誰にも平等に訪れる「死」。しかし、その時をどう迎えるのか、われわれは誰も予想できない。
大多数のひとは何らかの病気を患い、病院や自宅で医師に看取られながら命を終える。
それがいわゆる「ふつうの死」だ。すべての死のうち、およそ90%が「ふつうの死」といわれる。
それ以外の10%はアンナチュラルな死、つまり「異状死」なのだ。
この異状死の死因を医学的に究明し、法的判断の根拠として提供する法医学者の横顔、仕事、思いに迫る。
2020年の統計によると、日本国内の死亡者およそ138万人のうち約17万人が異状死である。異状死には、事件や事故で命を落とす、または自ら命の幕をひいた死もこの中に含まれる。
「異状死は無数にある。病名がついて、病院あるいは自宅で医師に看取られて亡くなる〝ふつうの死〟ではない死がすべて異状死(アンナチュラル)なんです」
そう説明してくれたのは、鳥取大学医学部法医学分野 教授 飯野守男だ。飯野は、鳥取県内で唯一の法医解剖医である。
法医解剖医とは、捜査機関から運ばれてくる遺体を解剖し、その死因を究明する専門医だ。医師免許を持つが、病気の患者さんを診察、治療することはない。死体を専門に診る医師ということになる。
この法医解剖医は、国内にわずか150人しかいない。
「鳥取県では年間900体くらいの異状死があります。そのうち、われわれが解剖して調べるのは、およそ100体程度」
まず死体を検分するのは、捜査や法医学の特別な研修を受けた検視官である。この検視官が、法医解剖が必要と判断したときに、飯野のもとに遺体が運ばれてくる。
法医解剖は2種類。一つは、刑事訴訟法に基づく「司法解剖」だ。事件性が疑われる場合に死因などを究明するために行なわれる。つまりは、裁判の証拠集めだ。例えば、刺殺事件において、加害者の供述どおり、凶器で刺して死に至ったのかどうかという因果関係を客観的に証明するのだ。
もう一つは、2013年に制定された「死因身元調査法」に基づく解剖だ。呼称は都道府県によって「調査法解剖」「新法解剖」など、さまざまだという。これは、これまで「ふつうの死」として扱われていたもののなかに、自殺にみせかけた他殺など、事件の見落としが多くあったため、新たにうまれた法律だ。
この法律が制定されるきっかけの一つになったのが、2007年に起きた「時津風部屋力士暴行死事件」だ。救急搬送された病院で急性心不全と診断されたが、遺体に残された外傷などから不審に思った両親が地元の大学に解剖を依頼したことで、暴行により死に至ったことが発覚した。
このように、犯罪による死かどうか分からない場合でも、裁判所の令状や遺族の承諾なしに警察署長の権限で死体を解剖できるようになった。
では実際に法医学者はどのように死体を診るのか。飯野教授の記憶に残る死を振り返ってもらおう。
20年近く前のこと。当時16歳の男子高校生が部活中に倒れて亡くなった。当時はAED(自動体外式除細動器)もなく、救急搬送された先で死亡と診断された。通常、こういう事例は解剖に回らないのだが、両親が解剖を希望した。なぜなら、亡くなった男子高校生には一卵性双生児の弟がおり、もしも、何か先天的な病気が原因であったなら、弟もそうなる可能性があることが危惧されたからだった。
遺族の承諾を取って行う承諾解剖(当時)というかたちで、解剖を行った。すると、心臓に奇形が見つかり、運動することで血流が悪くなることが判明した。その結果を受け、弟もすぐに循環器内科で調べたが、幸いなことに、弟には同じ奇形は見つからなかった。
後日、ご両親から「弟は、お陰様で元気に生活しています」とお礼状が届いた。後にもさきにも、飯野が遺族からお礼状をもらったのはこの時だけである。
車にはねられた人が入院し、警察は病状の把握と本人から事故の状況を訊くために何度も病院に掛け合ったが「治療中だから」と面会を断わられた。しばらくしたら、突然「あの人、死にそうです」と病院から警察に連絡があり、その翌日に亡くなってしまった。遺体を解剖すると、事故による骨盤骨折があり、入院中は見落とされていたが、折れた骨が腸に刺さっていたのだった。治療を開始した当初は絶食だったため、体調に変化はなかった。しかし経過が良くなり、食事を開始すると、穴の開いた腸から消化した食物が漏れ、感染症を起こしてしまったのだ。CTで見てもなかなか気付きにくい症例だった。交通事故を起こした加害者の罪は傷害罪から業務上過失致死となってしまった。
法医学者は時に仲間である医師のミスを指摘しなければならないこともある。その責任の重さに報酬は釣り合ってないように感じる。鑑定報酬は国費で賄われ、全国一律で項目によりすべて細かく規定されている。例えば、解剖謝金の場合、鑑定医が教授だと1時間9,360円。
彼らの拠り所は犯罪を見逃さないという正義感、そして医療者、科学者として何が正しいかを検証するという使命である。
夫婦と20代の娘さんの3人家族が住む家で火災が起きた。1階で趣味のオートバイいじりをしていた父親がうっかりガソリンをこぼし、そこに引火したのだ。父親は逃げて助かったが、家の中にいた奥さんと娘は間に合わず亡くなってしまった。1人は玄関先で発見され、もう1人は3階の娘さんの部屋で発見された。警察の所見では、火災発生時にキッチンにいた奥さんが玄関先で、娘さんは3階の自室で亡くなったのだろうということだった。しかし、解剖を開始する前に法歯学者(藤本秀子歯科医師/現鳥取大学特任准教授)が「これは違う」と指摘。遺体の歯を見た瞬間に20代と50代が入れ替わっていることが分かったのだ。解剖をすすめると、藤本の指摘通り、玄関先の遺体が娘さんで、3階で発見された遺体が母親だと判明した。
父親の話では、娘さんはもう間もなく結婚予定で、自室に結婚資金を置いていたのだという。おそらく、母親が娘を先に逃がし、お金を取りに3階に行ったのではないかと推測された。
ホームレスの男性を利用した保険金殺人が10年以上前に大阪で起こった。犯行グループはあるホームレスの男性を誘い、養子縁組したうえで多額の生命保険を掛けた。その後、事故に見せかけて彼を殺そうと車で轢いたが、いったん命は取り留めた。事故の保険金を手にした後、再び彼を殺し遺体を山に埋めたのだ。殺害から1年経ち被害者の骨だけが見つかった。骨からどう身元を調べようかと考えたときに、以前事故で撮ったCT画像と照合することを思いついた。やってみると、骨にあった特徴も画像でぴったり一致し、ホームレスだった男性だと断定できた。
このような骨や火災現場の真っ黒焦げで身元もわからない遺体の特定には「スーパーインポーズ」という手法が使われる。これはcase4で飯野が編み出したものだ。現在では5分程度で解析。世界中で活用されている。
飯野には、相棒とも相談相手ともいえる人物がいる。法医学分野 准教授 中留真人だ。大阪大学で大学院生だった飯野の指導担当をしていたという中留は、法歯学者で、歯学の立場から法医解剖に立ち会う。2011年の東日本大震災で国内から多くの歯科医が集められ、「歯」が個人識別に活用されたというニュースをご覧になった方も多いだろう。
藤田保健衛生大学(現藤田医科大学)を経て、長崎大学で研究を続けていた2017年、その頃、既に鳥取大学医学部法医学分野教授となっていた飯野から「こちらに来て、Ai(オートプシー・イメージング)をつかった研究をサポートしてほしい」と声を掛けられ、鳥取に赴いた。
Aiとは、死亡時画像診断のこと。CTやMRIを用いて撮影し、遺体内部の情報を得る。解剖の要否判断や死因究明の精度向上に有用とされる。法医学の最先端ともいわれるオーストラリア・ビクトリア州では、異状死の場合、Aiが解剖前の予備検査として義務付けられている。
飯野は、2008年からおよそ1年間、このビクトリア州のビクトリア法医学研究所の客員研究員として、Aiを活用した死因究明について研究。鳥取大学では2018年にAiを導入した。
中留は、飯野とともに法医解剖をしながら、予防法医学にも力を注いでいる。なかでも自殺を踏みとどまらせる方策がないかと、学生たちとフィールドワークを重ねながら取り組んでいる。
「明らかに自殺と断定されない事例は、死体検案書のなかで“その他”に分類されるんです。年間の自殺者のデータには反映されないので、実際はもっと多いと思います」
都市部と違って高層の建物がない鳥取県では、谷や海にかかった橋からの飛び降り自殺が多い。その場所に容易に登ることのできない柵や看板を取り付けることも効果的だと、自治体などに提言している。
予防法医学で、飯野がここ数年力を注いでいるのは、入浴時の突然死である。
「交通事故で亡くなる人は年々減少していますね。車両に安全装置が付いたり、さまざまな啓発活動も行われている。でも、お風呂で亡くなる人は年間2万人もいて、交通事故での死亡者数をはるかに上回っていることはあまり知られていないんです」
入浴時の突然死といえば、“ヒートショック”を頭に浮かべる人も多いだろう。冬場、暖房の効いた部屋から浴室に行くと寒暖差で血圧が上昇する。そのあと浴槽に入ると今度は急に身体が温まることで血圧が下降する。この急激な血圧の乱高下によって脳卒中や心筋梗塞などの病気が起こるというものだ。
しかし、入浴時の死亡原因で多いのは、実は“熱中症”なのだと飯野は言う。
追い炊き機能付きの温水器が普及し、設定温度を長時間保つことができるようになった。高温設定したお湯に長くつかることで血管が拡がり、血圧が低下する。のぼせていることに気付かないまま、意識がなくなり溺れてしまうのだ。この場合の死因は“溺水”とされる。
お風呂で亡くなった高齢者の画像を参考にと見せてくれた。まさかこの後、死が待ち受けているとは予想もしなかっただろう穏やかな顔がかえって痛々しくも思えた。
「家族が何分かごとに声をかけてあげていたら、温度を少しずつ下げる機能が付いていたら、この人たちは死なずに済んだんです」
そして、昨年からは救命救急センターとの合同カンファレンスを開始した。救急医療の現場では一刻を争いながら治療しなければならない。そこで残念にも亡くなってしまった方を法医学で解剖すると、病気の要因が見つかることもある。それが次の救急医療に繋がるのだ。
命の灯が消えてしまった身体を診る医師は、その死因究明をすることで大きな社会的役割を担っている。一方で、その肩には、医療の未来も担っているのだ。
想いはただ一つ、——防げる死を防ぎたい——。
飯野 守男
1971年鳥取県米子市生まれ。解剖学者の父を持ち、中学生の時に法医学者を目指す。鳥取大学医学部卒業、大阪大学大学院で博士号取得。京都大学、大阪大学、慶應義塾大学で勤務したのち、2015年に母校鳥取大学医学部法医学分野の教授となった。趣味はサイクリング。
中留 真人
1968年広島県呉市生まれ。1985年の日航機123便墜落事故のニュースで身元特定に歯科所見が用いられていることを知り、法歯学者を目指す。広島大学歯学部卒業。大阪大学、藤田保健衛生大学、長崎大学で勤務後、2017年に鳥取大学医学部法医学分野准教授に就任。