鳥大の人々
忠田 知亜紀 鳥取大学医学部附属病院 高度救命救急センター 看護師長
自分がやっていることが本当に正しいのか
悩みながら常に前を向き、
命と向き合うフライトナース

写真・中村 治


とりだい病院の屋上、中海を遠くに望む場所に鳥取県ドクターヘリ 「おしどり」の発着場所、ヘリポートがある。
ドクターヘリの出動範囲は、米子を中心に、鳥取県全域、兵庫県、岡山県、広島県にまでおよぶ。
ヘリに乗りこむのは操縦士を除けば、ドクターと看護師――フライトナースの2人のみ。
生死に関わる状態の患者に2人で対応しなければならない。
瞬時の判断が要求される、フライトナース担当の日は心身ともにすり減る、と忠田は言う。


鳥大の人々

忠田知亜紀が鳥取大学医学部附属病院に2018年3月からドクターヘリが導入されると聞いたのは、その半年ほど前だったと記憶している。救命救急センターの看護師長だった森輝美がドクターヘリに乗るメンバー――フライトナースを決めると言い出したのだ。

ドクターヘリとは、医師、看護師を乗せて救急現場に赴くヘリコプターの意である。機内には、治療機器、医薬品を搭載しており、患者を処置しながら医療機関へ搬送することが可能だ。ドクターヘリは和製英語であり、英語での正式名称は『Air Ambulance』、『HEMS』(Helicopter Emergency Medical Service)となる。

森が指名したフライトナースの中に自分の名前があった。その瞬間、「えっ、私でいいの?」と思わず心の中で叫んだ。ドクターヘリに乗ってみたいという願望はあった。ただ、すでに管理職である副師長となっていた。現場で主となる看護師が選ばれるのだろうと思っていたのだ。

まずは帰宅して夫にフライトナースをやりたいと切り出した。

「やりたいんだったらやったら、と言われました」

日本におけるドクターヘリの事故件数は未だに零である。ただ、視界不良、天候により、墜落の可能性はありうる。家族の承諾は不可欠だった。死んだら死んだときだと冗談っぽく返されたことで気が楽になった。

日本航空医療学会のフライトナース委員会では、フライトナースとなる3つの選考基準を定めている。〈看護師経験5年以上、救急看護師経験3年以上または同等の能力があること〉、ACLS(二次心肺蘇生法)――心肺停止やその他の心血管エマージェンシーの処置を指揮できる資格を所有し、JPTEC(病院前外傷教育プログラム)と同等の知識・技術を有していること。そして、日本航空医療学会が主催するドクターヘリ教習を受講していることだ。

神戸市のヒラタ学園で行われた教習で初めてドクターヘリを間近で見た忠田は、思わず「わっ、格好いい」と声を出した。

「機体の構造、パイロットの役割、安全管理などを学びました。何かあったとき、救命胴衣を着て脱出しないといけないので機体の構造を知っておかないといけないんです」

そのとき、もし海に落ちたらどうしようと少し怖くなった。自分が泳げないことを思い出したのだ。

そして3月26日に山陰地方で初めてのドクターヘリ運航が始まった。ドクターヘリの勤務に就くのは、フライトナース委員会の選考基準に加えて、とりだい病院独自の基準を満たしたフライトナース8人、ドクター4人のみ、だ。基本的には1人の医師、看護師がその日を担当。1日に複数回出動する日もあれば、全く飛ばない日もある。運航初日にヘリに乗ったのは、他病院でフライトナースの経験があった看護師だった。その日、すぐに出動要請が入り、自分でなくてよかったとほっとしましたと忠田はくすりとした。



飛び立って初めて、
行き先と患者情報を知らされる

忠田が初めてドクターヘリに乗った日の記憶は朧気だ。ヒラタ学園での教習では実際にヘリコプターに乗ることはなかった。出動が初めてのヘリコプター搭乗だった。

「(同行した)ドクターが誰だったかも覚えていないです。とにかく1例目の後、ぐったりしていましたね。それから約3年間、フライトナースとしてヘリに乗りましたが、ヘリの日はものすごく疲れます」

心身ともにすり減るのは、いくつか理由がある。緊急を要する現場では、医師と2人ですべてを引き受けなければならない。患者の状態がどのようなものか、情報が限られている。そのため、少しの迷い、判断ミスが患者の身体にダメージを与えてしまう。

当番の日、フライトナースはとりだい病院2階の救命病棟、救命外来で他の看護師に交じって仕事をしている。乗り物酔いしやすい忠田は、食事は軽めにして朝からあらかじめ酔い止めを服用する。乗り物酔いをしやすいフライトナース同士で、効き目があり、眠気が少ない酔い止めの情報を共有するようになった。前日の食事は生ものなど腹痛につながりやすいものは避ける。

日々の節制も必要だ。ヘリコプターには最小限の燃料しか積まない。そのため、申告した体重より下を保たねばならない。とりだい病院のフライトナースの選考基準には〈看護師として自律〉した行動が取れることという項目が含まれている。

病院内のCS(Communication Specialist)室に出動要請が入ると、救命センターの病棟と外来だけにアナウンスが流れる。

――コード・ブルー、エンジン、スタート。

直後、PHS受信機が鳴り、「忠田、了解です」と応じ、1階の救命救急外来に走るのだ。金庫に保管されている医療用麻薬をウエストポーチに入れ、薬剤の入った鞄を手にして、エレベーターで屋上のヘリポートへ。治療器具などは朝のうちに積載済みである。

ヘリコプターのプロペラによる風圧の中、薬剤の瓶が割れないように気をつけながらヘリコプターまで走る。要請から5分以内の出動が基本だ。

プロペラの爆音の中、会話をするため、機内ではマイクつきのヘッドセットを頭につける。

「飛び立ってから、これからどこに行くのか、患者情報が分かるんです」

鳥取県のドクターヘリ「おしどり」の運航範囲は、鳥取県全域に加えて、兵庫県北西部、島根県東部、隠岐地域、岡山県北部、広島県北東部と広い。到着するまでに、医師とどのように対処するのか打合せをする。症状、どこまで治療するのか、どこに搬送するか。患者の意識はあるのか。搬送先で緊急手術をする場合は同意書の準備も必要となる。意識がない場合は家族と連絡がつくか。滞在時間5分から10分の間にすべてを終えなければならない。ヘリコプターの中で、さまざまな事態を思い巡らせながら現場に向かう。

出動時間は朝8時半から日没まで。太陽が落ちるとヘリコプターの安全が確保できない。そのため、ぎりぎりに出動した場合、ドクター、フライトナース、治療用具一式を現地に置いて、ヘリコプターだけ戻ることもある。2人は処置が終わった後、可能な限り公共機関を使って、とりだい病院に帰る。

「鳥取市で降ろされて電車で帰ってくることも、山の中で降ろされることもあります」

そのときのために胸のポケットにはいつも1万円札が入っている。そして病院に戻ってから報告書と向き合う。2022年の1年間でドクターヘリの出動は507件。1日あたり1・3件だ。



「先生、降ろしましょう」と
忠田は大声を出した
忠田はある現場での出来事を鮮明に覚えている。

その日、忠田と一緒にヘリコプターに乗ったのは、フライトドクターとして独り立ちして3度目の搭乗となる医師だった。現場では激しい胸の痛みを訴えていた30代の男が待っていた。心筋梗塞の可能性が高い。心筋梗塞とは心臓に血液を送り込む心筋の冠動脈が詰まる症状である。血液が止まれば心筋は壊死し、時に死に直結する。なるべく早い処置が必要だった。

幸い患者は普通に会話ができた。早く病院に搬送すれば大事にならないだろう。そう思ってヘリコプターに乗せた、その瞬間だった。男は突然、激しく嘔吐を始めた。吐瀉物で呼吸が塞がれていた。すぐに気道を確保しなければならないと忠田は慌てた。心臓が止まっているかもしれない。心臓マッサージも必要だろう。揺れるヘリコプターの中でできる処置は限られている。どうしましょうと忠田は医師の顔を見た。彼の顔には困惑の色が浮かんでいた。

「先生、降ろしましょう」

忠田の大きな声で、医師ははっとしたような顔になった。すぐに患者をヘリコプターから降ろし、救急車に運び込んだ。医師は救急隊に口から挿管し、呼吸を確保、心臓マッサージするように命じた。忠田はその間に薬剤を投与。そして、ヘリコプターの吐瀉物を片づけてもらい、再び患者を乗せて飛び立つことになった。

「ヘリで飛べば10分で病院に運ぶことができました。ただ、その10分間で症状が悪化するかもしれない。私とその先生は、このやり方がベストだったと思っています」

とりだい病院ではカテーテル手術の準備が整えられていた。患者はヘリポートからカテーテル室に直行し、命を取り留めたのだ。

命に関わるこの仕事はやり甲斐がある。しかし、自分がやっていることが本当に正しいのか、悩むこともある。

「私たちの患者さんって、急性期なので意識がない方も多い。ダイレクトにありがとうって言ってもらえる機会がほとんどないんです。その後の治療につなげて良かったという達成感もあるんですが、それで本当に良かったのかな、他のフライトナースだったらもっといい処置ができたんじゃないかって思うこともしばしばなんです」

いくら経験を積んでも、自分がやったことのない症状の患者さんに当たったときはもう絶望でしたと、苦笑いした。

「自分がこの仕事に向いているかというと分からない。(救命救急の仕事を)やっていて良かったと心から思う日がいつ来るんだろうって思うことがあります。生涯勉強なんでしょうね。だから楽しいのかもしれませんけど」

2022年秋、忠田は看護師長となり、フライトナースの8人から外れた。救命救急センターに所属する65人の看護師を束ねる彼女が今、注力しているのは、後進の育成である。

救命救急の現場に向いている看護師の資質について訊ねると、コミュニケーション能力と度胸だと忠田は答えた。

「何を言われても大丈夫っていう精神というか、ドクター、(救急隊の)消防の人たちとのやりとりもある。どんな技術を持っていてもコミュニケーションが取れない人は難しい」

フライトナースを志望する看護師は多い。忠田は声を掛けて、その道を示すようにしている。

「管理者の言葉ってすごくスタッフにとっては大事だと言われたことがありました。自分が掛けた言葉一つで、スタッフの気持ちが変わる。(救命救急の)外来であっても、病棟であっても、みなさん家庭を持ちながら激務をこなしている。だから、スタッフのために何かしたい、守りたいという気持ちがすごくある」

救命救急センターは、医師も看護師も大変だけれど、お互い理解して支え合っている、いいところだと思うんですと噛みしめるように言った。

2008年にとりだい病院に入職してから、忠田は救命救急センター一筋である。

「師長になった瞬間から、異動になるカウントダウンが始まったと私は思っているんです。次の師長さんが来たときに困らないような体制を整えなければならない」

なんか寂しいなって思うことがあるんですと付け加えた。

今も忠田はフライトナースとして登録している。不測の事態で人手不足になったときはドクターヘリに乗る覚悟はあるが、その機会は一度も訪れていない。また現場に出たい、ヘリに乗りたいって思うことがときどきあるんですよね、と弾けるように笑った。

鳥大の人々



文・田崎健太
1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て独立。著書に『偶然完全 勝新太郎伝』『球童 伊良部秀輝伝』(ミズノスポーツライター賞優秀賞)『電通とFIFA』『真説・長州力』『真説佐山サトル』『スポーツアイデンティティ』(太田出版)など。小学校3年生から3年間鳥取市に在住。2019年、『カニジル』編集長に就任。2021年、(株)カニジルを立ち上げ、9月からとりだい病院1階で『カニジルブックストア』を運営中(10月リニューアルオープン)。

忠田 知亜紀(ちゅうた ちあき)
東伯郡琴浦町出身。2003年鳥取県済生会看護専門学校卒業。総合病院、整形外科医院での勤務を経て、2008年鳥取大学医学部附属病院に入職。救命救急センターへ配属。2014年日本航空医療学会主催のドクターヘリ講習修了書取得。2018年救命救急センター副看護師長、2022年より看護師長となり、現在もフライトナースに登録する傍ら後進の育成に注力している。