病院長が時代のキーパーソンに突撃!
対談連載「たすくのタスク」
第1回 映画監督 錦織良成

文・田崎 健太


第1回 映画監督 錦織良成
©︎中村 治

鳥取大学医学部附属病院の原田 省(たすく)病院長が、話題の人に会いに行く対談連載、第1回のゲストは出雲市出身の映画監督、錦織良成監督。錦織監督は故郷を舞台とした「島根シリーズ」で知られている。なかでも原田病院長はこの島根シリーズの第1弾『白い船』という映画には特別な思い入れがあるという―。



原田 まずは、昨秋の鳥取大学医学部の学園祭に来ていただき、ありがとうございました。

錦織 こちらこそ、私の映画『白い船』を上映していただき、感謝しています。とてもいい雰囲気の学園祭でした。医師、看護師の卵たちが、山陰の空気の中で誠実に育っていることを嬉しく思いました。

『白い船』は島根県の小学校の児童たちと日本海を航行するフェリー―白い船との交流を描いた2002年公開の映画である。主人公の女性教師を中村麻美、生徒を濱田 岳が演じている。昨年の鳥取大学医学部の学園祭で『白い船』を上映、錦織監督を招いて講演会を行なった。

原田 『白い船』は何度観ても感動します。錦織監督の映画は心がすごくあるので、学生たちに観て欲しかったんです。

錦織 上映会には学生だけでなく、多くの地元の方が集まっていましたね。

原田 地元を舞台にしたこんな映画があったんだって、みんなびっくりしていましたね。みんな知らなかったんです。もっと知って欲しい。

錦織 この映画はぼくにとっても、一つの転機となるものでした。この映画がなかったら、監督として全く違う道に行ったかもしれないと思うことがあります。

原田 『白い船』以降、 監督は『RAILWAYS〜 49歳で電車の運転士になった男の物語〜』など島根を題材に次々と撮っています。『白い船』は、監督が30代のときの作品です。自分の故郷、アイデンティティとはなんだろうと考えて、着想したのですか?

錦織 (大きく手を振って)いやいや、全く違うんです。ぼくは高校卒業後、東京に出ました。山陰には何もないと思い込んでおり、演劇をやるために島根県を出たんです。ところが、久しぶりに戻ってみると、地元が輝いて見えた。確かに都会にあるものはないかもしれません。しかし、都会にないものがあったんです。かつて自分の演劇の道を阻んでいるように思えた、山陰の閉塞感が違った質感となって目の前に現れてきた。

原田 東京での生活を経たことで、故郷が違って見えてきた、と。

錦織 はい。閉塞感だと思っていたものは、マイナスなものではなかった。大都市の文化圏に属さない自立した文化、そして隣人との絆を大事にしてお互いに深く干渉しあう風土でした。山陰には日本人の誰もが共有する心の原風景が保存されていた。そして、目の前にいる人たちに衝撃を受けた。

原田 そのなかの一人が『白い船』のモデルとなった、女性教師、本田先生ですね。

錦織 彼女は、ダダダダダッって廊下を走ってきて、「なんですかあなたたちは!」と生徒を心から怒る。泣きながら怒る。生徒のことを想って、身体全身を震わせて、悔しがる。都会にはこんな先生はいない。これはなんだと。

原田 実はうちの子どもが本田先生の教え子でした。本田先生は転勤で松江市内の小学校で教えていました。その小学校で上映会を行なった『白い船』を観て、すっかり気に入ってしまったのです。この後、錦織監督が結婚されて、その結婚式にうちの家内はお邪魔している(笑)。

錦織 地元の人を結婚式に呼ぼうとしたのですが、多くの皆さまにお世話になったので、線引きができず、全員にご出席いただいたんです(笑)。

原田 『白い船』は人を大切にする監督らしい映画ですね。

錦織 教員免許を取って、教員試験に合格すれば学校の先生になることができる。しかし、勉強や試験とは全く別の大切なものが必要だと思ったんです。これはお医者さんとも共通する部分があるかもしれない。

原田 今の学生は厳しい受験戦争を勝ち抜いてきているので、頭は抜群にいい。勉強はできるんです。手先が器用であれば、技術もある程度までは身につけることができる。しかし、そこに心があるか、どうか。外科医たちがよく使う言葉に「鬼手仏心」というのがあります。

錦織 「鬼手仏心」とは聞き慣れない言葉です。

原田 もともとは仏教用語らしいのですが、メスをたとえどんなに巧みに使えたとしても、仏のような心がないと医師としては一人前ではないという意味です。

錦織 人の生き死にを扱う医療従事者や子どもたちを相手にする教師という人たちの物差しは、試験勉強だけであってはならないですね。ぼくもそれを感じたので、『白い船』を撮った。自分の人生のハンドルを切った、と言えるかもしれない。だから、ぼくにとっても大切な作品なんです。



対談_中写真
©︎中村 治

病院は医療を提供するだけでなく「社会的共通資本」である

原田 『RAIL WAYS』では中井貴一さん演じる順風満帆な会社員生活を送っていた主人公が、故郷の島根に住む母親が倒れたことがきっかけで、地元に戻ります。また『渾身 KON-SHIN』では、主人公が妻を病気で亡くしている。私が医師のせいなのか、錦織さんの映画では病院が出てくることが多いような気がします。

錦織 (腕組みしながら)そう言われると、ぼくの映画全部に病院が出ていますね。決して暗い映画を撮っているというつもりはないのですが。病気というのは、その人、家族の生活スタイル、プランを一変させることがある。その意味で人生において病院というのは非常に大きな存在感があると思うのです。

原田 それに加えて、山陰を舞台にしていることも大きいかもしれませんね。

錦織 はい。山陰では二世代、三世代が一緒に暮らしていますよね。そうした場所を舞台にすると、生活のなかで病院は近い存在になってくる。お医者さん、看護師さんなどとの関係が都会とは違う。緩いというと語弊がありますが、距離が近い。

原田 距離が近いといえば、鳥取大学医学部附属病院(以下 とりだい病院と略)では患者宅訪問を始めています。慢性疾患等で長期入院していた患者さんのところに看護師が家庭訪問をするというものです。自分の担当だった看護師が自宅にも見に来てくれるというので、患者さんはすごく喜んでくれています。

錦織 白衣を見ると血圧があがる、とにかく病院が嫌いだという人もいます。患者というのは病院に緊張感を持つことが多い。それが少しでも軽減できることはいいですね。学園祭の後、とりだい病院を見学させていただきましたが、こんなに人口が少ない地域なのに最先端の医療を行なっていることに正直驚きました。

原田 それは日本の医療の強みかもしれませんね。日本の医師免許を取った韓国人医師を初期臨床研修として受け入れていたことがあるのですが、その方が「日本は素晴らしい。こんな片田舎に、韓国ではソウルの病院にしかないような医療体制がある。韓国では考えられない」とおっしゃっていました。

錦織 地元には都会にないものがあることは分かっていましたが、医療もだったんですね。以前、原田病院長からこんなことを伺いました。米子市の人口は約16万人。とりだい病院の1日の滞留人口は約6000人。一帯でもっとも人が集まる場所であると。

原田 はい。それだけの人が集まる場所なので、とりだい病院は地域の文化的、経済的なハブとしての役割を担っていかなければならないと考えています。米子市出身の経済学者である宇沢弘文さんは医療を「社会的共通資本」だと評していました。

錦織 社会的共通資本とはどういう意味ですか?

原田 社会的共通資本とは、一つの国、あるいは特定の地域に住むすべての人々が、豊かな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置のことです。そのなかには「自然環境」「社会的インフラストラクチャー」「制度資本」の三つが含まれる。これらは国家的に管理されたり、利潤追求の対象として市場に委ねられたりしてはならず、職業的専門家によってその知見や規範に従い管理、維持されなければならないという考えです。

錦織 つまりとりだい病院は、「社会的インフラストラクチャー」であると。

原田 はい。医療を提供するというのは根本にありますが、それだけではなく、人を集めて、文化的な発信、経済を支えていく存在でなければなりません。

錦織 社会的インフラという意味では、ぼくにも思い当たることがあります。鳥取の山奥で手作り家具を作っている若い夫婦を知っているのですが、彼らは鳥取とは縁がなかったのに、移住してきた、いわゆるIターン組です。どうしてここに引っ越してきたのかというと、高速道路ができたので、1時間圏内で米子のとりだい病院に行けるからだっていうんです。とりだい病院にドクターヘリがあることは知っています。それでも陸路で繋がっていることが一番の安心。そういうことを考えてIターンしてきたのだというのがぼくには新鮮でした。医療も道路と同じように、人間が安心して生活していく上で欠かせない、大切なインフラなんですよね。


これからの時代は人口が少ないことがメリットになりうる

原田 現在、錦織さんは東京と島根という2つの拠点で活動されています。2つの場所を行き来することでなにか感じることはありますか?

錦織 50年後の世界は、人口減少、少子高齢化が大半の国で始まります。日本のローカルは現在世界最先端のモデルケース。特に山陰はそのなかでも最先端となるのではないか、と。今、その臨床例がとりだい病院などには蓄積されているはず。都会の病院にはないデータが集まっているのではないですか?

原田 ええ。現在、厚生労働省が「地球包括ケアシステム」を勧めています。これは要介護状態となっても、住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続けられるように、住まい、医療、介護、予防、生活支援を一体化に提供しようという考えです。大学病院や地元の医院、介護施設などが連携をとりあって、それぞれの役割分担を果たしていくシステムといえば分かりやすいでしょうか。ここでは都会よりもこのシステムが構築しやすいのです。

錦織 人口が少ないことが逆にメリットになっている。以前、島根でタクシーに乗っているときに、近くにダムができるという話になったんです。ダムができて人口が半分になってしまうというから、ぼくはそれは大変な話ですねと言うと、その運転手さんは首を横に振ったんです。何を言ってるんですか、ヤマメにしても、イノシシにしても、人が半分になったから、獲りやすくなるんです。こんな素晴らしい環境を半分の人間で満喫できるんですよって。

原田 逆転の発想ですね。

錦織 それまでぼくたちは人口が減っていくことを悪いことだとだけ考えていた。しかし、フランスもドイツも人口で考えると日本よりもずっと少ない。人口が減ると大変なことが起きるという発想自体は本当に正しいのかと、一度立ち止まって考え直さなければならないのではないかと思いました。人の少ないローカルには、実は先端がある。バリアフリーだとかなんだとか言わなくても、ローカルには身体の不自由な人を手伝ってくれる人たちが身近にいる。バリアフリーの施設を作らなければと政治家が口角泡を飛ばしている間に、若者が立ち上がってすっと手を出せばいい。

原田 その通りです。ただ、かつての錦織青年が島根に閉塞を感じて東京に出て行ったように、いかに若い人間をこの地に惹きつけることができるかという課題もあります。

錦織 大きな課題ですが、まずは、みんながローカルへの負の先入観をなくすことではないかと。むしろこれからはローカルの若者にチャンスがある。海外に行くと特に感じるのですが、チャンスを摑める場所はローカルの方が多い。つまり都会では物価も高いし、土地も高い。オフィスを構えるにしても初期費用がかさむ。しかし、ローカルだと土地代は安い。お金を掛けずに起業できて、人も集めやすい。特に山陰は、食べものも旨くて安い(笑)。

原田 ぼくが今。感じているのは、都市圏というのは便利で素晴らしい。でも画一的だということです。米子には、米子にしかない雰囲気がある。それが強みであると確信しています。

錦織 ユニクロのファーストリテイリングは山口県、ベネッセは岡山県発祥です。ちょっと古くなりますけど、ケンタッキーフライドチキンっていうのはケンタッキー州の田舎料理。

原田 オリジナリティって、実はローカルにあるんです。

錦織 以前、『秘密のケンミンSHOW』(読売テレビ制作)という番組で、各都道府県の登場回数を発表したことがありました。それによると鳥取県と島根県は最下位の2県。しかし、これは山陰に魅力がないということではない。例えば、祭り。島根県は祭りの数が半端じゃない。信じられないことですが、隣町の祭りが知られていなかったりします。近隣でも風習が全く違う。ある地区の風習を取り上げて、これが島根、あるいは鳥取の常識だっていうと違うって話になるんです。

原田 つまりそれだけ山陰には豊かな文化があるということですね。

錦織 その通りです。その上にとりだい病院のようなきちんとした医療施設がある。本当に住みやすい場所なんです。山陰が有名じゃないのは、あまり人に来られては困るからなんじゃないかって、ぼくはいつも冗談で言ってますよ(笑)。



錦織良成 監督作品 『僕に、会いたかった』
事故で記憶を失った元漁師の男。島で懸命に今を生きようとするも「ありがとう」を言いたい人も忘れ、心だけが前に進まない。そんな男を島の人々の優しさが包み込む。雄大な自然に囲まれた島で、男は“自分自身”を見つけることができるのか?事故の真相を知った時、男は…。隠岐諸島を舞台に家族の絆を再生を描いた感動の人間ドラマがここに誕生。

主演はダンス&ヴォーカルグループ「EXILE」のヴォーカリストとして確固たる人気を誇り、俳優としても活躍するTAKAHIRO。母親役に松坂慶子。2019年公開作品。

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©︎2019「僕に、会いたかった」


 

映画監督 錦織良成
1962年島根県出雲市出身。学生時代に演劇や脚本の世界に魅了され、35歳の時に『BUGS』で監督デビュー。オリジナルの企画、脚本に拘る数少ない映画監督の1人で、何気ない日常を捉える描写力と柔らかな映像センスに定評がある。2016年には、モントリオール世界映画祭ワールド・コンペティション部門にて時代劇『たたら侍』が最優秀芸術賞を獲得するという快挙を達成。“究極のローカルがグローバル”と故郷・山陰を舞台にした作品も数多く創出している。

鳥取大学医学部附属病院長 原田省
1958年兵庫県出身。鳥取大学医学部卒業、同学部産科婦人科学教室入局。英国リーズ大学、大阪大学医学部第三内科留学。2008年産科婦人科教授。2012年副病院長。2017年鳥取大学副学長および医学部附属病院長に就任。地域とつながるトップブランド病院を目指し、診療体制の充実と人材育成に力を入れている。また、職員それぞれが能力を発揮できるような職場環境づくりに積極的に取り組んでいる。好きな言葉は「意思あるところに道は開ける」。