前回のコラムが掲載されてから、お店で声をかけていただくことが増えた。医療のいの字もない上にかなり個人的なことが綴られているので、正直、私のページは読み飛ばされるだろうと思っていた。多くの方が読んでくださって、本当にありがたい限りだ。どうか今回も、最後までお付き合いいただきたい。
うちを訪れるお客様は、ほとんどが外来の患者さん、もしくはそのご家族だが、入院中の方も時々来てくださる。入院着で本を選んでいらっしゃるのを見かけると、無事退院できますようにと祈る一方で、私もここに通えたらよかったのになと、ついつい思ってしまう。
時は2018年の暮れ、私が小説家としてデビューする前にさかのぼる。
体が丈夫だと自負していたが、思いがけず健康診断に引っかかり、とりだい病院ではない、別の病院に入院し手術をすることになった。人生初の体験、しかも2週間ほど療養期間をいただけるということで、妙なスイッチが入った。
「時間がたっぷりあるんだし、読んだことのない名作にも挑戦してみよう。この機会にしっかり勉強して、絶対ステップアップするぞ!」
いそいそと本を買い込んでは鞄に詰め、鼻息荒く病院に乗り込んだ……のだが、結論から申し上げよう。無理だった。もしタイムマシンがあれば、何がステップアップだよと、当時の自分の頭を叩いてやりたい。
もちろん、入院中でも熱心に勉強できる方は、大勢いらっしゃるだろう。だが、勤勉でない上に、麻酔が切れてひいひい言っていた私には、難しい文章を読んでその内容を理解するなど、とてもできなかった。結局、3日と経たず本を投げ出してしまった。
この、無謀とも言える計画に頓挫すると、一気に暇になった。
まず、自由に出歩けない。テレビ番組は特に観たいと思わない。ゲームも普段からしない。音楽もそんなに聴かない。SNSで楽しそうな投稿を見かけたら、術後ボロボロになっている自分との差に落ち込みかねない。夜眠れなくなるから(21時消灯に体内リズムが順応できなかった)、安易に昼寝するわけにもいかない。娯楽らしい娯楽がなかったので、一日が非常に長く感じた。
退院する2日前。とうとう我慢の限界に達し、母に頼んで、自宅から何冊か本を持ってきてもらった。そのラインナップは、今もよく覚えている。私が最も敬愛する作家、川上弘美さんの『天頂より少し下って』や、西加奈子さんの『漁港の肉子ちゃん』などだ。心身ともに疲弊していた私は、差し入れの本を貪るように読んだ。
『天頂より少し下って』は、あたたかさやユーモア、とらえどころのない切なさが詰まった文章に、ため息をつきたくなるほどの感動を覚えたり。『漁港の肉子ちゃん』は、主人公の母・肉子ちゃんのおばかっぷりとパワフルさに、とにかく元気をもらったり。ページをめくっている間は、狭苦しいベッドの上ではなく、どこか別の世界に連れ出してもらっているようだった。手術でできた傷の痛みも、そのときは忘れられた。そして改めて、私は小説が好きだなと実感した。
このときの経験がなければ、私はいつまで経っても小説を書きだせなかったかもしれない。
今、店頭に立っていると、入院していたのがとりだい病院で、そのときすでにカニジルブックストアがあればどうなっていただろう、と想像することがある。
おそらく本は持参せずに、最初からカニジルブックストアで調達していただろう。その場合、夢中になれる本を他にも見つけていたかもしれない。あるいは、難しい本に手を出して挫折するという、まったく同じ道を辿っていたかもしれない。もし後者だったら、未だデビューできていなかった可能性も、大いにありえる。
しょせん仮の話だから、どうなっていたかなんて、考えたところでわからない。それでも、本を選んでいる間は非常にわくわくしただろうな、ということだけは、はっきりと言い切れる。
カニジルブックストアでは、医療やノンフィクションなど、堅めな本の他、大衆小説も数多く取り扱っている。写真集や気軽に読めそうなエッセイ、懐かしい絵本なども、たくさんある。狭い店内ではあるけれど、そのぶん、バラエティに富んだ本がぎゅっと詰まっている。ひいき目なしに見ても、本当に面白い書店だと思う。
今入院中で、少しでも手持無沙汰に感じている方がいらっしゃったら、ぜひお越しいただきたい。もちろん、外来の患者さんやご家族、職員の方、もっと言えば診察の予定がない方でも大歓迎だ。
とりだい病院1階、タリーズコーヒーの隣で今日も、皆さまのご来店をお待ちしております。
※『天頂より少し下って』と『漁港の肉子ちゃん』は現在、カニジルブックストアで販売中です。ご興味のある方はぜひどうぞ!
鈴村 ふみ
1995年、鳥取県米子市生まれ。立命館大学文学部卒業。第33回小説すばる新人賞受賞作「櫓太鼓がきこえる」(集英社)でデビュー。小説家であり、とりだい病院一階のカニジルブックストア店長。