「歯は万病の元」とは聞き古された言い回しである。ただし、科学的根拠があることがはっきりしている。虫歯や歯周病を放置すると、糖尿病や心内膜炎などが悪化し、全身の健康に影響するだけでなく、心臓や肺の周囲に感染が及び、最悪の場合死にいたることもある。
そもそも歯を診察、治療するのは「歯科医」である。それにも関わらずなぜ、とりだい病院に「歯科口腔外科」が存在するのか。
「歯」の治療の最前線を取材した。
とりだい病院歯科口腔外科には、令和5年3月現在、歯科医師15名が所属しており、歯に関わる疾患のみならず口腔、顎、顔面領域全般にわたる、いわゆる「口腔顎顔面外科」を謳っている。
「口腔」とは消化管の入口部分を指す。口腔の前方では唇が外界と接し、後方は咽頭につながっている。この複雑な構造をまず理解する必要がある。
「基本的に地域の歯科医院では扱うのが難しい疾患を治療しています。広い意味では、専門的な検査、手術、入院加療が必要な疾患と言ってもいいかもしれません。例えば、親知らずの抜歯、口腔がん、口唇裂・口蓋裂などですね」
口腔腫瘍(がん)・口唇口蓋裂を専門としている藤井信行助教は、こう話す。
口腔がんは進行すると、多くの場合、顎の下や首のリンパ節に転移する。さらに進行すると肺に転移し全身に広がっていく。適切な処置を施さねば命にも関わる重大な疾患となる。治療の基本は、がんの切除。切除する部位やがんの大きさによっては、再建や移植手術を同時に行うこともある。
「大きな口腔がん手術で、再建が必要な場合、自分たち口腔外科だけで手術をするのではなく、形成外科の先生などと協力して、12時間―それこそ本当に1日がかりの手術になったりもします」
こうした専門的な治療の他、歯科口腔外科では、虫歯治療や義歯の調整など、いわゆる一般歯科治療も行なっている。
「入院患者さんに歯や義歯のトラブルがあるとき、かかりつけの歯科医院を受診することができないので、私たちが治療します。同じように全身的な理由で歯科医院を受診するのが難しい外来患者さんの治療もします」
〝全身的な理由〟には他科との連携が含まれる。そして、歯科口腔外科のもう一つ重要な仕事が、手術の前後に行う周術期口腔機能管理(口腔ケア)である。全身麻酔をする手術においては、誤嚥性肺炎などの術後合併症を予防し、気管挿管の際に歯が抜け落ちてしまうのを防ぐことが重要になる。その重要性は広く周知されており、平成24年度より保険適応となっている。
そこで一番の問題となるのが、歯周病だ。
歯周病とは、歯周病菌が歯茎の炎症を起こし、進行すると歯を支えている骨を溶かす病気である。歯周病の原因となるのは、プラークと呼ばれる細菌の塊で、1mgの中に1億~10億もの細菌が存在する。
「歯周病菌が厄介なのは、菌が血液の中に侵入し、感染を起こすことです(菌血症)。それは抜歯をするときだけでなく、歯磨きでも一過性の菌血症になると言われています。歯周病菌が全身に回り、心臓弁や心内膜に到達すると、感染性心内膜炎を発症します。また、口腔内の汚染が強い状態で気管挿管を行うと、歯周病菌が挿管チューブを伝って気管に入り、誤嚥性肺炎を引き起こすことがあります」
心臓に限らず、あらゆる疾患において、「口腔ケア」は重要な役割を担っている。たとえば食道がんや喉頭がんの手術を行う際に口腔ケアを行うと、術後合併症が少なくなり、退院までの日数も短縮されるというデータがある。
現在では、消化器がんの手術、心臓手術、胸部外科手術をはじめとして、化学療法を行う症例でも口腔ケアが実施されている。一見無関係と思われる整形外科手術(人工股関節置換術など)でも、心臓と同じように口腔ケアを実施している。
そして、歯周病は歯を失う要因ともなる。
歯周病は知らないうちに進行し、気づいた時には重症化していることも多い。そのため、サイレント・ディジーズ(静かなる病気)とも呼ばれる。日本人が歯を失う原因で、40代後半以降で最も多いのが歯周病である。成人の約8割が歯周病にかかっているとも言われ、もはや国民病である。
「歯周病菌は誰もが持っているので、これを完全に除去するというのはなかなか難しい。歯周病はどれか一つの要因というよりは、細菌因子(プラーク、歯周病菌)、宿主因子(年齢、性別、遺伝、全身疾患など)、環境因子(喫煙、ストレス、食生活など)が複雑に絡みあって発症します。例えば、正しいブラッシングで、プラーク・菌の数を減らすことができます。年齢や性別は変えることができませんが、喫煙やストレスなど生活習慣に関わるものは改善の余地があります」
歯周病は、かかってから治療するのではなく、丁寧な歯磨きや定期的な歯科健診で予防することが大事なのだ。
「どのような治療をしても、プラークコントロールができていなかったら、結局は元に戻ってしまいます」
健全な歯でしっかり噛むことによって、脳が刺激されて認知症が予防されるという研究もある。消化において内臓への負担を軽減することは言うまでもない。歯を失うと、全身の健康にさまざまな影響を及ぼす。
「何本失うかで変わってきますが、歯を全て失って総入れ歯になった場合、噛む力(咬合力)は、すべての歯がそろっている場合の4分の1にまで低下すると言われています」
しっかりと噛んで咀嚼すること、味わって美味しく食べること、楽しく笑って会話することなど、歯は「人生の楽しみ」「QOL(クオリティー オブ ライフ)」(生活の質)とも深く関わっている。病気になりにくい状態を保つことで、元気に長生きして充実した人生を送るための第一歩は、歯を大切にすることなのだ。
歯磨きは毎日しっかりしているし、自分はきちんと磨けているから大丈夫と安心している読者も多いだろう。「歯磨きをきちんとできていない人がほとんどです」と首を振るのは、とりだい病院歯科口腔外科の石見香穂歯科衛生士である。
「感覚として磨けた気がしていても、実はブラシの角度が全然合っていない人が多いんです。私が診ている患者さんだけでも、7割8割ぐらいは歯の裏側や歯の間が磨けていない」
石見によると、歯磨きにおいてブラシが適切に当たっていないことが多いという。
イラストのように、まずは正しいブラシの持ち方と当て方を意識する。力加減はあくまでも弱め。そしてしっかりとブラシの毛先を歯に当てることが重要だ。
「歯と歯の間を磨くときは、ブラシを面で押し当ててしまうと毛先が外に広がってしまい隙間まで入っていかないので、歯ブラシを縦に持って、ブラシ全体を使うのではなく毛先の端、1束とか2束を意識して、溝に沿って磨くのがポイントです」
磨き忘れを防ぐためには、自分なりに順番を決めて1本ずつ丁寧に磨いていくといい。時間については、一般的に5分以上はかけるようにとよく言われているが、それを毎食後に必ずやるとなるとなかなか難しい。しかも毎回5分間やっていれば安心かといえばそうではなく、正しく磨けていないと、たとえ30分かけても全く意味のない歯磨きになってしまうと石見は言う。
「無理をすると結局続かないので、患者さんには1日の間に1回、全体をきちんと綺麗にしてくださいと伝えています」
自分の生活スタイルに合わせて朝晩だけでもいいし、もし日中忙しくて磨けなかったのなら、夜に5分といわず10分ぐらい時間をかけてしっかり磨くなど、柔軟に考えればいいのだ。
とりだい病院の口腔外科では、なるべく毛先が軟らかく、ヘッドが小さい歯ブラシを推奨している。毛先が硬いと歯茎に磨き傷がついたり、歯茎が下がる原因となる。ヘッドの大きさについては、スムーズに奥歯まで届かせるためには、小ぶりなものの方が適している。
「歯磨き粉は、ケアのメインではないです。歯磨き粉なしでもいいですよとも言います」
つまり、歯に付いているプラーク(歯垢)はかなり吸着力が強いので、ブラシで物理的にこすらねば落ちないものなのだ。歯磨き粉のミント味でスッキリして、磨けていないのに磨けている気になってしまわないように注意が必要だ。
まずはセルフケアがきちんとできることが大切だが、自分だけで完全にケアをするのはなかなか難しい。そのためにもかかりつけの歯科医院をもち、定期的にプロフェッショナルケアを受けることを石見はアドバイスする。
自分自身で落としきれないプラークを取ってもらい、同時に磨き方の指導もしてもらう。それを繰り返しながら最終的にセルフケアを確立していって、口の中の健康な状態をキープできるようになれば、全身の健康を保つことにもつながるのだ。
手のひらでしっかり握ってしまうと、力が入りやすく動きも制限されてしまう。
ペンを持つように指先で軽く持つと、力が入り過ぎず細かく動かせて、磨き残しを防ぐことができる。磨く場所に合わせて、ブラシのハンドルを回して角度を操作する。
歯ブラシを水平に持つと、歯の裏側に毛先が当たらず、磨き残しができてしまう。
ブラシのハンドルを立てるように持ち、つま先の部分を歯の裏側に当てて、細かい動きでブラッシングする。毛先がしっかり当たっているか、鏡を使って確認するとよい。