病院長が時代のキーパーソンに突撃!
対談連載「たすくのタスク」
作家・画家 大宮エリー

写真・中村 治


たすくのタスク

「患者さんにも職員にもやさしい病院」を目指し、
ホスピタルアートに取り組んでいるとりだい病院。
2022年3月、新たなアートが病院の顔である外来玄関に設置された。
描いたのは、大宮エリーさん。東大薬学部で学び、
一度は医療者を目指した大宮エリーさんが
病院という場で、どういう想いでアートを制作したのかを聞いた。

コロナ禍の
看護師たちとの交流

原田 エリーさんの絵、制作途中から何度も見に来ましたが、本当にいいですね。病院の壁に作品を描くのは初めてだったんですか?

大宮 ええ。ずっと病院やホスピスに絵を描けたらいいなとは思っていたんです。自分の絵で患者さんや医療従事者の方に元気になってもらえたらと。それが鳥取で実現するというのは想定外でした。なぜ鳥取?って(笑)。

原田  このプロジェクトは、昨年10月にエリーさんに病院へ来ていただいたことから始まりました。新型コロナウイルス対策のために、病院関係者は会食を控え、県外への旅行もできなくなったんです。看護部から何かストレスを発散できる院内イベントを開催してほしいという依頼がありました。そこでエリーさんをお呼びすることにしました。

大宮 「笑えるトークショーを」と広報の方に言われたんです。じゃあ、芸人さんに頼んだほうが間違いないですよって答えたんですよね。でもそうじゃなくて、以前、島根のイベントで見たような、インタラクティブにお話しし合うような、ゆるいトークショーっておっしゃるので。そうか実際に、私のイベントをご覧になっていたんだということで引き受けることにしました。

原田 イベントのタイトルは『スナックエリー』。エリーさんがママとなって、いろんな看護師の話を聞くという設定でした。

大宮 病院内だからお酒は出せませんけど、点滴置いておきますって(笑)。制服姿の看護師さんとお医者さんがずらーっと座っている。目の前に原田病院長がでーんと。怖かったです(笑)。

原田 みんなエリーさんに会いたかったみたいで、盛り上がりましたね。印象的だったのが、「コロナ禍になって先が見えない、どうしたらいいですか」って質問に対するエリーさんの答えでした。

大宮 看護師長さんでしたね。えっ、そんなこと私に聞く?って(笑)。困ったなと思ったけど、ふと私から素朴な疑問が。で、逆に質問したんです。「では、コロナになる前は先が見えていたんですか」って。そうしたら、「えっ」ていう顔になって「見えていなかったです」って。だから、こう言ったんです。「ここにいらっしゃる皆さんは先の見えない仕事に好んでついた変態なんだ!」って。

原田 みんな爆笑でした。

大宮 イベントの後、病院長に私の画集をお渡ししたら、パラパラと見て「エリーさん、病院で絵を描いてよ」って。そのときは本当にやるとは思っていなかったんです。東京に戻ってしばらくしたら正式に絵を描いて欲しいという連絡が。えっ、一回打ち合わせさせてくださいって、米子に戻ってきたんですよね。

原田 年明けにお見えになりました。

大宮 色々と考えたんですけれど、大山とか描きましょうかって提案したら、鳥取とかそういうのは頭から外してほしい。病院に関係ない絵にしたいとおっしゃった。

原田 患者さん、ご家族の方たちはとても重い気持ちを抱えて病院におみえになっている。その人たちが、一瞬どこにいるんだろう、ここはどこなんだろうって思うような絵がいいなと思ったんです。エリーさんの作品に、リゾート地の絵がありました。リゾート地、海が見える絵がいいとリクエストしたんです。

大宮 病院にリゾートって不謹慎って言われないかと心配しましたよ。



父親を救いたいという思いで
薬学部へ

原田 エリーさんは東京大学薬学部を卒業。今なされている仕事と全く違いますよね。

大宮 本当にやりたかったのは地球の環境保護、植物の研究者になりたかったんです。そんなとき、病気がちだった父親に発作が起きたんです。救急車で運ばれて、一歩遅かったら死んでいたと言われました。そのとき何もできなかった自分が歯がゆかった。地球を救う前にお父さんを救わなきゃって、進学先を薬学部にしたんです。ところが気持ちは純粋でしたけれど、入学してみたら全く授業についていけない。

原田 医療とは縁があったとも言える。

大宮 (首を振って)私、病院、嫌い。ここで、そんなこと言っちゃいけないか(笑)。でもあんまり好きじゃないのは事実。ちょっと身体の調子が悪いと病院に行く人いるじゃないですか? 私は全然行かない。

原田 病院によく行く人とそうでない人の差が激しいというのはあります。

大宮 小学校のとき母が病気になったんです。そのとき風邪だって言われて寝てればいいって。別の病院で診てもらったら肺炎だと判明したんです。早くわかっていれば重くならずに済んだのですが。それからずいぶん後、母が子宮筋腫になったんです。お医者さんはすぐに手術して切れと言った。ところが別の病院で、切らなくてもいいと薬をもらったら良くなった。

原田 婦人科の医師として答えると、お母様の生理の出血量が多かったんでしょう。年齢、閉経もあって薬でコントロールできるようになった。オペ(手術での切除)、投薬治療、どちらも正解なんです。オペならば一回で終わる。時間を掛けて薬でコントロールしていくか。

大宮 私たちは素人だから。なので、最初から選択肢がわかるといいんですけどね。

原田 今はロボット支援手術や腹腔鏡手術など侵襲の少ない、つまり身体に負担が少ない手術がある。最初の医師は痛みが長く続くので手術という選択をしたと思われます。ただ、大切なのは患者さんの気持ちです。二つの選択肢を患者さんに示して「どうしますか」って言わなきゃいけない。それが今の医療の流れです。

大宮 患者さんが「他の手段」を聞きやすい環境が全国に広がってほしいです。ここ米子から……。

原田 (腕組みして)確かに手術が好きな医者というのもいます。そういう人は手術を勧めがち。本当は、私はこの手術は得意だけれど、薬という選択肢もある。薬の得意な医師を紹介しますという連携があればよかった。自分が得意な治療法に患者を付き合わせてはならないんです。

大宮 エッセーに面白いから書いたんですけれど、体調を崩して病院に行って「私、風邪引いちゃったみたいなんです」と言ったら、「風邪かどうかは医者が決めるんです」とムッとされちゃって。謝りつつ、こんな症状ですが、なんだかわからないんです、って言い直したんです。

原田 (苦笑いして)無駄にプライドが高い医者ですね。

大宮 だからとりだい病院に来て驚いたんです。原田病院長を始め、皆さんが話しやすい。風通しがいい感じがする。

原田 風通しがいいと言われるとすごく嬉しい。我々は常に、医療の安全を担保すること、つまり医療事故を少なくすることを考えています。その一番の策は、風通しを良くすること。みんなが気軽にいろんなことを言えるという雰囲気を作ることがすごく大切。不都合なことがあって隠せば、それが常態化して、医療事故につながる。透明化ですね。



医者は言葉で、画家はアートで、
癒し、力を与える。

原田 ところで、エリーさんって、作家であり脚本家であり映画監督でもある。そのエリーさんはなぜ画家になったんですか?

大宮 東日本大震災前、パルコミュージアムの方から「エリーさん、いろんな仕事していますけど、アートだけはやっていませんよね、展覧会やりましょう」って言われたんです。私、何も作品ありません、って答えたら、「じゃあ作りましょう」という話になった。私は「えーっ」、て(笑)。でも、飛び込んでみようと。震災があって一回流れた。でもまたパルコミュージアムの新担当の方がやってきて、「やりましょう」って。「えっ、覚えていたんですか」って(笑)。

原田 テーマは何か決まっていたんですか?

大宮 ある方と対談したとき、震災で、心の傷を負ったことを伝えられない人がいる、どうしたらいいですか、という話が出ました。これだって思ったんです。そういう「思いを伝えるということ」という展覧会にしようと。演劇だと役者さんが舞台の中での主人公ですが、この展覧会ではお客さんが主人公になって、いろんな舞台装置を開けたり、登ったり、体験していくんです。たとえば、人生にはさまざまな"ドア〟が立ちはだかりますよね。私たちは子どもの頃、その"ドア〟を開ける鍵をたくさん持って生まれてきたはずなんです。それをいつの間にか忘れちゃっている。『たちはだかるドア』という作品は大きなドアの前の床に、百個ぐらいの大小さまざまな鍵が散らばっている。来場者は直感で鍵を選ばないといけない。選んでドアに差し込む。すると、ドアがバーンと開くんです。人生にたちはだかる困難に立ち向かい、それが開いていく、その感覚を、体感してもらう。嬉しいもんですよ。実はどの鍵も開くようになっていたんですけれど。

原田 素晴らしいアイデアです。目の前のドアが自分の選んだ鍵で開くとなんだか自信がわいてくるような気がします。

大宮 実際に絵を描くことになったのは、とあるハプニングから。私の舞台装置的な作品がある大きなパーティーで展示されることに。ですが、打ち合わせで、担当者の方から、相談されたんです。「実は明日、ライブペイントをする海外のアーティストがこれなくなってしまった。すごく困ってる! エリーさんしかやってくれそうな人いない!助けて!」と。

原田 ライブペインティングとは、その場で絵を描くパフォーマンス。そのとき、絵を描いていたんですか?

大宮 (大きく首を振って)まったく。「小学校の写生大会で、消防自動車を描いた以来ですよ?」って答えたんです。そうしたら「それでもいい」って。もうやるしかないって。そしたら会場にいらした、(建築家の)安藤忠雄さんが、「もうワインでも飲んで描くしかないよ」っておっしゃってくださり。着物姿でがぶ飲みして描いたら、ウケたというか(笑)。絵もたまたま良かったそうで、ベネッセの会長で、瀬戸内国際芸術祭のプロデューサーでもある福武總一郎さんの所蔵になったという(笑)。

原田 上手く言葉にできないんですが、エリーさんの絵って、見ていると力をもらう感じがする。絵にパワーがある。 絵を描いているときは、何かに筆を持つ手が動かされているみたいな感じなんですか。

大宮 うーん、そこに私はいないという感じです。私は無になっていて、自然界からいただくパワーを転写して絵にしているだけです。今回、患者さんに見守られながら描きました。海から太陽が昇る絵は、生きるエネルギーと、今という喜び、そして天から無限に降り注ぐ愛を転写しようと決め、一心不乱に描きました。それを見ていた患者さんが、別れ際、こう言ってくれました。「希望の光をありがとう」。泣けました。

原田 エリーさんと話をしていると、ムンテラっていう言葉が頭に浮かんでくる。元になっているのはドイツ語の「ムントテラピー」。ムントとは口のこと。言葉で治療するという意味です。昔はよく「医者はムンテラが大事だから」と言われました。手術をする、薬を投与するのはもちろんですが、医療従事者は、患者さんを癒やす、力を与えることが大切。エリーさんの絵を見て患者さん、とりだい病院の人たちが元気になってもらえれば嬉しいですね。




たすくのタスク

原田 省 鳥取大学医学部附属病院長
1958年兵庫県出身。鳥取大学医学部卒業、同学部産科婦人科学教室入局。英国リーズ大学、大阪大学医学部第三内科留学。2008年産科婦人科教授。2012年副病院長。2017年鳥取大学副学長および医学部附属病院長に就任。患者さんと共につくるトップブランド病院を目指し、未来につながる医学の発展と医療人の育成に努めながら、患者さん、職員、そして地域に愛される病院づくりに積極的に取り組んでいる。好きな言葉は「置かれた場所で咲きなさい」

大宮エリー 作家・画家
東京大学薬学部卒業。2012年、東京国立博物館で行われたモンブラン国際賞の福武總一郎氏の受賞セレモニーで急遽依頼されたライブペインティングから画家のキャリアがスタート。2016年には美術館での初の個展「シンシアリー・ユアーズ 」(十和田市現代美術館/青森)を開催。同時に商店街を使ったパブリックアートも手がける。また十和田市の水力発電所、奄美大島のこども図書館、妹島和世氏による家プロジェクトなどで壁画作品も制作。2019年には香港、ミラノ、パリにて、2022年にはロンドンのギャラリーブラキアにて個展を開催。瀬戸内国際芸術祭2022でも出展作家として犬島に作品を発表。
たすくのタスク