MEセンター 臨床工学技士
雑賀 真也
臨床工学技士の雑賀真也は、幼いころから本を読むのが好きだった。時間があれば図書館に足を運び、本を読み漁っていた。読む本がなくなれば、他の図書館から取り寄せてもらっていたほどだ。
多くの本を読んできた彼が人生を変えた本として選んだのは、司馬遼太郎著の時代小説『尻啖え孫市』だ。物語の面白さももちろんあるが、選んだ理由は別にある。
雑賀は自分の名字にコンプレックスがあった。
彼の育った、鳥取県西伯郡南部町の集落ではこの「雑賀」という名字が多い。
「近所の人がみんな同じ名字なので、その家が昔、何をしていたかでお互いを呼んでいました。例えばうちはお茶屋さんだったらしくて、ぼくは『茶屋の息子』の雑賀さん。それくらいぼくにとっては珍しくないもなんでもない名字でした」
小学校から中学校へ進学していくにつれ、さまざまな子どもたちとの出会いが増えていく。そこで変わった響きの彼の名字はからかいの対象となった。
「例えば『うるさいが(うるさいなの意味)』みたいに『さいが』を方言の「~が(~だ)」にひっかけてだじゃれのように呼ばれたりしてました。名字って変えようもないものなのにからかわれ、その時はすごく嫌でした。いっときで終わったし、その後は後腐れなくみんなと仲良く過ごしましたが」
それが変わったのは高校生の頃だった。
親と名字の由来についての話をしたことがある。その中で「雑賀孫市っていう実在の人物がいて、本にもなっている」と教えてもらったのだ。その本こそ、小説『尻啖え孫市』だった。
『尻啖え孫市』は紀州の鉄砲集団「雑賀党」を率いた主人公 雑賀孫市の活躍を描いた時代小説だ。底抜けに明るく、無邪気で女好き。束縛を嫌い自由に生きた孫市は、物語の中で非常に魅力的な人物として描かれている。浄土真宗の一本山本願寺と織田信長が対立した際には、本願寺勢力に味方し、織田信長を苦しめた。タイトルは孫市の口癖「我が尻啖え」からきている。現代ならば“お尻、ぺんぺん”という表現になるだろうか。
「なんてかっこいいんだ、と。男気もあって、いち田舎侍が天下の織田信長に立ち向かって負けなかった。こんなヒーローみたいな人が自分のルーツの中にいることが嬉しかった。うちは直系かどうかわからないけれど、「雑賀」に対して持っていたイメージが大きく変わりました。名前に対しての気持ちがすごく誇らしいものに変わりました」
それまではなんでこんな名字なんだよ、って思ってましたと笑う。
「今では実はこういうルーツがあるんだよって自慢できるぐらいの気持ちになりました。それこそ人生が変わったというか」
孫市を知るまでは興味がなかったが、小説の舞台である紀州和歌山にも憧れを抱くようになった。いつか行ってみたいという思いを、大人になってから旅行で足を運び実現したという。
「見る景色、見る景色が感慨深かったです。もしかしたら孫市が見た景色なのかなって」
一冊の本により、自分の名字への誇りを取り戻し、ルーツに興味を持つようになった。こんな本との出会いもいい。