Tottori Breath Vol.1 「巨人の教え、病院は親切院であれ」

文・結城 豊弘

Tottori Breath

まだまだ知らないことがたくさんある。兵庫県神戸市の映像発信検討研究会委員をしている。SNSやインターネット配信を使い、神戸市の情報発信や神戸市を売り出していく提言を精力的に行なっている。企画の一つとして、神戸市の偉人を特集したらどうかという話の流れで、神戸市生まれの社会運動家・賀川豊彦を知った。1888年生まれ。年号でいうと明治21年。森 鴎外がドイツから帰国し、麒麟ビールが販売され、翌年には大日本帝国憲法が公布された。そんな時代に生まれた賀川豊彦は、後に米国プリンストン大学に留学する。帰国後は、小説『死線を越えて』でベストセラー作家になり、労働運動やキリスト教の布教を行なった。

アインシュタインを神戸に招聘し、戦争の前には、平和使節団として米国に赴き1960年に亡くなるまで「平和と福祉」のために東奔西走、激動の時代を生きた巨人である。生活協同組合の創設に加わったと思えば、吉田 茂と時を同じくして総理大臣候補にも名前が上がり、はたまたノーベル文学賞、平和賞の候補に何度も推薦された。すごい人がいたものだ。いや、私が不勉強だっただけだ。

その賀川の著書『十字架に就いての瞑想』(教文館)の中に「病院」についての記述がある。

「『ホスピタル』というのは親切院というのがほんとで、日本のように病院というのが間違っている。最初、ローマの元老院議員のガリカナスという人が、みずから進んで看護者になり、奴隷といえども助けていこうという考えで、病院を創めたのである。西洋では親切院の看護婦は医者より偉い。」と。

「病院はホスピタルの訳ではないのか」と疑問が過ぎる。すぐさま辞書を引く。確かに「ホスピタル=hospital」の語源は、中世ラテン語の「hospes=もてなす人」あるいは、「hospics=客人を保護する」という意味の単語が変化したとある。

「hotel=宿泊所」や「hospitality=おもてなし」も同じ言葉を語源とするそうだ。ここから考えると前述の賀川の文中の「病院」の説明もなんとなく腑に落ちる。

賀川はつまり、病院は、対価を殊更に求めるのではなく、喜びや丁寧な心を大切に、病気の方に最善の対応をする「親切院」でなくてはいけないと説く。合わせて医師と最前線の現場の看護師は、とても尊い仕事であると語っているのだ。

S