鳥取大学医学科生=医師のたまご 略して とりたまに訊け!

取材・文 井野寿音
写真 中村 治


とりたまに訊け!

鳥取大学医学部医学科5年生の柳江健治は、少々変わった経歴の持ち主である。

岐阜県の高校から名古屋大学経済学部に進学。銀行に4年間勤務した後、公認会計士を目指して銀行を辞めた。アルバイトをしながら公認会計士の資格を目指して勉強したが、合格後の就職は年齢的に厳しいと知り、資格取得は断念。そして居酒屋で契約社員の店長として働いていたとき、医師を志した。30代半ばのことだった。

「今までは自分のためだけに楽に生きてきたから、少しは世の中のためになるようなことをしたいと思ったのがきっかけです」

勉強時間を捻出するため、居酒屋の店長を辞めて、工場のライン工やリゾートホテルのウェイターとして住み込みで働いた。そこでは派遣会社の名前で、あるいは「眼鏡」と呼ばれて悔しい思いをしたこともあった。

実力主義であるはずの受験でも「年齢差別」があった。ある大学の医学部では不合格の後、開示を求めると年齢で大量に点数を引かれていた。また、「あなたのような年齢の人で未だに受験なんてご両親は泣いていませんか、医師として育てるのは税金の無駄だ」と面接で言われたこともあった。

同じように社会人を経て医学科に入学した知人が在籍していたことから鳥取大学を受験。鳥取とは縁もゆかりもなかった。それでもなんとか合格。

しかし——。医学部に入ってからも苦労の連続である。

「同級生がすぐに習得できる手技を、何回見せてもらっても同じようにはできない。その分、朝早く行ったり居残りをして、人の2倍練習しています」

将来は内科系か精神科に進むことを考えている。

「医者の世界では定年はあってないようなもの。一生医師として働くつもりです」と明るく笑う。その笑顔からは回り道をした人間にしかない優しさが確かに感じられた。

医学部医学科5年 柳江健治さん