病院長が話題の人物に迫る!
新連載 武に虎
入江聖奈 武中 篤

写真 中村治 構成 カニジル編集部 西村隆平


武に虎 武に虎

新連載、記念すべき第1回目は、武中篤病院長の強い希望で、米子出身の入江聖奈さんが登場。
ボクシング女子競技として日本人初の金メダリストが、
真面目にカエルの勉強をしていることに興味を持ったという病院長。
研究者の道を歩き始めたばかりの入江さんに現在の想いを聞きました。

小学生のときになりたかったのは「薬剤師」

武中 (満面の笑みで)お目にかかることができて光栄です。お恥ずかしい話ですが、オリンピックまで入江さんのことを知らなかった。女子ボクシングの知識もなかったんです。だから1回戦、2回戦は観ていません。準決勝、決勝に進むうちに、米子の人だということで地元がすごく盛り上がってきた。ぼくもこんな人がいたんだって(笑い)。決勝戦で勝った後、リングで跳びはねているのを観て、本当に嬉しかった。

入江 お仕事お忙しい中、観てくださったんですね。ありがとうございます。

武中 金メダルを獲った後、「ヒキガエルと一心同体になりたい」とか「ヒキガエルを理解してあげたい」とかおっしゃっていたじゃないですか? 最初、ギャグで言っているのかなと思っていたんです(笑い)。ところが入江さんのTwitter(X)を見ていると、真面目に勉強している。それでものすごく興味を持ったんです。生まれは、まさにとりだい病院のある米子市ですよね。

入江 はい! 生まれる3日前(2000年10月6日)に鳥取県西部地震があったんです。お母さん曰く、その地震にびっくりして予定日よりも早く出てきたんじゃないかって。

武中 やはり子どもの頃から運動神経は良かったんですか?

入江 (少し首をひねって)走るのは早かったですけれど、運動神経は良かったかどうかは分かりません。原始的な運動は得意でした。

武中 原始的な運動とは?

入江 走るとか投げるとか(笑い)。ちょっと複雑な動きが入るとダメな子でした。普通に元気で、少し気が強い女の子だったんじゃないですかね。

武中 ボクシングを始めたのは小学校2年生のとき。きっかけはなんだったんですか?

入江 小山ゆうさんの漫画『がんばれ元気』を読んでやりたいなって思ったんです。

武中 とりだい病院の隣り、『シュガーナックルボクシングジム』に通われた。病院から中海沿い、湊山公園の小道を歩いていけば着きますね。

入江 えっ、とりだい病院近いんですか! 私、地理に疎いもので……。

武中 ボクシングを始めた頃から、やはり抜きんでていたんですか?

入江 体格が良かったんです。(同年代の)男の子はまだ小っちゃいじゃないですか。体格の差を生かして、まあ、やっつけてましたね(笑い)。

武中 小学生のときの夢はプロボクサーだった?

入江 (大きく首を振って)全然、興味なかったです。漠然とボクシングで世界チャンピオンになりたいという気持ちはありましたが、小学校の卒業式のときは、将来、薬剤師になりたいって言っていましたね。

武中 薬剤師ですか? 誰か、身近に薬剤師の方がいらっしゃったんですか?

入江 『ONE PIECE』に出てくる(トニートニー・)チョッパーっていうキャラクターをご存じですか? トナカイから人間になったという設定で、薬草などを使って、仲間を治療するんです。私もそんな風になってみたいって思ったんです。ただ、調べてみたら、薬剤師になるには大学の薬学部に進んで、6年間も勉強しなければならない。ちょっとそんなに長く勉強するのは無理だなと諦めました。とはいえ、今、大学卒業後、大学院で学んでいるんですが(笑い)。振り返ってみれば、理系科目は苦手だったにもかかわらず、ずっと憧れがありました。



オリンピック後、「プロになる気は一切なかったです」

武中 オリンピックを意識したのは小学6年生のときだったそうですね。

入江 そのとき東京オリンピック開催が決まったんです。自分が大学2年生のときにオリンピックが開催されるんだなと思いました。とはいえ、はっきり道筋が見えたのは高校3年生ぐらいのときですかね。

武中 米子西高校の2年、3年生のとき、全日本女子選手権を連覇しています。64年以来の日本開催の強化選手として期待もかかっていたでしょうね。ボクシングをやめようと思ったことはないんですか?

入江 うーん、何回かはありましたね。高校のとき、人並みの青春をしてみたいって思うじゃないですか(笑い)。取材でメディアの方を前にすると、将来の夢は東京オリンピックで金メダル目指しますって言わなきゃいけない雰囲気になるじゃないですか? そう言っていたので辞められない(笑い)。

武中 有言実行というのもありますよね。言うことで責任を持つ。

入江 はい。口にしたことを後悔していないです。自分で追い込んだのが良かったのかもしれないです。

武中 これまでオリンピックの女子ボクシング競技では金メダルは誰もいませんでした。大会前、金メダルを獲れるという自信はありましたか?

入江 いえいえ(苦笑い)。もちろん出るからには世界一を目指していましたが、組み合わせが発表になったとき、行けても銅メダルかなと思っていた冷静な自分もいました。

武中 トーナメントで反対の〝山〟に台湾の林郁婷さんがいたからですね。彼女は2018年、19年と連続して世界選手権でメダルを獲得していた最強王者。ところが、その林さんが2回戦で敗れた。

入江 そのときにワンチャン(ス)あるかなとは少し思いました。ただ、最後まで金メダルを獲れるという自信はなかったです。

武中 入江さんは鳥取県出身者初の金メダリストでもあります。オリンピックのとき、米子はめちゃくちゃ盛り上がってました。急に友だちや親戚が増えたりしませんでしたか?

入江 (米子に帰ると)みんなにこにこしてくれているという印象はありました。ただ、私、友だちが多い方ではないので、そこは変わらなかったかな。

武中 こうして話していると人見知りするという感じはしないですね。

入江 人見知りはないんですけれど……小学校のときは挨拶して話をすれば友だちでしたよね。でも大人になっていくと友だちのハードルが上がっていきませんか? 私、友だち、両手で収まるぐらいしかいないかも(笑い)。

武中 東京オリンピックは元々2020年に行われる予定でした。それが新型コロナで1年延期。1年間、モチベーションを保つのは大変ではなかったですか?

入江 延期になったので、ちょっと休もうかなと思ったんです。そうしたら、いろんな方に「お前、チャンスだぞ」って言われたのもあって頑張りましたね。

武中 チャンス?

入江 1年間の間に大人の身体になったというか、フィジカルが強くなりました。1年の延期がなかったら、違った結果になったかもしれません。運が良かったんですよ、私。

武中 選手として大きく成長する時期とたまたま重なっていたんですね。東京オリンピックが終わった後、次のオリンピックまで競技を続ける、あるいはプロに転向することは考えませんでしたか?

入江 全くなかったです。(次のオリンピックが開かれる)パリまでやったら、次のロサンゼルスまでやろうとかずるずる現役を続けそうだなというのがありました。大学卒業とともに引退するのがキリがいいかなと。プロになる気は一切なかったです。プロとして観せられるボクシングではないと自分で分かっていたので。



「大学院って本当にいいところだな、って思うんです」

武中 さて、現在、入江さんは東京農工大学の大学院でカエルの研究をされています。カエルとの出会いは米子西高校の2年生のときだったとか。

入江 下校途中に、あじさいの葉っぱにぶつかったんです。そのとき、葉っぱじゃない感覚があった。そうしたら、カエルが葉っぱの上でちょこんとこっちを見ていたんです。そこで一目惚れしてしまった。

武中 今、飼われているのは、南米産のベルツノガエル〝ジャイ子〟ですよね。ジャイ子とは東京のご自宅で一緒に生活しているんですか?

入江 いえ、(日本体育大学の)寮が生き物禁止だったので、(米子在住の)父親に面倒をみてもらっています。私はたまに帰って、可愛いがるだけ。いいとこ取りさせてもらっています(笑い)。

武中 大学卒業後、就職も考えたそうですが、カエルの勉強をしようと大学院進学を決めた。その中で東京農工大学大学院を選んだ理由はなんだったんですか?

入江 カエルの研究ができること、そして東京から離れたくなかったのも大きかったです。指導教官である、岩井紀子先生にお会いしてみたら、人柄がすごく良かったんです。入試科目も含めて、東京農工大学がパーフェクトでした。

武中 大学院の入試は専門科目の他、英語などもありますよね。国際試合経験豊富ですから、元々英語は得意だったんですか?

入江 あー、いやー、国際大会のときは通訳がついていますし、今は(スマートフォンの)翻訳アプリという文明の利器があります! だから普通に勉強しました(笑い)。

武中 カエルの論文は日本語、英語どちらが多いんですか?

入江 英語です。たくさんの論文を読まないと、いい論文を書けないんで頑張っています。大学生時代から比べると少しずつ英語は上手くなりましたけれど、先生や先輩と比べると、全然まだまだだなって思っています。

武中 ぼくたち医学の世界も英語の論文を読むのは必須。専門領域はキーワードというか単語が限られていますからすぐに理解できるようになる。文法とか気にせず、単語をつなげていけば専門家相手なので伝えることもできる。本来、語学とは手段に過ぎない。だから、文法の細かなところなど気にしないでいいと思いますよ。

入江 まずはボキャブラリーを増やさないといけないですね。今はとにかく大学院生活が楽しい。大学時代は、カエルの話をしたら、「あー可愛いね」で終わってしまう。ところが大学院の人たちは、違った角度からカエルの話が始まるんです。それが面白くて仕方がない。大学院って本当にいいところだな、って思うんです。

武中 みんないい意味でのオタクなんでしょうね(笑い)。ところで、入江さんは今後、どのような人生設計を考えていますか?

入江 とりあえずドクターは取るって決めてます。その先はまだ何も考えていません。研究者で行くのか、カエルに関わる仕事に就くのか。

武中 まずは2年間のマスター(修士)課程を修めた上で、3年もしくは4年のドクター(博士)課程に進むということですね。それにはやはり論文を書かねばならない。入江さんのようにボクシングという競技を究めた人におこがましいんですが、研究者の先輩として一つアドバイスさせてください。いい論文とは、ノイエス(ドイツ語で新しい発見)が含まれていることです。研究とは、仮説と実証。

入江 今、研究計画立てなきゃいけないので、うんうんうなりながら仮説を考えています。

武中 先行研究、類似研究の論文を読んで仮説を立て、実際に調査をしてみると仮説と合わないことが出てくる。結果が出なかったとがっかりして諦めてすべてを捨ててしまう。ところが、科学においては先行研究がそもそも間違っている場合がある。先行研究を塗り替えるような論文が一番評価が高いんです。大切なのは(仮説と違う)ネガティブなデータを捨てないこと、簡単に諦めないこと。

入江 私、小学2年生からボクシングを始めて14年やって芽が出て、金メダルが獲れたと考えているんです。研究にもそれぐらい時間がかかると覚悟しています。

武中 いい論文を一つ書けば、世界中の研究者が評価して、環境が一変します。金メダルと同じでしょうね。オリジナルな入江理論を楽しみにしてますね。

入江 先生、ありがとうございます(笑い)。頑張ります!




入江聖奈 東京オリンピック女子ボクシング金メダリスト
2000年鳥取県米子市出身。鳥取県立米子西高校卒業。日本体育大学在学中の2021年東京オリンピックボクシング女子フェザー級で日本人初となる金メダルを獲得。試合の戦略をすべて「カエル」で例えたことからメディアでも大きく取り上げられ、「カエル愛」が流行語大賞にノミネート。2022年11月で競技を引退し、日本体育大学卒業後は大好きなカエル研究の道へ。2023年4月より東京農工大学の大学院修士へ進学。

武中 篤 鳥取大学医学部附属病院長
1961年兵庫県出身。山口大学医学部卒業。神戸大学院研究科(外科系、泌尿器科学専攻)修了。医学博士。神戸大学医学部附属病院、川崎医科大学医学部、米国コーネル大学医学部客員教授などを経て、2010年鳥取大学医学部腎泌尿器科学分野教授に就任。2013年~2017年に低侵襲外科センター長、2017年副病院長を併任。2023年4月より鳥取大学医学部附属病院長に就任。「人から求められる医療人になる」ことを目標に、とりだい病院が〝地域と歩む高度医療の実践〟の場となれるよう邁進している。