病院長が時代のキーパーソンに突撃!
対談連載「たすくのタスク」
君ヶ濱親方

撮影 中村 治 構成 奥田 緑、カニジル編集部


たすくのタスク

病院長退任に伴い「たすくのタスク」は今号が最終回。
掉尾を飾るのは隠岐の島町出身の元力士、君ヶ濱親方(元 隠岐の海)です。
実は相撲好きの病院長。地元力士である隠岐の海の応援には熱が入ったそうです。
「相撲」という日本の伝統文化を継承していく君ヶ濱親方と、医療の提供だけでなく、
芸術や文化発信にも挑戦するとりだい病院。
ともに郷土や伝統を大切に思うお二人に語り合っていただきました。

隠岐の古典相撲は
相撲の原点

原田 君ヶ濱親方、まずは現役生活、お疲れ様でした。隠岐の海として幕内に上がった頃から注目していて、東京出張のとき、何回か両国国技館まで観に行ったことがあります。

君ヶ濱 ほんとうですか。ありがとうございます。

原田 最初の方はぱっと行けば入場券を買うことができたんですが、そのうち相撲ブーム、特に女性の相撲好きが増えて、なかなか入れなくなってしまいました。親方はイケメンだからすごい人気でしたよね。

君ヶ濱 (笑いながら首をふって)いえいえ。過去の栄光ですよ。

原田 親方は身長189センチと体格に恵まれています。出身地の隠岐の島には親方のような大きな方は多いんですか?

君ヶ濱 そうじゃないです。ぼくは大きな方ですね。小学校6年生のときには170センチありました。

原田 では当然、学年では一番大きい?

君ヶ濱 ええ。ただ2クラスしかありませんでしたけれど。小学校から中学校までずっと2クラス(笑い)。

原田 ぼくが親しくさせてもらっている映画監督の錦織良成さんの『渾身』という隠岐の島の伝統行事である古典相撲を取り上げた映画作品があります。

君ヶ濱 私も少しだけ出演させていただいています(笑い)。

原田 知ってます(笑い)。隠岐は古くから相撲が盛んな地方でした。隠岐の古典相撲は相撲の原点とされています。映画で集落に稽古場があり大人から子どもまで集まっているという場面がありました。親方もああいった雰囲気の中で育ったんでしょうか。

君ヶ濱 もしかしてあの雰囲気を知る最後の世代かもしれません。兄貴たちが柔道、バスケット、相撲をしており、身近に相撲がありました。本格的に始めたのは小学校4年生のとき。ぼく自身は相撲はあまりやりたくなかったんです。相撲(の稽古)って痛いじゃないですか(笑い)。ただ、島では相撲の人気はありましたね。女の子たちもバスケットより、相撲(をやっている人)の方が格好いいって言ってました。

原田 古典相撲は定期的に行われるのではなく、祝い事などがあるとき開催されるんですよね。

君ヶ濱 はい、ぼくは2回出ましたね。

原田 普通の大相撲との違いはありますか?

君ヶ濱 まずは、塩がたくさん撒かれること。

原田 なるほど『渾身』でも土俵際にいる人たちも力士めがけて大量の塩を投げていましたね。

君ヶ濱 土俵に立っていただくと分かるんですが、塩ってものすごく滑るんです(笑い)。二つ目は2番とるんですが、最初に勝った力士は2回目の対戦で勝ちを譲らなければならない。

原田 島内で勝った負けたでしこりを残さないためですね。いわゆる人情相撲。そんな中、親方は中学校時代にも全国大会に出場、隠岐水産高校でも3年連続でインターハイに出場しています。この時点で大相撲に入るつもりはなかったんですか?

君ヶ濱 (大きく首を振って)相撲は高校で終えるつもりでした。島で育ったので、隠岐の島と本土をつなぐ仕事に就きたいと考えていました。漠然と将来は自分で船を持って何かしたいと考えていましたね。

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