評者 鳥取大学医学部附属病院 腎センター長 特命准教授 引田克弥
本書は読売新聞社会部取材班による臓器売買の実態とその闇を徹底的に調査したノンフィクション作品である。
本書に書かれているように、取材した記者たちは、もともと医療分野が専門ではない。国内外での臓器売買の闇を解き明かすために試行錯誤を繰り返し、取材、報道を行なった記録でもある。
私が引きつけられたのは臓器売買の実際の現場の生々しい描写だった。経済格差や貧困に苦しむ人々が、生活のために自らの臓器を売らざるを得ない状況、ブローカーや臓器売買に関わる医療関係者の関与など、複雑な臓器売買のネットワークが浮き彫りにされている。ウクライナやベラルーシなどの国々で行われた臓器売買の詳細を明らかにし、その社会的、倫理的問題を提起している。
この本のテーマ、臓器移植について説明したい。
とりだい病院では2022年に「腎センター」を開設した。泌尿器科医である私は、現在センター長を務めている。臓器移植も我々の専門である。
2022年12月末で日本国内では約35万人が透析療法を受けている。国民の約360人に1人が透析患者という計算になる。末期腎不全になると生命の維持が困難になり、透析、あるいは移植などの「腎代替療法」が必要となる。透析には血液透析、腹膜透析があるが、いずれも患者の負担は大きい。現時点で根治治療は腎移植のみである。
腎移植には親族から提供を受ける生体腎移植、亡くなった方から提供いただく献腎移植がある。年間200例の献腎移植が施行されているが、献腎移植を希望する患者は約1万4千人。しかし、日本移植学会によると2022年の腎移植数は1785例に過ぎない。献腎移植を希望し、臓器移植ネットワークに登録しても、14年程度待機する必要があるのだ。
透析は生活の質が低下し、時間や食事、飲水など著しく制限を受けるため、健常人が考えているより負担がかかる。金銭で臓器を買う、という選択肢は本来あってはならないことであるが、その苦しみから抜け出したいという気持ちは理解できる。
臓器売買は以前から国際的な問題だった。
約20年前、私は勤務していた病院で透析を担当していた。ある患者がフィリピンで腎移植を受けるため他院へ転院となったことがあった。当時の透析部長が法的、倫理的に問題があるからやめるよう強く説得していたことを覚えている。患者が希望に満ちて移植の話をしていたことが強く印象に残っている。その患者のその後の経過はわからない。
2008年、トルコで行われた国際移植学会で「イスタンブール宣言」がとりまとめられた。宣言では、臓器売買・移植ツーリズムの禁止、自国での臓器移植の推進、生体ドナーの保護を提言している。
移植ツーリズムは、世界の「経済格差」と密接な関係がある。臓器を提供するドナーとなるのは、社会的弱者、貧者である。宣言には自国で提供者を増やす努力が必要であると明記され、国外での合法的な移植の機会は減少している。しかし、本書の指摘するように密かに行われており、日本人もその中に含まれる。
厚生労働省の調査によると、2023年3月31日時点で日本人の渡航移植者数は543人。国外で移植を受けた外来通院者は198人。これらの患者が国外9カ国で腎移植を受けていたことになる。ただし、この数字は限られた施設を対象とした調査であり、実際の渡航腎移植患者数はさらに多いものと推察されている。
本来、臓器移植は多くの患者の生命を救う重要な医療行為である。しかし、臓器売買と不適切な医療行為に伴い、亡くなられた方、後遺症の残った方など、その過程で多くの人々が苦しんでいる。臓器売買をあっせんする業者は困っている患者を助けるためという大義名分を掲げるが、実際は本書に書かれているように金銭目当てであり、賛同すべき点はない。
医療従事者として、患者の命を救うための臓器移植が臓器売買によって不幸な転機をたどることはあってはならない。倫理的な行動をとることの重要性を再認識させられた一冊だった。
引田克弥 (ひきた かつや)
1974年米子市生まれ。鳥取大学医学部医学科卒業後、とりだい病院、国立病院機構米子医療センター、東京女子医科大学泌尿器科などを経て、2022年からとりだい病院腎センター長、特命准教授に就任。専門は腎移植、前立腺がん、排尿障害。