病院長が話題の人物に迫る!
武に虎
竹山 聖 武中 篤

写真 中村治 構成 カニジル編集部


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 鳥取大学医学部附属病院は2030年に新病院を着工予定。武中 篤病院長は新病院を一帯の“100年の計“と位置づけています。
目指すのは、人の温かみとAiをはじめとした先端技術を両立させたスマートホスピタル。
さらに地域の方々がくつろげる場所にしたい――。そこで日本を代表する建築家であり、
京都大学の建築学科で多くの後進を育ててきた竹山 聖さんと新病院の未来について語ってきました。

武に虎

竹山 対談前に〝病院ツアー〟に参加して様々な場所を見学してきました。するとたまたまドクターヘリが出動する瞬間にあたったんです。急いでヘリポートまであがって、ドクターヘリが飛び立つのを見送りました。

武中 それはなかなかレアな体験です(笑い)。ツアーに参加されても出動していてドクターヘリがいないときもあるんです。ヘリポートは地上20メートルの高さにあります。あそこはぼくも好きなんです。ものすごくいい景色ですよね。

竹山 ええ、遠くに青い中海が見えました。天気も良かったので、本当に素晴らしい景観でしたね。新病院は今と同じ場所に建てられることになるんですよね。

武中 はい。そうです。加えて米子市から中海側の湊山公園の一部を提供していただくよう準備を進めています。

竹山 中海が見えるという立地は最高です。個人的な体験になるんですが、3年前に早期がんが見つかり入院しました。一度目の入院は窓から外が見える部屋だったのでものすごくリラックスできました。ところが二度目は廊下側(笑い)。景色が見えるか見えないかで人間は気分が変わる。景観は人を癒やすとつくづく思いました。病室からあの中海の景色が見えればすごく魅力的ですね。

武中 そうなんですよね……。ところが今のとりだい病院では、どの病棟からも中海は見えない。とりだい病院に限らず、国立大学病院というのは、患者目線というか、そうした発想がなかった。

竹山 ぼくも京都大学で長く教えていたので国立大学の事情は察します(苦笑い)。そもそも建築計画学的には、病院は学校、刑務所と同じビルディングタイプに入るんですよ。

武中 えっ、刑務所と一緒?

竹山 いくつもの部屋が必要で、管理しやすいように作らねばならないということが共通しています。刑務所はもちろんですが、病院も健康的弱者をケアするため管理が必要。学校は自由にのびのびなんて言いますが、職員室から運動場、教室を見通せなければならない。

武中 どうしても管理者にとって効率の良い作りになってしまう。

竹山 多くの患者さんを収容するためには天井は低くなり、窓からの景色は考慮されない。病室はナースステーションから様子を窺いやすいよう配置される。でも監視されるのは患者さんにとって嫌ですね。

武中 なるほど。今後はその部分についてはAi(人工知能)で患者さんを見守るなどの形でカバーできるかもしれません。我々が考えているのは、Ai、IT、DX(デジタルトランスフォーメーション)を利用したスマートホスピタルです。デジタルの一番の弱点は共感力。その部分は人がカバーしなければならない。現時点で決まっているのはこれぐらいで、これから色んなことを決めていかねばなりません。今のとりだい病院の主たる部分は50年以上前に建設されました。そもそも病院は何年ぐらい使用されるという前提で作らなければならないのでしょうか?

竹山 医療の世界は日進月歩です。とりだい病院が力を入れているロボット支援手術などの進歩を考えれば、建物の機能的なところは50年ぐらいで建て替え、あるいは全面改修の必要がある。ただ、機能的でない部分については、この年数にとらわれなくてもいいでしょう。強度、耐久性という点でいえば、現在のコンクリートはカーボンなどの素材を加えて長持ちするようになっています。

武中 つまりフレームはそのままで中身を時代に合わせて変えていくことも可能だと?

竹山 やりようはありますね。

武中 現時点でとりだい病院の病床は697床。竹山さんもご存じのように、この地域は人口が減っています。将来的にこの数を維持するのは無理。普通に考えたら新病院は、ダウンサイジング、つまり病床を減らさねばならない。ただ、今回の新型コロナで分かったように未曾有の事態が起こったとき、病床を急に増やすことはできない。この地域における医療の最後の砦としてある程度の余裕を持っておく必要があります。

竹山 また、病床数は個室数とも関係しますよね。

武中 現在、とりだい病院の個室率は13・4パーセント。個室の需要が高く、新病院では30パーセント以上にしたい。ただ、その数もこの地域の人口増減等によって変化があるでしょう。色々と注文が多いですよね(苦笑い)。



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竹山 こうした会話こそ、ぼくたち建築家がクライアント(顧客)と日常に行なっていることなんです。クライアントが色々な思いで要望を出してくださる。面白いことに、その要望通りに作ると、こんなはずじゃなかったとなるんです。人はなかなか思っていることを正確に伝えられない。あるいは言葉にしないものを本当は求めている。そこでキャッチボールをしながら方向性を定めていく。住宅の場合はオーナーの個性が出ますから、絶対に同じものにならない。病院もその地域の特性、人々の思いによって違ったものになるはずなんです。武中先生のおっしゃるようにフレームを生かしながら、未来のこの街に応じて対応することは可能です。逆にこれからはそうしなければならない。

武中 国立大学では一つの建物をなるべく長く使うという方向になっています。個室率も含めて、我々は新病院で〝もう一つ先〟を考えなければならない。

竹山 学校、病院はこれまではどんどん増やさなければならなかった。これからは質、そしてむやみに建て替えずに長く、フレキシブルに使えるかということが重要になってくる。

竹山 機能的な部分は50年ぐらいで建て替えの必要があると言いましたが、そうではない部分もあります。例えば、この病院では回廊を使ったアートギャラリー、カニジルブックストアという書店など文化的な活動を行なっておられる。これは患者さんに限らず地域の方々が利用できるパブリックゾーンですよね。パブリックゾーンの部分はもっと長持ちするはずです。

武中 そもそもパブリックゾーンとは集合住宅等で居住者たちが共有するスペースのことですよね。

竹山 ぼくは建築の肝の一つは広義のパブリックゾーンだと考えています。例えばホテル。こうした宿泊施設でお金を稼ぐのは客室です。いい客室が沢山あればあるほど利益を上げることができる。ただ、本当にいいホテルは、宿泊客以外で利用できる記憶に残る空間、パブリックゾーンがあるんです。

武中 記憶に残る空間、ですか?

竹山 ぼくは35年ほど前、箱根の強羅花壇という旅館を設計しました。そのときにオーナーに提案したのは、記憶に残るような、ホテルの顔となる象徴的なパブリックゾーンをつくる、ということです。山登りで気持ちがいいのは谷を登ってたどり着いた尾根筋です。だからその尾根筋の一番いいところに120メートルの大列柱廊をつくりました。客室は下ってゆく斜面に沿って段々に配置。ただこの客室は列柱廊から見えない。見えないと人間は想像力を働かせる。期待感を抱かせるわけですね。このパブリックゾーンから箱根大文字の雄大な景色を楽しんでいただく。またここに帰ってきたいと感じていただきたいと思ったんです。

武中 強羅花壇を紹介するとき必ず取りあげられる両側がガラス戸、瓦の廊下という有名な回廊ですね。

竹山 この前行ったのですが、サンフランシスコのパレスホテル には素晴らしいアトリウム(ガラスやアクリル板などの明かりを通す素材で屋根を覆った大規模空間)がありますよね。そこで宿泊客以外もお茶を飲むことができる。とりだい病院には、患者さんがゆっくりできたり、面会の方とお話を楽しむことができるいいパブリックゾーンがすでにあります。新病院ではそれをさらに進める。病院と中海に面した庭をつなげて、患者さん以外でも入れるようにする。芝生を張ったりウッドデッキを設置する程度ならば、そんなにお金は掛からない(笑い)。



武中 我々もホスピタルパークという構想を温めています。病院には防災に備えて、普段は何も使わないフロアが必要です。これもパブリックゾーンとして、普段はイベントをしたり、地域の方々と交流できる場に使う。

竹山 少し前に観たドラマで病院のロビーで患者さんを励ますためにコンサートをするという場面がありました。そういうスペースにも使えます。そういえば、すでにとりだい病院ではコンサートをやられているんですね。

武中 ええ。多目的ホールで音楽ライブを開催しています。さらに6月には病院のロビーや中庭、ロータリーを使った『とりだいフェス 2024』というイベント企画が進んでいます。

竹山 それは面白い。防災の話になりますが、体育館などに避難すると、ダンボールなどで仕切りをつくりますよね。ちょっと襞がある方が人は楽になるんです。しんどい人は襞に隠れることができる。建築も襞を作ったほうがいいんです。内臓には襞があって広い面積で栄養を吸収していますよね。襞によって豊かな世界が広がる。それと同じように防災用の大きな場所にも襞のような場所を作って、そこに本棚などがあってもいい。

武中 私は新病院建設はこの地域の100年の計に関わると考えています。とりだい病院は外来患者数は1日あたり約1600人、入院患者数は約550人。職員は約2200人、加えて1000人以上の鳥取大学の学生、病院一帯にデイタイムでおよそ5000人の人間が集まっています。この地域最大の企業であり、最も人が集まる場所なんです。だからこそ、単なる医療機関以上の責任があると考えています。もう一歩、我々が踏み込むとすればどのような機能を新病院に付加すべきでしょうか。

竹山 よく言われていることかもしれませんが、学び、教育でしょうね。生産施設として工場などを誘致するのも大切です。しかし、最終的には人材がどれだけこの地に残るか。あるいは戻ってくる、移り住んでくるか。そのときに一番関心があるのは子どもの教育。もっと大きなレベルで言えば、人生全体での学びの環境を提供する。

武中 人は知的好奇心を刺激する場所に自然と集まる。

竹山 ぼくは新宿と浅草の仏教寺院の設計もしています。住職の方にこう言われたんです。みなさんはお寺というのは葬式しか縁がないと思っていますが、昔はコンサートホールであり美術館であり学校であり病院であったんです、近代国家になりそうした機能が引き剥がされてしまったんですと。

武中 考えてみれば、かつて子どもは寺子屋で勉強していました。大人も説法で情報を得て、仏像や絵といった美に触れていた。

竹山 かつてお寺が果たしてきた役割を医療機関が担ってもいいのではないでしょうか。優秀な医療従事者は自分の専門分野で地域に貢献するだけでなく、その知見を還元できるはず。

武中 竹山さんと話をしていると新病院が楽しみになってきました。今後も是非、いろんな意見をお聞かせください!




武中 篤 鳥取大学医学部附属病院長
1961年兵庫県出身。山口大学医学部卒業。神戸大学院研究科(外科系、泌尿器科学専攻)修了。医学博士。神戸大学医学部附属病院、川崎医科大学医学部、米国コーネル大学医学部客員教授などを経て、2010年鳥取大学医学部腎泌尿器科学分野教授。2017年副病院長。低侵外科センター長、新規医療研究推進センター長、広報・企画戦略センター長、がんセンター長などを歴任し、2023年から病院長に就任。とりだい病院が住民や職員にとって積極的に誰かに自慢したくなる病院「Our hospital~私たちの病院」の実現に向けて取り組んでいる。

竹山 聖
建築家、京都大学名誉教授。日本建築設計学会会長、東京大学博士(工学)、設計組織アモルフ主宰
1954年大阪府出身。1977年京都大学工学部建築学科卒業、東京大学大学院進学。在学中に「設計組織アモルフ」創設。1997年「京都建築大学ネットワーク」設立。パリ、バレンシア、香港の大学でも教鞭を執る。代表作品は瑠璃光院白蓮華堂、大阪府立北野高校、強羅花壇、べにや無何有ほか。

 

『京大建築 学びの革命』 竹山 聖
出版社:集英社インターナショナル
28年にわたる京大教員時代を振り返り、学生たちとの対話、言葉、出来事、その顛末を記す。建築の驚きと喜びを伝える、建築思考の入門書。

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