境港在住、駆けだし小説家の独り言 ふみ日記 第四回 〝脇道〟の景色もまた楽し


ふみ日記


昨年夏、米子北高校で開催された読書会に、講師としてお招きいただいた。その際、参加した生徒の方に前もってアンケートに答えてもらったところ、「今一番関心があること」という質問に対し、「自分の進路」という回答があった。

進路。そりゃあ気になるよな~と頷きつつ、自身の高校時代を思い出した。ちょうど、今から10年前の話だ。

当時、私はとある国立大を志望していた。いい大学だと、かねてから聞いていたし、オープンキャンパスに行って、その街のゆったりした雰囲気も気に入っていた。関心のある分野(日本古典文学)をしっかり学べるカリキュラムも、大変魅力的だった。

だが肝心の成績は振るわず、模試では、DもしくはE判定を連発していた。ちなみにD判定は合格率30%、E判定は20%以下である。

こんな成績では受かりっこない。でも、志望校は変えたくない。

正直、何度も葛藤した。悩んで悩んで、勉強が手につかなくなりそうだった(本末転倒である!)。そんなときは決まって、先輩たちの合格体験記を読むことにしていた。

進路の手引書や、受験専門誌に載っていたそれらは、「合格」体験記と銘打っているだけあって、素晴らしい成功例が揃っていた。中には、1ヶ月で偏差値を10も20もアップさせたり、E判定から見事合格を決めたりと、大逆転を果たしている方もいた。そうした成功談を読んで「よし、私も」とやる気になったことは、言うまでもない。

その後も時々心が折れそうになったけれど、毎日必死で勉強し、センター試験当日を迎えた。毎年同じ場所で実施されているのでご存じの方も多いと思うが、会場はここ、鳥取大学の米子キャンパスだった。

当然のことながら、普段受けている模試とは、全く雰囲気が違った。だだっ広い試験場には大勢の受験者が詰め込まれ、尋常でないほどの緊張感が漂っていた。その空気に、私は完全に呑まれてしまった。早い話が、散々な出来だったのだ。

特に、数ⅠAがひどかった。ただでさえ数学が苦手なのに、今まで解いたことのないような問題が出され、頭の中が真っ白になった。結果、自己最低点を叩き出してしまった。(50点満点ならよかったのにと思うような点だった)その他の科目でも、案の定、終始慌てふためいていた。自己採点するまでもなく、志望校の合格ラインに届いていないことは明白だった。帰宅するやいなや、こう泣き叫んだことを、今でもはっきり覚えている。

「こんなんじゃ、どの大学にも行けないよ!」

それだけ大騒ぎしておきながら、どうしても諦めきれず、結局は第一志望の大学を受験した。もちろん、合格体験記のような展開にはならなかった。

だが、思わぬ縁もあった。併願していた私立大学が、たまたま拾ってくれたのだ。そうして私は、生まれ育った鳥取を離れ、京都で4年間学ぶことになった。

「自分のしたい勉強は、第一志望でなきゃできない!」と思い込んでいたが、いざ進学してみると、そうでもなかったことが判明した。むしろ、日本古典文学に関しては、志望校よりカリキュラムが充実しているくらいだった。(何と言っても『枕草子』や『源氏物語』など、日本文学史に燦然と輝く作品が数多く生まれている地だ。図書館には膨大な量の資料が揃っていたし、学べる分野も細かく分かれていた)

そればかりか、大きな転機も訪れた。大学3年生の夏、文章表現を学ぶ授業を受けたことがきっかけで、小説のほんとうの面白さに気づき、作家を目指すようになったのだ。

もしあの授業を受けていなければ、もし奇跡を起こして第一志望に合格していたら、今頃作家にはなっていなかったかもしれない。無論、病院内にある書店の店長になることもなかっただろう。どちらも、「第一志望でなければだめだ」と足掻いていた頃には、とても想像できなかった未来だ。

合格体験記を書いた先輩方は、きっと大変な努力を重ね、自らの夢を叶えたのだろう。それは非常に素晴らしいことだし、爪の垢を煎じて飲ませてほしいとすら思う。

だけど、望んだ通りの道が最善だとは限らない。最初は目もくれなかった脇道にも、案外楽しい景色が広がっているかもしれない。

不合格者の声なんて、縁起でもないから受験生には読ませられないけれど、このコラムでならいいだろう。受験生のみんな、どうか気負わずに試験に臨んでほしい。そして進路に悩んでいたあの生徒さんも、「これでよかった」と、心の底から思える選択ができますように。



ふみ日記

鈴村 ふみ
1995年、鳥取県米子市生まれ。立命館大学文学部卒業。第33回小説すばる新人賞受賞作「櫓太鼓がきこえる」(集英社)でデビュー。小説家であり、とりだい病院1階のカニジルブックストア店長。