新人賞を受賞してから、もうすぐ2年になる。その間に私が発表したのは、受賞作の単行本、エッセイ数本、新作の短編が1本。それに対し、ほぼ同時期にデビューした方はすでに数冊、単行本を上梓している。
なぜこれほど差がついているのか。その方の刊行ペースが早いのは言うまでもないが、私の筆が異常に遅いのも、大きな要因の一つだろう。ちなみにどのくらい遅いかというと、たった一行を完成させるのに、平気で数十分はかかるほどだ。まったく何も浮かばないと言うよりは、書いては消し書いては消しを、延々と繰り返している。その結果、下手したら数十分どころか、翌日に持ち越すことさえある。
受賞当時は、まさかここまで書けないなんて思っていなかった。不遜にも、面白い小説を次々生み出す自分を想像していたし、インタビューでもそのように答えていた。
それだけ大見得を切っていたから、1年目はとにかく現実に打ちのめされていた。「もう新作を出せないのでは」と不安になったことは数知れない。だがある一冊の絵本が、弱気になった自分を支えてくれた。
その絵本は、福音館書店刊の『まほうつかいのでし』だ。(残念ながら現在は入手困難)
ゲーテの詩および同名の交響曲が基となっており、ディズニー映画「ファンタジア」の中の一編としても知られる。有名な話なのであらすじをご存じの方も多いと思うが、念のため紹介しておく。
ある日魔法使いの弟子は、先生から留守番と水汲みの仕事を言いつけられる。日頃から魔法を試したくてうずうずしていた弟子は、呪文を唱え、ほうきに水汲みを代行させる。ところが弟子は、止める魔法までは知らなかった。当てずっぽうで呪文を唱えてみても効果はなく、たちまち屋敷は水浸しに。苦肉の策でほうきを叩き割ると、1本だったほうきが2本になり、ますます水の量が増えていく。もはや洪水のようになり、もうだめだと観念した瞬間、先生が帰宅し、魔法で水を止めてくれる。その後弟子は、先生にこっぴどく叱られるのであった。(私が読んだものは先生が魔法をかける場面で終わるが、原典では叱られるまでがセットらしい)
最初にこの絵本を読んだのは、たしか5歳くらいのときだ。当時は「できもしないことをするから、痛い目に遭うのは当然だ」とか、冷めた感想しか抱いていなかった。けれど大人になってから――特に、筆が止まって苦しんでいたときに読むと、全然違った。つい、この弟子と自分を重ね合わせてしまったのだ。
洪水で困っている弟子に、創造力が枯渇している自分を投影させるなんて、ちゃんちゃらおかしいかもしれない。だが、特別な力を手に入れたつもりになっている点は、弟子も私もよく似ている。実際は大した力などなく、うろたえる点も。
先生に魔法をかけてもらった瞬間、弟子はいったい何を思ったのだろう。
改めて絵本を読み返すと、彼は、驚いたような、ほっとしたような顔をしていた。
大洪水が一瞬で止まったのだから、驚嘆するのも無理はない。不測の事態に肝を冷やしっぱなしだったから、安堵するのも当然だ。でも「ああよかった、さすがは先生だ」で終わらせてよいのだろうか。
それから弟子がどうなったかは、ゲーテの詩にも絵本にも描かれていない。だが、真面目に修行に取り組むようになったのではないかと、私は思う。あざやかな魔法を目の当たりにし、彼は今まで以上に先生を尊敬したはずだ。先生のような立派な魔法使いになるために、その後は必死で呪文を覚えたり、きちんと言いつけを守ったりしたのだろう。
洪水を止めることはできないが小説家にも、魔法使いみたいな人はたくさんいる。そのような方々は、一日に何十枚も原稿を書けたり、読者の心を掴んで離さないような、すてきな物語を紡げたりするらしい。なんとも羨ましい、夢みたいな能力だ。
だが現実には、魔法使いなど存在しない。次々と本を刊行される方、傑作を世に送り出している方々もきっと、試行錯誤を繰り返し、やっと魔法のような力を手に入れたのだろう。作中に描かれていないだけで、あの魔法使いの先生も、若い頃はたくさん失敗したかもしれない。
作家生活3年目に突入しても、私はそう簡単に変われないだろう。この原稿だって、何度も何度も立ち止まって書いている。今手をつけている短編も、いつまで経っても終わりが見えない。けれど、「自分にはできない」と悲観するのはもうやめた。「魔法」が使えないなら、使えるようになるまでひたすら、修行を積んでいけばいい。
それが1、2年なのか、あるいはもっとかかるのかはわからない。だけどいつか、みなさんに「魔法」をお見せできるその日まで、書いて書いて、書き続けたい。
鈴村 ふみ
1995年、鳥取県米子市生まれ。立命館大学文学部卒業。第33回小説すばる新人賞受賞作「櫓太鼓がきこえる」(集英社)でデビュー。小説家であり、とりだい病院1階のカニジルブックストア店長。