元九州を盛り上げていきたいと拠点を福岡に移す。