カニジルブックレビュー
医療従事者は「話題の本」をこう読む
第一回  『顔のない遭難者たち 地中海に沈む移民・難民の「尊厳」 』
(クリスティーナ・カッターネオ 晶文社)

評者 鳥取大学医学部法医学分野教授 飯野守男

「話題の本」をこう読む
「話題の本」をこう読む



もし航空機事故で妻や夫の行方が分からなくなったら、あるいは沈没した観光船に息子が乗っていたら、あなたはどういう感情を抱くだろうか。たとえ亡くなっていたとしても一刻も早く愛する人を見つけ出して、自分のもとに返してほしい、それが自然な考えである。そして実際世界中の多くの地域でそのためのあらゆる努力がなされる。しかしそれがことアフリカからやってきた移民の乗った難破船のこととなると、イタリアでは誰もが無関心となってしまう。この現状を打破したくて彼らは動いた。

「顔のない遭難者」たち、それはアフリカや中東から夢を見ながら小型船でヨーロッパに渡る途中に地中海で遭難した難民たちのことを指す。イタリアの法医学者クリスティーナ・カッターネオらは、イタリア国内で難民の身元を確認する制度作りに取り組んできた。本書は、実際の事故の生々しさとともにその経緯をつづったノンフィクション作品である。

私自身、法医学の国際団体であるアジア太平洋地区法医学機関会議(APMLA)に立ち上げから関わり、赤十字国際委員会(ICRC)と協力し、本書のカッターネオと同様の活動に従事してきた。

身元確認(医学的には個人識別という)は死因究明とならんで法医学者の重要任務の一つである。事故や災害で犠牲者が出ると法医学者は科学的手法を用いて身元につながる情報を明らかにしていく。対象となる死体は必ずしも五体満足ではなく、腐敗していたり、焼け焦げていたり、白骨化していたり、ときには体の一部だけということもある。

中でも災害犠牲者の身元特定は、国際組織インターポールのDVI(Disaster Victim Identification)ガイドラインに則って行われる。このガイドラインは五つのフェーズに分類されており、法医学者は第1段階「現場で遺体を調べ、記録したのちに収容」に続く、第2段階の「死後情報の収集」を担当する。死者の所持品確認から始まり、顔貌やほくろの位置、手術痕といった身体的特徴、そのほか指紋、歯科治療痕、DNAなどの科学的情報を収集される。

APMLAでは年に一回ICRCと合同で活動報告会を行なっている。今年はベトナム・ハノイで行われ、そのテーマは各国の身元確認事情であった。私は、日本ではDNAサンプルとして死者の足の親指の爪を用いることが多いことや、CT(コンピュータ断層撮影)画像があれば、ごく短時間でスーパーインポーズ(生前・死後のCT画像同士を重ね合わせて身元確認する手法)も可能なこと、あるいは警察官による死者の似顔絵のスケッチがウェブ上に公開されていることなどを報告。質問も多くあり会員の関心の高さを感じた。

インドでは新聞紙上に毎日のように身元不明者の顔写真が掲載され、これが抵抗もなく受け入れられているとのことであった。また韓国では基本的に身元不明死体は存在しないという。その秘密は全国民の指紋登録義務であり、2022年10月に発生した梨泰院の雑踏事故では、法医学者の手を煩わせることなくその日のうちにほぼ全員の身元が明らかになった。一言に身元確認といってもお国柄が表れるものである。

話を本書に戻そう。

イタリアでは2001年以降毎月のように地中海を渡ってくる移民があり、同時に死体として発見される移民も多く年間3000体近くに上るという。しかしそれらの身元を誰も明らかにしようとしてこなかった。少なくとも2013年にエリトリア船がランペドゥーザ島近くで転覆し366体もの死体が発見されるまでは。著者らは法医学者として移民の身元を特定しないことに疑問を持ち、イタリア国内の身元不明者や失踪者情報を扱う政府組織(UCPS)にはたらきかけを続け、ついにこの事故に関してUCPSが中心となって身元特定に動き出すことが決まった。著者らが実行部隊として活動し、移民の遺体とそれを探す家族とをマッチさせ、死者の身元を特定することで助けられる家族がいることを証明し「誰も移民の遺体なんか探していない」というイタリア国民の主張を覆した。

2年後の2015年4月、バルコーネ転覆事故が発生した。バルコーネは移民1000人を詰め込みリビアを出航した後沈没した定員わずか30人の小型船である。過去の身元特定の経験を活かし、著者らは水深400メートルから引き揚げられた船の中から回収される多数の死体の身元特定に挑んでいく。その描写は実にリアルで嗅覚にまで訴えてくるものがある。

これからも世界中で発生する大規模災害や事故であるが、その陰では多くの法医学者が熱意と使命感をもって、残された遺族のために身元確認作業を行なっている。本書からはその思いがにじみ出ている。災害報道に触れる際にはぜひこのことを思い出していただきたい。




飯野守男(いいのもりお)
1971年鳥取県米子市生まれ。解剖学者の父を持ち、中学生の時に法医学者を目指す。鳥取大学医学部卒業、大阪大学大学院で博士号取得。京都大学、大阪大学、慶應義塾大学で勤務後、2015年鳥取大学医学部法医学分野の教授。趣味はサイクリング。