病院長が話題の人物に迫る!
武に虎
川口和久 武中篤

写真 中村治 構成 カニジル編集部


武に虎 武に虎

元野球少年でもある武中 篤病院長が、どうしてもお会いしたいと対談のお相手に選んだのは、
元プロ野球選手で現在、故郷である鳥取市にお住まいの川口和久さんです。
野球の解説者や指導者として、またタレントとしても活躍する多忙な日々の傍ら、
本格的なお米作りにも取り組んでおられます。
“野球”と“医療”という、まったく違う道を歩んできたお二人ですが、大好きな野球のこと、鳥取の自然や食のこと、
そして人々の生活を支える病院のことを熱く語り合ってきました。

「石投げ」で肘の使い方を習得した
少年時代

武に虎

武中 いきなり申し訳ないんですが、ぼくは江夏(豊)さん、田淵(幸一)さんの時代から(阪神)タイガースファンでした。川口さんがいた広島(カープ)は兄弟球団という感じというか……。

川口 (首を振って)もうどこのファンでもいいんです。とにかくプロ野球を応援して盛り上げていただければありがたい。

武中 川口さんは鳥取市の生まれ。ご実家は吉岡温泉の旅館だったとか。

川口 温泉街のど真ん中にある旅館でした。朝早くから深夜までお袋たちがお客さんの応対をしていました。夜まで電気がついているので、近所の仲間が集まってきて、ずっと外で遊んでいました。昼間は(収穫が終わった)田んぼで野球をして、川や海で泳いだり、文字通りの野生児でしたね。

武中 ぼくは兵庫県の加東市出身ですが、同じような生活でした。ただ、うちは内陸部なので海はなかった。

川口 秋は山でアケビや栗をとったり、冬はスキー。湖山池が近いのでテナガエビを釣ったり。夏は(日本海側の)白兎海岸まで自転車で3、40分走って泳ぎに行ってました。

武中 最高の少年時代ですね。

川口 海岸で石を投げて、何段ハネるか競い合ってました。(立ち上がって左腕を横から振って)こうやってサイドから石を投げるじゃないですか。この肘の使い方って、ピッチャーゴロをとって、ファーストにふわっと投げるときと同じなんです。

武中 遊びながら肘の使い方を習得していた(笑い)。子どもの頃からプロ野球選手になるつもりでしたか?

川口 ぼくは3人兄弟の末っ子なんですけれど、上の2人が無茶苦茶野球が上手かったんです。兄を見ながら野球をしていただけでした。ぼくは投げるのは左なんですが、右打ち。(右打ちの)兄の真似をしていたら、右打ちになってしまった(笑い)。

武中 左投げは川口さんだけ?

川口 ぼくだけです。旅館やっていることもあって箸を左で持つなと親からきつく言われて、日常生活では一生懸命矯正しました。ぼくは右手で鉛筆持ちながら、左手に消しゴム。ハサミも両手で使えます。

武中 外科医の世界では、左利きの人は両手を使えるから手術が上手いっていう説があります。利き手ではない方を使わなければならないので器用になるのかもしれません。

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