本は命の泉である
とりだい「人生を変えた一冊」
いつも旅のなか
角田光代/角川文庫

文・大川真紀


人生を変えた一冊
©︎中村 治



看護部
為本 真吏

院内の書店の児童書コーナーで、熱心に本を選んでいる人がいた。本好きであろうと確信して声を掛けた。看護師の為本真吏さんだった。

彼に「人生を変えた一冊」を尋ねると、迷わず、『いつも旅のなか』という答えが返ってきた。

著者は角田光代さん。世界中を旅し、その土地で出会った人や体験した出来事を臨場感たっぷりに書き記したエッセイ集だ。

本との出会いは2年前。新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、緊急事態宣言や外出自粛など県境をまたぐ移動が制限された頃である。為本さんも旅が好きだった。しかしこれまでのように自由に出かけることができなくなり、少し気持ちが塞いでいたという。

「タイトルに惹かれて手に取りました。いろんな国のことが書かれていて、本当に本の中でその国を旅しているような気分になりました」

まず共感したのは、角田さんの旅のスタイルだ。スケジュールを決めすぎず、荷物はリュックサック1つだけ。現地でもすぐに人と打ち解け仲間を作る。行き当たりばったりでもそれを楽しむ大らかさを感じた。自分と同じだと思ったのだ。

岡山県出身の為本さんは看護師になるため鳥取大学医学部保健学科に進学した。高校では看護師を目指した男性は為本さん一人だった。入学してみると、男性は同学年にも上級生にもいた。やがてバイク好きの男子学生が4人集まり、長期休みになるたびにバイクの旅に出かけた。近畿地方や中部地方、遠く北海道まで足を伸ばしたこともある。北海道では2週間、行きたいポイントだけ押さえて後は成り行きに任せて走った。最北端の宗谷岬で、バイク旅行者対象の宿泊施設であるライダーズハウスに泊まった。そこで一人の青年に出会った。彼は九州から自転車での日本縦断に挑戦しており、この日、ゴールの宗谷岬に到着したのだった。5人でゴールの喜びを分かち合い、お互いの旅の話をし、最後は松山千春さんの歌を大熱唱したという。

角田さんの本を読み進めるうちに、カメラを持って妻と出かけた旅など、楽しかった思い出が次々甦ってきた。角田さんの「先入観を持たない」という姿勢にも惹かれた。

為本さんは、現在、とりだい病院の内視鏡センターに所属、胃カメラや大腸内視鏡検査を受ける患者と日々接している。同じ内視鏡検査でも患者はみな違う。為本さんも先入観を持たないことを常に意識している。そのため入室される患者一人ひとりに優しく話しかけ、その人が抱える不安が何かをちゃんと理解しようと努めている。「前より今日の検査は楽だったわ」と言われるのが何より嬉しい。

今もなお、医療者は慎重な行動を求められている。自由に旅はできないが、為本さんは自分なりに生活を楽しむ工夫をしている。

「初めて家族でキャンプに行って、自然の中で子供たちとテント張りや虫取りをしました。他にも、行ったことのない公園を探して出かけています」

遠くに行けなくても、いつもと違う非日常を感じることができれば旅の気分は味わえるという。

「でもコロナが落ち着いたら、本に出てきた国々に、家族と行ってみたいですね」

その日が早く来ることを、為本さんは願っている。